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現役セラピストのスピリチュアルエッセイ

現役セラピストが綴る、日々思うこと、感じたこと、気付いたこと。仕事のお話も少し。

浄化大歓迎

2011-11-29 21:37:02 | エッセイ
今の日本では、「浄化」が流行っているらしい。

断捨離しかり、「浄化」関連の本がやたらと目につく。

浄化、つまり洗い流し清浄にすることや、

もういらなくなったものを手放し、スッキリすること。(心身物質両面)

これは、今までの価値観が大きく変革していることがうかがえる。

20世紀までの世の中は、

新しいものを「得よう得よう」という動きのほうが主流だった。

物質的に豊かであることを求めて、

手に入れることこそが豊かさであると思われていた時代だった。

それが、今や、古いものを「手放そう手放そう」という動きが

大きくなりつつあるのだ。

つまり、今まで必要・大切だと思われてきたものが、

「もういらないんじゃ~ないの」

と見直されてきているということ。

これは、大きな変化と言えるのではないだろうか。

一定の物質的豊かさを手に入れることができたものの、

それらが幸せをもたらしてくれるわけではないことを、

多くの人が気付いたのだろうと思う。

むしろ、手に入れたことによって、

余計な執着や重荷を感じた人もいるのではないだろうか。

もう、たくさんの人たちが身軽になりたいのだろうと思う。

複雑さを生み出していた時代から、

より、シンプルな時代になっていくのだとしたら、

わたし的には、浄化大歓迎!である。

これからの時代のキーワードのひとつは、

「シンプルさ」や「軽やかさ」だとわたしは勝手に信じているくらいだ。

ただ、浄化もほどほどにね。

いつまでやってもキリがなくなるから、

ある程度軽くなったら、浄化に専念するのは終わりにして、

必要になった際に時々すればいい。

心身ともに浄化して、シンプルな自分に帰ったら、

あとは軽やかに、魂の自分を表現するだけだ。


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鵜呑みにしないように

2011-11-29 01:00:49 | エッセイ
わたしたちは、自分よりも目上だと感じる人や、

説得力のある人の意見を、つい鵜呑みにしやすい。

もちろん、相談をしたり、参考にする分には、

いくらでもすればいいと思う。

ただ、それに依存し、鵜呑みにし、

自分以外の他人に、何かを決めてもらうのは、

ちょっと怖いようにも思う。

例えば、「○○先生がそう言ったから」という理由で何かを選ぶのは、

全責任を○○先生に委ねて、自分で決める力を放棄しているように感じるし、

「じゃあ、○○先生が言うことにはすべて従うの?」

という話になってくる。

これがエスカレートしてくると、教祖と信者のような関係にもなりかねない。

その先生が良しと思ったものであっても、

もしかしたら、自分には合わない可能性もあるわけで。

だから、いったん、自分のフィルターを通して、

自分自身がどう感じるかを確認してから、決めたほうがいい。

その上で、しっくりきて、納得したのであれば、

それは鵜呑みではなく、自分で感じて決めた、ということになる。

そして、もし違和感があったら、

どんなに尊敬する先生や専門家の意見だとしても、

自分の感覚を優先したほうが、おそらくいいように思う。

自分の感覚や直感以上に、信じられるものはないと

わたしは思うからだ。

別に、自分の感覚を優先したからといって、

先生に罪悪感を覚えたり、裏切ったような気持ちになる必要はなく、

ただ、自分の感覚に正直になるだけでいいのである。

もし、そうして怒るような先生であれば、

それだけの人だったということである。

自分の直感は、内なる声であり、魂の意識とつながっている。

それは、どんなに尊敬する先生の言葉よりも、

大切にしたほうがいいのではないだろうか。

自分自身のスピリットとつながって生きることほど、

尊いことはないのではないか、とわたしは思う。

あ、もちろん、わたしの言葉も鵜呑みにはしないようにネ!

そして、先生や専門家と呼ばれる人たちは、

信者を増やすのではなくて、

よりよい選択肢を提示し、よりハッピーになれる人を増やすことに、

専念すべきだと思う。

もちろん、個々の選択を尊重しながら。


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どう在るか

2011-11-29 00:25:57 | エッセイ
わたしは、都内某所でセラピーやヒーリングを生業としている30代前半である。

セラピーやヒーリング、などというと、「??」という顔をする人、

興味津々の顔をする人、怪訝そうな顔をする人、羨望のまなざしをする人・・・

さまざまではあるが、

普段はいたって普通の能天気な一主婦である。

中には、セラピストをしているなどというと、

「すごーい!」と目をキラキラさせて言われたりもする。

それはそれで、「ありがとう」とは答えるが、

職業で尊敬したり、尊敬しなかったり、というのは、

ちょっと違和感を覚えるところだ。

正直、セラピストやヒーラーをしているからといって、

人格的に尊敬できるかどうかは、別問題である。

職種と人格(霊格といってもいい)を一緒くたにするのは、危険だとも思う。

どんなに立派な職種で、どんなに素晴らしい活動をしていたとしても、

心に「愛」がなかったら、それは表面的な行為に過ぎなくなる。

どんなに些細な、目立たない活動をしていたとしても、

心に「愛」があったら、それは愛の行為になり、

愛を広げる人になるのだ。

何をしているかは関係なくて、

どうあるかという「在り方」のほうが、大切なのだと思う。

都内に、すごい「おはようございます」を言うガードマンがいるそうだ。

その方が笑顔で発する「おはようございます!」の一言には、

とても高いエネルギーがこめられており、

聞いたとたん、視界がパアッと開けるほどのパワーがあるということ。

わたしは聞いたことはないが、

まさに、愛の「言霊」の宿った挨拶なのだろうと想像する。

そんなふうに、

スーパーのレジ打ちであろうと、

ビルの清掃員であろうと、

会社員であろうと、

派遣社員であろうと、

自衛隊であろうと、

セラピストであろうと、

占い師であろうと、

先生であろうと、

主婦であろうと、

何をしていても、どこにいても、

わたしたちは愛を広げる一人になりえるのだ。

それには、職業は関係ないのである。

要は、どう在るか、なのだ。


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