On The Earth

いろいろ興味があることを、とりあえず書き連ねてみる。

新しい資本主義社会到来の可能性

2010-01-20 04:59:14 | いろいろ
いつもは徹夜しつつも、その日の朝とか午前中に4,5時間くらい寝てたりするんだけれど、今日(昨日)はほんとに寝てなくて、ようやく家に帰ってきたのが8時くらいで、そのまま睡眠。。。。けれども、投げられた話題がおもしろかったからなのか、そういう半分寝ながら動いているような日に限って、とてもとても興味深いアイディアが浮かんでくるものらしく。新しい資本主義社会が到来する可能性について。資本主義社会が「資本主義」のまま抜本的に変質する機会があるとしたら、それが今だし、それはおそらく過去10年か20年くらい前から始まっていて、今後10年は続いてくと思う。早い会社とか目利きの人は、もうそういう社会で生きていくノウハウを持っているか、あるいは少なくともそれを構築中のはず。そしてその変化はおそらく大規模な組織からは起こりにくい。

リーマン以降、社会科学の世界で(あと実は私の知る限り映画界でも)、資本主義、社会主義、ときによっては共産主義再考というような風潮があるなかで、資本主義の強みが実感を伴ってわかってきた。冷戦はやっぱり共産主義に対する資本主義の勝利だったし、2010年から顧みると、それは現代社会が発展する原動力をも示唆していたように思う。資本主義の原動力は利益追求、利潤最大化だと思っていたし、それも間違いではないのかもしれないけれど、たぶんそうじゃない。そうすると、金融危機がおそらく組織災だったとみなすことができるし、社会が国があるいは制度がそれを容認してきたという意味では、人災だったとうこともできる。責任を、国にもとめるなら国家災、政府災。国家(民主主義前提)が国民の意志に拠って行動しているとするなら(政治学的にはそのはずだけど)、それが人災、市民災、デモクラシー災であるということもできる。ただ、金融危機についてはあまりそうじゃないのかも。金融危機発生における問題は、資本主義社会において「自由」であることの本質的問題が問われないまま、自由放任がよしとされたこと。そこにデモクラシーの入り込むすきがあったかは、甚だ疑問。アメリカ社会の格差をみれば(実際には見たことありませんが)、その弊害は明らか。資本主義モデルは、何をもってなりたっていたのか、それはモデルとして再現・継続可能なのか、humanitarianな意味合いにおいて継続は推奨されるべきなのか、再考する必要はあるでしょう。「金融界」に直接関係せず生活する一般市民にとって、金融危機は人災でしかありませんから。ウォール街が恨まれるのは当然。グローバルに波及した人災。

これはまた本質のズレる別の話になっちゃうけど、コペンのcop15の失敗にみられるように、世界が温暖化対策を共有できないのことを、民主主義国家社会のグローバルな市民災の発生とみなすこともできる。(世界は民主主義国家だけじゃないとう事実は横に置いておくとして)。とすると、グローバルなデモクラシーが実現した世界では、市民は自己の生存期間の利益(お金、便利さetc)追求を最大化することにより、地球の寿命を縮めるという選択を消極的に、あるいはともすると積極的に選択する可能性が、高いということなのでしょう。もとも、政府の失敗を市民に押し付けて国家を擁護するつもりはありませんが。それでもなお、デモクラティックに地球崩壊への道が選択されていくのはみもの。ちなみに、cop15が1919年のパリ講和会議を連想させることの詳細はまた別稿に譲る。

意味が分からなくてごめんなさい。頭の中は、この2割増くらいくらいはまとまってるけど、それはまだpublicにしたくない。だけど、今日のひらめきは今後の私の考えに少なからぬ影響を及ぼす可能性が高いので、記念にメモしただけです。それに、派生して思いつくことが多すぎて、うまくいろんなひらめきをまとめきれない。あとは、publicにするのがもったいないので、仮にうまく考えがまとまったとしても、そんなにすぐにはブログに出さない予定。といっても、私が思いつくくらいのことだから、おそらく岩波文庫にをたどれば、100年前か200年目か、ひょっとすると紀元前にも、同じようなことを書いている人はいると思うし、新書レベルでも何かしら似たようなことを思いついついている人はいそうだけど。というわけで、詳しく聞きたい人がもしいたら、個別にお問い合わせください。ただ、たぶん1月はかなりの程度で捕まりません。2月以降の詳しい予定は未定だし忙しさは続くと思うけど、たぶん1月よりは会いやすいと思います。

ちょっと書いてすぐ寝るはずが、1時間半も経ってしまいました。。まだまだ睡眠が足りてないので、もうちょっとだけ眠ります。

essay season

2010-01-19 04:23:39 | いろいろ
still working on an essay which due in 12 hours. need to write three more pages. i think i have enough resources to write, but already tired and sleepy. nevertheless, need to work now. wanna complit it as soon as possible. hope to sleep at least a few hours before leaving home. the topic for the essay is interesting, so far.

