わが輩はオムザである

オムザとはベトナム語のお爺さん。
アジア・アフリカの思い出から日記まで

月末はお休み

2006-09-30 22:11:29 | 日記

 

Xin Chao

九月も今日で終わり

明日からは十月

そんな当たり前のことすら記憶できなくなりそうだ。

なんでも直ぐに忘れてしまう。

相撲の軍配ではない。

ベトナムのウチワだ。

<お休みマーク>に採用しよう

 

今日は午後わが阪神は中日に、山本昌にやられた。

この戦いで

わが輩の集中力は極度に失われた。

Zappingで甲子園~中山を往復した。

だから

頭脳開発訓練は低いレベルで行われた。

明日はもう甲子園に心を奪われることを自粛しよう。

 

疲れで散歩も料理も実施できなかった。

 

備忘録;

特になし。

 


美しい国?の季節

2006-09-29 22:06:55 | 日記

Xin Chao

新総理が「美しい国」日本を創るそうだ。

<季節は収穫の秋>

わが散歩道の周辺も旅の間にすっかり秋の景色に変わった。

 川沿いから見るとススキの穂が白く川面に映えていた。

コスモスの花が美しい

わが子孫は右傾化する歴史を黙ってみているわが世代

戦争を知っている世代を許してくれるだろうか?

 

シルクロードの旅日記を休んで

この国の行方について考えることにした。

 

備忘録;

ネットで玄米を買ってしまった。

神さんが夕食に玄米を炊いた。

やはり美味くはなかった。

いつものスーパーに「ナイアガラ」を探しに行った。

無駄な努力だった・・・と思ったその時、

神さんがニヤッと笑って「アレガあるわよ」と指差した。

求め続けて来た<99円の生餃子>が何ヶ月ぶりに並んでいた。

わが輩の好きなあっさりとした味で、たまにしか店頭に置かれないので

「倍の値段でも買うよ」と店の担当者にルクエストし続けてきた餃子だった。

散歩の後のビールのつまみにと楽しみにして歩いた。

だが、「こんなもんだったのかな?」と首をかしげる味だった。

 

 

 


鳴沙山&月牙泉

2006-09-28 18:05:46 | 

Xin Chao

玄奨三蔵の昔を思わせる砂の山々

強い光と影がつくる壮大な風景

遠景でみる鳴沙山は観光地にはみえない。

正にシルクロードそのものだ。

脚が短いためか、股の関節が硬くなったためか

駱駝に跨るの大苦労した不甲斐ないオムザであった。

砂山の頂上に駆け上がれば広大な景色をみることができるが

それもあっさり諦めた。

元気な神さんは頂上からこの写真を撮ってから

砂の急斜面を橇で滑り降りてきた。

 

小さく縮んでみえる池がいまや名前倒れとなった

「月牙泉」

地下水の湧出が激減して

水深は以前の10メートルから僅かに1メートルに

なってしまったという。

地球温暖化の影響か?

ダム建設のためか?

 

バス駐車場までの道沿いには名物ハミ瓜や果物を売っており

老人夫婦がな仲睦まじく瓜を食べていた。

「一切れ呉れ」と頼むと2元もとられた。

 

備忘録;

元JAF理事のSさんが来宅し、テヘランからバングラディッシュのダッカまで

ご一緒した<アジア・ハイウェー・ラリー>、

現代のシルクロードの思い出話で盛り上がった。

当時のアフガニスタンの舗装道路はアメリカとソ連が半分ずつ援助してつくり、

その境目では両国の技術力と質の差がハッキリ判った、と氏は云っていた。

現在も「広い道路」がある中国や欧州の国々は昔から「馬車」を使っていた

からではないか、ということで氏と意見が一致した。

そういえば、道路事情が悪いインドは「馬車」ではなく

専ら象が活躍していたからだろうか?

わが国では何故「馬車」を使う歴史がなかったのであろうか?

