旧パラを検証する209
第十七号(昭和26年10月号)11
大学 担当 土屋 健
(A)奥薗幸雄氏作
作意(三十一手詰)
六五飛右、五四玉、五六香、四三玉、五三香成、三三玉、三二桂成、二三王、三二桂成、同玉、四二成香、二三玉、二四歩、一二玉、A七二飛成、ロ二二桂、同龍、同玉、四四角、二一玉、一三桂、一二玉、B二三歩成、同玉、三三角成、一三玉、一四歩、一二玉、六二飛成、二一玉、一三龍迄
本作品は風鎚りな曲詰である、曲詰故最初の型が絶対であるのは論ずる余地はない、さりとて詰手順はどうでもよいと言ふのでは無いのだ、追手の連続で最后に駒が余らずに詰となれば詰将棋として存在する価値があると考へるのば誤りである、詰手順に確たる作者の狙ひがなくてはならぬ、本作品の作者の狙ひは現在迄の曲詰の理念を超へ非常に斬新であり、一種の芳香を持っている、詰将棋自身の価値の高低とは別問題であるが新世界を拓こうとする作者の若い情熱には敬意を表する次第である、発表直后某氏の注意により不完全であった事に気付いたが曲詰の為早詰防止の駒を置く事が出来なかった、六五飛左の手は全然見落して居た、地下で北村君が苦笑して居る事だろうが完全検討したつもりであった、不明を嘆ずるも笑止々々、申し訳けない次第である、六六香六五歩同飛左七三王三七角六四歩同角八三王八四歩九三玉九四歩同玉九五飛八四玉八五飛右七四玉七三角成同玉九三飛成七二玉八二龍迄二十一手詰の簡箪な早詰である、(以下略)
★初手66香の早詰以外にも、Aで62飛成でも良かったり、ロ22桂合で変長、B11角成、13玉、23歩成とする迂回手順もあり、明解な作意とは言い難いです。44桂の消去は上手いと思いますが、欠点も多く早詰が無くても厳しい内容だと思います。
(B)黒川一郎氏作
(命名やすり)
67と引、79玉、69馬、同玉、68金、79玉、78金、89玉、88金、99玉、98金、同玉、48龍、同金、97と引、99玉、98金、89玉、88金、79玉、78金、69玉、68金、59玉、58金、同金、同と、同玉、57と引、69玉、68金、59玉、58金、49玉、48金、同玉、38金、59玉、58と、同玉、48金、69玉、68と、同玉、58金、79玉、78と、同玉、68金、89玉、88と、同玉、78金、99玉、98と、同玉、88金、99玉、98金、89玉、88龍(61手詰)
竹中敏雄氏 未だ山田さん程の円熟味はないが、立派に趣向が生きて居る、然し鑢で削り取る感じと言うより、最初金で追いつ戻りつ空想の世界にさまよい、後一枚一枚と金を棄て乍ら28金で追って行くのは空想の世界から次第に現実に返る状態を表現して居る、と金が一つ一つ水の泡沫の様に消えるからだろうか、題して「空想の沫」とは如何に
選者 本題は就床時の選題の為、他の作と誤って出題して仕舞った気付いたのは九月も過ぎてからでパラダイス社の方え取り消しのウナ電を飛ばしたが間に合はず、不己得ず住所の判明している五十七名の解答者の方々を直接訂正の葉書きを出した、勿論19と脱落の為に生じた早詰手順を解答された方も正解と認めた、かかる間違いは病気の為とは申せ申し訳けの言葉に窮する次第である、平に御容赦下さい、さて本題は左方に言葉の如く雲集すると金の配置も面白く、詰手順に至ってはギコギコやすりの音を聞いて頂ければよいのである、作者は詰将棋ロマンチシズムの信仰者と言うより実践者である、毎回述べる如く近代詰将棋に於けるロマンは高く評価す可きであるがそれが詰将棋の総てでは無い、だがお立