アラブ商人は船旅で何を飲んでいたのか

2010-01-18 02:30:58 | いろいろ
毎日濃い夢ばかり見て、朝から疲れちゃう。寒いし、頭と足先に血が通ってない感じがするし。一つ二つ片付けても、やらなきゃいけないことは山積み。動き続けているときは平然としていられるけど、ちょっと止まるといろんなことを思い出してテンション急降下。回復して復帰するまで時間がかかりすぎる。今週末課題がはかどらなかったのは、センター会場で大学に入れなかった(厳密には学生証があれば入れるらしいけど)ことにしとく。まだまだレポート書こうと思っていたけれど、朝が早かったからなのか、掃除をしてこたつを導入したからなのか(東京の寒さはたかがしれてるけどフローリング寒いんだもん)、ものすごい睡魔が襲ってくるので、今日はあきらめて明日また早起きする。。少なくとも早めに起きる。。

今日、とてもどうでもいいことが頭の中を通り過ぎて行ったんだけど、その割に気になるから書いとく。イスラム教が飲酒を禁止していることの合理性について。イスラム教徒がすんでいるのは砂漠のイメージ。というとかなり偏見ですが、少なくとも乾燥地帯や常夏系な国がほかの宗教に比べて多いと思う。とくに乾燥地帯は、水が手に入りにくい地域。そんなところでアルコールを体に入れちゃうと、どんどん喉が渇く。だけど、そこでいくらでも水が飲めるほど、供給がなかったわけ。砂漠でお酒を飲むなんて、下手すると自殺行為。だから、アルコールを禁止にして、不必要に水を消費するのを避けたのかも。西欧人は長い船旅でアルコールをたくさん飲んでいたから未だにアルコール分解力が高くてお酒に強いけど、日本人は海水を水に変える方法を早い時期に発見して船旅でお酒を飲む必要がなかったから今もお酒に弱い、というのは(真偽のほどはさだかじゃないけど)有名なお話。ではでは、アラブ人(≒イスラム教徒)は同じ時代に、船で長旅しなかったのでしょうか。。ヴァスコ・ダ・ガマはアラブ人の船乗りを案内人に使ったという噂を聞くし、アラブ商人が大人しく陸路だけで交易していたとは、ちょと考えにくい。ヨーロッパの大航海時代みたいに大冒険旅行をするような探検家はいなかったとしても、真水が腐るくらいの時間、船で長旅することはあったのでは?だとするなら、飲酒厳禁のイスラム教徒は何を飲んで生きていたのでしょう(一応アラブ人=イスラム教徒という前提で)。アラブ人も海水を真水にするノウハウを早くから知っていたのか、アラビアンな船乗りはリベラルでお酒を実は飲んでたのか、もともと砂漠育ちで水分なんてほとんどとらなくても余裕だったのか。そもそも、船で長旅なんてありえなかったのか。謎は深まるばかりです。イブン・バットゥータの旅行記を読めば、書いてあるのかなぁ。などなどと、ひょんなところからタジン鍋をもらい(最近はやりのタジン鍋って、本物のタジンを食べたことがある私はけっこうバカにしてたんだけど、意外と便利かも)、蒸し温野菜を食べながらはるか遠い時代の砂漠の国とイスラム教徒の人々に思いをはせたのでした。

ちなみに、このブログの背景はサハラ砂漠とバルト海。砂漠も海も楽しいけど、どちらかから1か月くらい出られないとしたら迷わず海を選びます。砂漠も海のように無限の広がりを感じさせる場所ではあるけれど、それと同時にじわじわとした閉塞感を味わわせる場所でもあるので。長居するなら、危険なくらいに開けてる海のほうがいい。アラビアのロレンス的なラクダの旅より、パイレーツ・オブ・カリビアン的船旅希望。砂漠育ちのアラブ人が海に出るとしたら、それは楽しいことだったんだろうか、それともストレスフルなことだったのだろうか。

注:参考文献ゼロで全部私の頭の中および過去に歩いた場所の限りで完結しているお話なので、興味がある人はぜひちゃんと調べて、アラブ人が長い船旅をしたのか、したならそのとき何で水分補給したのか、教えてください。参考文献も募集中。

2010年代の始まりにあたって

2010-01-12 02:08:55 | いろいろ
何気に2010年初エントリー。00年代が終わって、2010年代に突入。2000年代をなんて呼ぶか、英語圏ではなんと呼ぶか論争があるらしい。double os(ダブルオーズ)って、いいと思うけど。あとは、英語的に正しくなさそうだけど、ダブルオーズとthe first decade in the second milleniamを適当にアレンジして、doble o decade(ダブルオーディケード)とかzerozero decade(ゼロゼロディケード)(これらは自作)推薦。誰かがたとえばdouble osとかタイトルに映画を作ったら、それだけでもう呼び方は定着するとおもう。興味がある人がいたら、歴史に知る人ぞ知るマイナーな人物として名を残すチャンス。「2000年代をなんと呼ぶかは論争がありましたが、○○監督がdouble osというタイトルの映画を製作して、以後double osという呼び方に落ち着きました」と。日本語ではゼロゼロ年代でいいと思う。二千年代って呼ぶと、2000年以降の未来1000年間を含んじゃう気がするので。あと、英語との整合性を気にしないなら、ミレニアム年代、とかね。ま、これは高齢化社会日本での普及は難しいでしょう。