昼食は特選素材のお取り寄せ<トマトケチャップ>を使ったわが輩の手料理、

スパゲティーを完食してくださった。

 

 

 


敦煌雑感

2006-09-27 21:32:38 | 

 

Xin Chao

敦煌の目玉はなんと云っても「莫高窟」である。

鳴沙山の断崖に掘られた石窟の数は1000以上と云われる。

観光客は中国人と華僑が圧倒的に多い。

従って

中国の観光スポット同様、彼らとの押し合い圧し合いが

薄暗く狭い窟の中でも繰り広げられる。

 

写真撮影は全面禁止でカメラの持ち込みは許されない。

一部の窟は入場料の他に特別観覧料金が必要で

入り口には鍵が掛かっており制服の係員がいて

許可されたグループの人数を数える。

窟に入り終わると扉を閉めてしまう。

一部中国人観光客はそれを知らずに潜り込んできた。

他の窟と違って人数が少ないことを喜んで奇声を発したりしたが

扉が閉まりかけるとやっと気がついて出て行った。

 

わが輩はいくつもの窟への出入りや

特別窟への急な階段の上がり下がりで

すっかり疲れてしまった。

莫高窟の観光が終わって正直なところ

ホット息をついた。

井上さんや平山さんのような感慨は特に持てなかった。

 

 

ホテル近くの交差点には信号機があった。

先頃日本政府の援助でハノイの交差点にも

信号の切り替わりを秒単位で示す

これと同じ様な信号機が登場した。

静かな街には観光客目当ての骨董屋の看板が目に付いた。

 

備忘録;

スーパーの店頭からナイアガラが姿を消した。

仕方なくデラウェアーで間に合わせた。

歯医者に定期チェックに行く。幸い悪くなっている歯は無かった。

次回チェックは来年一月。

インドカレーが食べたくなり、わが輩が歯医者に出掛けた間、

神さんに紫玉ネギを炒めておいてもらう。

黒豚のひき肉を油で熱したクミンシードと共に炒める。

にんにく、生姜、セロリー、トマトおよび林檎と人参をおろしたもの

更に微塵切りした茄子を混ぜて炒めてからハーブを入れて煮込む。

カレーは市販の「キーマ・カレー」を使い、最後にヨーグルトと

ガラムマサラで辛さを調節する。

勿論赤ワインや塩、レッドペッパーなどのスパイスも適宜使用する。

毎度同じ味のものは出来ない。

今回の味は家人からは高い評価を得る事が出来た。

 

 

 

 

 

 

 


西域の味(2)

2006-09-26 18:08:57 | 

Xin Chao

二日目の早朝は

北京から敦煌に飛んだ。

眩い白光の空港に降り立ったことについては既に記した。

空港から昼食をとるホテルに直行。

 

ホテル前のガランとした道路には強い日差しがくっきりと

影をつくり、人々がのんびりと歩いていた。

 

莫高窟を模してつくられたというホテルのロビー

ナント日本食レストランがあった。

当初ここで昼食をとるプランであったという。

幾らなんでも日本を出たばかりで、という訳で

現地食に切り替えてくれてホットする。

 

 

野菜中心の昼食は満足できるものであった。

流石にオアシスの味

しっかりした噛みごたえのある味だった。

備忘録;

久し振りの雨の日、蕎麦の日だから「青葉」に行く。

早速店主に昨日の「宮本庵」の味について報告する。

それに気を良くしたためか、初めて「使用する粉」のリクエストを聞いてくれた。

わが輩は入手困難と聞く茨城産と北海道産をミックスした蕎麦を食べた。

クスリやのYさんはいまや休日まで日参しているとのこと、

わが輩とおなじ「大もり」を注文した。

神さんは北海道産の細打ちを注文したので少し味見させて貰う。

わが輩のミックスものの方が香りが良く、神さんの方はのど越しが良い。

今日はショッピングの必要も無く、帰宅後は冷蔵庫からナイアガラを

出して食べた。

 


