それは、小学校半ばの歴史の授業のこと。
わたしは、ふと気付いたことがあった。
確か、第二次世界大戦についての授業だったと思う。
「今は、戦争はしてはいけないこと、となっているのに、
過去の時代では、戦争は天皇のためとして讃えられていた。
時代によって、常識は変わるんだ。
ってことは、絶対的に正しい常識なんて、ないってことだ!
今、常識と思われていることが、いつかはそうでなくなる可能性もあるんだ」
そう思った時に、パアッと目の前の視界が開けたような、不思議な感覚があった。
悟り・・・なんていったら大げさだが、
パンッと目の前で手をたたかれて、目を覚ましたような感覚だった。
元々、「常識」というものに対して、疑問を持っていた子ども時代。
親が常識的なタイプだったため、
余計、反発や違和感を感じていたのかもしれない。
常識的に生きることが悪いということではないのだが、
常識的に生きることが、わたしにとっては枠にはめられるようで窮屈で、
決して「自分らしい」とは思えなかった。
そして、あの気付きの体験によって、
「常識よりも、自分を信じよう」
小学生のわたしは、深いところでそう決意した。
おそらく、このときの決意は、
今のわたしの心の奥でしっかりと根付いているように思う。
常識を選択するか、自分のハートを選択するかという選択に迫られた時、
たいてい、自分のハートを選択してきた。
20代半ばで退職し、一人でセラピストとして開業したことも、
一般常識からすると、おそらく<非常識>に映ったことだろう。
周りからすると、「大丈夫か?」と思われたり、
奇想天外に見えたこともあったかもしれないが、わたし自身は後悔はないのだ。
今でも、わたしは常識というものをあまり信頼していない。
それは時代の流れによって、変わるものだから。
そして、これからはますますこれまでの常識が覆されていく時代に突入すると思う。
経済、会社組織、教育、環境やエネルギー問題、などなど・・・
移り変わりゆく時代の中で、何を選び取っていくかは自分次第なのだ。
常識的な人生を選ぶのか、自分らしい人生を選ぶのか。
わたしたちには、選ぶ自由がある。
正しい間違いはなく、どちらでもOK!なのだ。
もちろん、両極端ではなく、
常識と自分らしさの間をかいくぐっていく生き方だってあるだろう。
そうそう、わたしは常識は信頼していないが、<良識>は持っていたいと思う。
仕事において、人間関係において、コミュニケーションにおいて、
大人としての良識やマナーは大切にしたい。
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