以前にも紹介しました片柳弘史神父のブログで、マザー・テレサのこのようなことばが紹介されています。
「神の前でありのままの自分を受け入れられるなら、どんな称賛もあなたを思い上らせることはできないし、どんな悪口もあなたを傷つけることができません。」
お世辞に乗せられやすい、あるいは悪口や中傷に激しやすいというのは、自分がどんな人間かをちゃんと見えていないからかも知れません。どんなことばをかけられても、自分が進むべき方向を見失わないでいられるのは、一重に神によりたのんでいることによってのみ可能ではないかと、よく思います。
歯が浮くようなおべんちゃらに踊らされたり、悪口で人を憎むようになるのは、外から聞こえてくるノイズのほうが、存在の中心であるべき「何もの」かより興味があるということの証拠かもです。


「神の前でありのままの自分を受け入れられるなら、どんな称賛もあなたを思い上らせることはできないし、どんな悪口もあなたを傷つけることができません。」
お世辞に乗せられやすい、あるいは悪口や中傷に激しやすいというのは、自分がどんな人間かをちゃんと見えていないからかも知れません。どんなことばをかけられても、自分が進むべき方向を見失わないでいられるのは、一重に神によりたのんでいることによってのみ可能ではないかと、よく思います。
歯が浮くようなおべんちゃらに踊らされたり、悪口で人を憎むようになるのは、外から聞こえてくるノイズのほうが、存在の中心であるべき「何もの」かより興味があるということの証拠かもです。