西域旅の味(1)

2006-09-25 18:14:01 | 

Xin Chao

シルクロードの旅、味の出発点は北京だった。

<ツアーの食事に美味いものなし>

わが輩の経験則である。

美味しいものが食べたければツアーの食事をスキップして

自前で食べる以外に方策は無い。

 

しかし今回の旅、

トップバッターは「北京ダック」だった。

初日からダックが食べられるなんて、

今回のツアーへの期待がダックの胃同様に肥大した。

 

テーブルには次々に料理が並んだ。

ひと箸口に運んで

「やはり駄目だ」と思った。

最後に運ばれたダックに託したかすかな望みも

虚しかった。

 

もう十年以上も前のことだが

北京のCCTVにマレイシア時代の研修生がいた。

彼と若い大学助手の夫人が案内してくれた

北京で一番のダックの店、全聚徳>

 客は先ず沢山ぶら下った鴨の中から

気に入った鴨を選び

テーブルで料理の出来上がりを待つ。

流石にこの店の北京ダックは

脂を感じさせない上品な味であった。

 

ツアーのダックは脂に品が無くぎらぎらした味であった。 

北京でのスタートは芳しくなかったが

西域での味にはそれなりの良さもあった。

 

 

備忘録;

午前中、郵便局でウルムチの絨毯屋への海外送金、敬老パスの払い込み

    印鑑変更を済ませた。

    帰宅途中、花屋で墓に供える花を買う。

午後、 厚木まで墓参に向かう。

    和尚さんも元気だった。

    

   帰路、警察前の「宮本庵」に立ち寄り蕎麦を食した。

 

本わさびがついた「大もり」が1,380円

 

 

    これまでは関東で一番美味いと思っていたが、

    主人から息子に代替わりしてから味が落ちた。

    明日「青葉」の店長に「店のランクが上がった」

    と褒めてやろう。

 


西域みやげ

2006-09-24 22:41:59 | 


Xin Chao


帰国してから西域みやげの夜光杯で毎夜


日本酒を楽しんでいる。


わが輩は旅先でおみやげを買いまくる輩を


これまでは軽蔑の眼差しで見ていた。


それがナント今度の旅でわが輩がしたことと云えば


同行のツアーの人たちの顰蹙を買うほど


いろいろと買いまくった。


 



ウルムチでは絨毯工場の売店で美しい絨毯を


買い込んだ。


着払いで一週間ほどで着くということだったが


ナント一昨日国際郵便で届いた。


 


これまでは10数年まえのマレイシア滞在中に


中国物産展で買った段通を敷いて


ひんやりとした肌触りを楽しんでいた。


 


ウルムチの絨毯は美しい模様でわが輩を魅了しただけに


マレイシアの古い段通は途端に色を失った。


早速居間に敷き込んで昼寝を楽しんだ。


 



 


ウルムチで訪れたウィグル族農家の葡萄棚の下で


踊ってくれた少年のおどけた顔。


 



ツアー客のためにズラッと並べられた乾し葡萄。



 


 現地女性ガイドによれば


葡萄は300種もあるという。


その中にいま流行の健康薬品同様に<加齢現象>に


効果がある3ヶ月間も乾したという高価な干し葡萄があった。


<頻尿>に効くなどの2種類を買い込んだ。


味は値段が三分の一の普通のものに比べ、


全く美味しくない。


 



本物の白檀の扇子は細工も良く、気前の良いまけ方に絆されて


つい買わされてしまった。


帰路、暑い上海空港での時間待ちの際「芳しい白檀の風」を


わが身に送り続けた。


悪い気分はしない。


 


まあ、先の短い人生だ。


心地よい昼寝を楽しみながら「ポックリと往けたらなあ」


などと思っている。


 


備忘録;