合い世にも稀なるロマンチストの夢物語り、急ぎの御用の無い方は耳を傾けられい、「詰将棋浪漫派として詰将棋の中にロマン味を盛り込んだ趣向に限り無き愛着と憧憬とを持つ詰将棋マニアが語る長話し、まあ一通りお聞き下されませ、一体小生は小説であれ音楽であれ絵画であれ、凡てこれ浪漫味溢れたるものが好きで何んでも手を出す悪い癖、これは最早病膏盲と申せましょうか、小説なら怪奇ロマン、ポー・ホフマン・スチブンソン・ゴーチェ・HGウエルス・ヴェルヌ・シャミッソー・ドイル等々、怪奇幻想恐怖空想の世界に限りなき魅力を感じ、音楽ではビゼー・サラサーテ・シューマン等魂の底をゆする哀愁味やリズミカルなのが好きで、詩では白秋の邪宗門の持つキリシタン味が魔法がかかって面白く、絵ではビアズレーの黒白の凄じさが厭倒的でこれ皆ロマンの世界、されば俟及の木乃伊の世界に得も云はれぬ執着を覚え、インカの廃墟の宝を夢に見ると云う此の痴れ者の八方趣味が、詰将棋創作と云う阿片を吸ったとたんに、全身しびれ耽溺する始末となりました、浅ましき成駒の虜となり果てた身は同じ詰将棋でも曲詰趣向詰の浪漫が骨の髄まで喜悦させ、ほとほとその幻影抒情に惚込むと云う有様、さあそれからと云うものは明けても暮れても新しい趣向手筋を考える事に没頭しました、趣向こそは詰将棋中の最大の魅力です、同一の運動を繰り返しつつ一つ一つ消えて行く、或は軌跡をたどり同一運動を繰り返す、個々の駒の全知全能を発揮したチームワークによって一つの美しい運動を作る、無限に続くかと思われる明追手の繰り返し、次第に駒が消え去る煙詰、馬や龍の追い廻し、鋸引等々絢爛たる駒の綾なす種々の趣向が方尺の盤上所狭しと乱舞する趣向詰それは一般の妙手説礼賛の創作図式と違い、その一局々々に盛られた趣向こそが只一の生命であり一連の妙手である、此の点を一番理解しないのが某氏である、実際先人未踏の新しい趣向を発見するのは生易しい事ではない、その一つ以上が盛られて居れば立派な趣向詰である、妙手そのものを云々するのは見当違いである、と云っても妙手が長篇になくてもよいと言うのではない、なければ長篇でないと言うのではない、なければ長篇でないと言うのは判るが、趣向に対して個々の妙手を云々するのが間違って居ると思います、その一連の妙手をなぜ妙手と考えられぬのか?不可解であると思います」(以下略、原文のまゝ)これは作者黒川氏より選者に宛てられた便りであるが、黒川氏の詰将棋に対する理念が浮彫りされて居る、この作品を鑑賞するに当たりまず本書簡を読んでから駒を進めて頂き度い、ロマンチシズムの立場より長篇詰将棋を論じて余さず、最後は選者宛の為稍々スポーツ論的にはなったが、ロマンの輪郭を掴んで頂き度い、尚詰将棋に於けるロマンチシズムに最も理解あるのが選者の様な印象を受けるが、実は九月号巻頭の「つるぎ生」その人こそ真のロマンチストである、詰手順二十五手目五八金の處五八とでも三十三手目五八金を五八とでも全然本手順同様の詰である、三十手目六九玉六八金の二手を落し五十九手詰とされた方が数氏あったが現在の規定では残念ながら誤解とせねばならぬ
★趣向に始まり趣向に終る。この作品に感動して、趣向詰に嵌りました。それまで、図巧の趣向詰も見ていたのですが、詰将棋を始めたばかりの私には、複雑な序や収束の付いた趣向詰より、趣向だけを抜き出しそれで完成している本作が輝いて見えました。詰将棋を広めるには本作のように趣向だけで完成している作品が必要だと思っています。歴史に残る傑作だと思います。