今回は何故かベトナムではなく40年前のアフリカに跳びました。
あのアドリアーノのオフサイド気味の得点がなければ・・・
文字通りの惜敗でした。わが青春の地、西アフリカのガーナはブラジルを相手に一歩も引かない戦いをピッチに繰り広げました。NHKもTBSも何故かブラジル寄りのアナウンスでしたが、無理もありません。
1966年に当時戦火のベトナムへの派遣を希望していた私が派遣されたのは何処にある国かも知らなかったガーナでした。正直なところ、チョコレートのブランドネームとして知っていただけで、慌てて世界地図で確認したくらいです。
泥縄で読んだ本によると「白人の墓場」と呼ばれる程の高温多湿の地で黄熱病研究中の野口英世博士が亡くなったところでもあります。
詳しくガーナについて書くつもりはありません。ただ国際化を叫ぶ昨今の日本の政治家の知識は、官僚たちのネゴシエーション・スキルは・・・一度も海外に出たことが無かった40年前の私と比べて大きく変わったのでしょうか?
当時海外へは羽田空港からの出発でした。「ライオンに喰われるなよ」が横断幕で見送ってくれた友人たちの送別の言葉でした。
ブラジル戦でみせたガーナ人選手の身体能力は碌なものを食べていなかった彼らと相撲をとった時に嫌と言うほど実感させられました。テクニックの素晴しさは灼熱の空き地で裸足でボールを蹴っていた少年たちの姿から容易に想像できます。
そう、あの頃はテレビの取材もフィルムでした。
東アフリカではベトナム語のオムザはスワヒリ語でムゼーと呼ばれ年寄りではなくても敬称として、例えばムゼー・ケニヤッタ(初代大統領)のように使われていました。当時30代で独身だった私でさえムゼーと呼ばれたこともあります。
「モテナイ男はガーナへ行け」
出発前に読んだ週刊誌の「完全なフリーセックス社会。女性警官でも誘ったら直ぐにやって来る」との日本人滞在者のインタビュー記事。いまで言うODA派遣ダム建設の技術者のは話だった。
「嘘こきやがって!」が正直な感想でした。が、彼の言はホントウでした。
アフリカの大地と気質は セックスなど人生の大事ではない ことを教えてくれました。
このストーリーはいずれ小出しに紹介することにして・・・
今回は番外編としてオムザがムゼーになってしましましたが、長期滞在の最大の利点は
旅では味わえない経験が出来ることですね。
この所の暑さで散歩用に千円で麦藁帽子を買いました。ベトナムのノンなら十分の一で買えるのにと思いながら。(写真;ノンはハノイ市内でも女の行商人などに愛用されています)