明日はお墓参り、帰路、厚木宮本庵で蕎麦を食する。


郵便局で敬老パスの払い込み。


絨毯代の海外送金、などなど結構忙しい。


本日の頭脳開発訓練はほんの少しの出費で済んだ。


旅の前に注文した「黒にんにく、高麗人参」が届く。


わが阪神は勝って中日に3ゲーム差に迫った。


 


 


 


 


 


 


 


タイトルも変更

2006-09-22 22:53:16 | 日記

 

Xin Chao

西安からの飛行機の中、

突然思いついた。

いい歳こいた小生が自分を若い「不肖」同様に

”俺”と呼ぶのは止めよう。

とは云っても

始皇帝なら”余”でも通るだろうが・・・

さて、

と云う訳で、”わが輩”と呼ぶこととした。

 

事の序でにタイトルも

「オムザの加齢なる人生」では

チト重い。

漱石先生からお借りして

「わが輩はオムザである」

とした。

 

今回のシルクロードの旅、

もっとも団体ツアーでは旅とも呼べないが、

成田から上海経由で北京に一泊。

翌日早朝、敦煌の空港に降り立った。

一瞬、白い光に眼が眩んだ。

空気も清涼で明らかに北京とは異なる。

 

最初は日を追っての旅行日記を書くつもりだった。

しかし、すでに多くの人がネットで

シルクロードを素晴しい写真付きで紹介しており、

わが輩の出番ではない、ことに

気がついた。

 

であれば、機首をぐる~と回転させて、

またの日に、わが輩独自の旅日記を書くことにする。

 

備忘録;

蕎麦屋で昼食、薬屋のYさんにもお土産の干し葡萄を手渡す。

青葉台駅近くの魚屋に寄り、働き者の嫁さんに毛蟹を選んでもらう。

豆腐屋で干し葡萄を渡し、店頭での「人生相談」に応ずる。

夕方、立ち寄った息子と毛蟹、天然ハマチなどをつまみながら

夜光杯で乾杯する。

 

 

 

 

 


無事帰国

2006-09-21 23:13:01 | 日記

 

Xin Chao

 

シルクロード・ツアーから今夕無事に帰国した。

もっと厳しい旅を予想していたが

道路やホテルなどのインフラは急速に良くなっており

”楽な”旅となった。

 

とは云ってもオムザの体力では歩きの多い

この旅、正直なところ結構応えた。

早目に寝ることにする。

 

旅日記は明日以降という事にする。

 

備忘録;

明日は壊れたスーツケースを宅急便で(航空会社もちの修理に)出す。

蕎麦を食べに行く時にお土産の<乾しブドウ>を忘れずに持っていく。

豆腐屋の分も忘れずに。

 

 


明日早朝に出発、だから・・・

2006-09-13 23:45:06 | 日記

Xin Chao

明日は5時台の電車、バスに乗り継いで成田に向かう。

ラジオ深夜便から早朝のラジオを聴いていると

最近早朝の交通事故が矢鱈に多い。

早目に空港へ行くのである。

 

やはり家に閉じ篭って近くを散歩しているのが

一番良いように思える。

しかし、である。

退職するずぅ~と前の50台後半には

しっかりと自分に言い聞かせていた。

わが残り少ない人生は「贖罪の人生」である、と。

<誰に対して>とか細かいことはどうでも良い。

大きく云えば「過去に対して」だろうか!

誓って「神さんに対してではない!」

 

さて、

という訳だから今夜はブログどころではない。

できるだけ早く寝ることに決めた。

旅から帰って気が向いたらまた恥じ多き人生の

思い出と向き合うこととしたい。

23日帰国の予定である。

検閲者からの声が飛んできた。

とほほ、

ナント帰国の日を勘違いしていた。

21日だそうである。

 

備忘録;

衣類の安売り量販店「コルモピア」へ行き長袖ポロシャツを購入。

万一に備えて新しいパンツも調達する。

武士の心得である。

 

買い置きの「ナイアガラ」を残さずに胃に入れる。

午前0時まえ、出発準備一応完了