1990年になるときの記憶は皆無だけど、2000年になる時に何かと騒がしかったのは覚えてる。それから10年。あっという間だけど、振り返ると10年分の年月が埋まるくらいのことはしたと思う。10年前、ショッキングな出来事がなく全体的に限りなく安定していた分、毎日にあんまり面白みもなくて、とにかくいろんなフラストレーションを抱えた中学生。顧みれば、いつか絶対日本を出ようと決意したのが14歳の夏だったので、それから10年がたったということです。国際面だけだったけど、当時のほうが時間をかけて新聞読んでたなぁ。今は、読むというよりさらっと見るくらいだし、自分にとっての新聞から得られる情報の価値は低下の一途をたどっています。そして、大学進学でホームから脱藩して、その後日本からも脱出して、ようやく日本に住むフラストレーションや違和感が抜けてきた10年でありました。そしてなんかさまよい続けているここ2、3年です。

鳩山首相が丸善で本を買いあさった記事をみたのですが、何をいまさら、という感じ。何年も前にはやったトーマス・フリードマンの『フラット化する世界』を未だに読んだことがなかったと、それを首相になった今、堂々と記者の前で購入できちゃうという危機感の薄さに、驚愕せざるを得ません。ジャック・アタリの2冊も、ちょっと前にでた本だし。私もちらっと見たくらいの本だから、あまり強く批判はできないけど。野党時代のほうが明らかに余裕で読書する時間あったはずなのに、いったい何してたんだろう。アンテナの低さと有能なブレーンに恵まれていないことを自ら露呈したように思います。そして、学部時代に優れた本をどんどん紹介してくれるゼミの先生に会えたことは、とてもとても幸せなことだと思う。

過去数年、日本が衰退していくのをひしひしと感じていたけれど、ここ1年くらいはもう、音をたてて崩れていくのが見えるくらい。民主党に政権交代してよかったことがあるとすれば、日本のfalling apartが目に見えるようになったことかなあ。自民党の場合も、衰退しているという意味では一緒だったけど、それが目に見えにくいところで進んでた。ちょうど、癌の進行みたいに。だから、ずっと自民党政権が続いていた場合は、ある日突然末期状態であることが明らかになってそのままfall apartしたと思う。ひるがえって民主党の崩壊への進み方は、生傷とか骨折とか、目にみえやすいもの。外科的。なので少なくとも、日本社会が今後大きく危機感を共有していくと思われる。(というかしていかないなら終わってる)。一方で、危機感が増せば増すほど、おそらく鳩山政権の寿命は短くなるのではないかと思われる。とにかく、日本がfalling apartしているという現状は民主党政権になっても変わっていないし、おそらく今後もそんなに簡単には変わらない。

以上、2010年年頭所感。

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鳩山首相購入書籍リスト
1.日本辺境論(内田樹)
2.逝きし世の面影(渡辺京二)
3.闘うレヴィ=ストロース(渡辺公三)
4.日本国家の神髄(佐藤優)
5.「情」の国家論(山本峯章、村上正邦、佐藤優)
6.新自由主義か新福祉国家か<民主党政権下の日本の行方>(渡辺治、二宮厚美、岡田知弘、後藤道夫)
7.文化力-日本の底力(川勝平太)
8.ワールド・カフェ~カフェ的会話が未来を創る~(アニータ・ブラウン、デイビッド・アイザックス、ワールド・カフェ・コミュニティ著、香取一昭、川口大輔訳)
9.ネオリベラリズムとは何か(デビッド・ハーベイ著、本橋哲也訳)
10.新自由主義-その歴史的展開と現在(デビッド・ハーベイ著、渡辺治、森田成也、木下ちがや、大屋定晴、中村好孝訳)
11.談志 最後の落語論(立川談志)
12.昭和史<戦後篇>1945-1989(半藤一利)
13.レヴィ=ストロース講義(クロード・レヴィ=ストロース著、川田順造、渡辺公三訳)
14.暴走する資本主義(ロバート・ライシュ著、雨宮寛、今井章子訳)
15.日本型資本主義と市場主義の衝突-日・独対アングロサクソン(ロナルド・ドーア著、藤井真人訳)
16.日本語が亡びるとき-英語の世紀の中で(水村美苗)
17.動的平衡 生命はなぜそこに宿るのか(福岡伸一)
18.確率論的思考 金融市場のプロが教える 最後に勝つための哲学(田渕直也)
19.21世紀の歴史-未来の人類から見た世界(ジャック・アタリ著、林昌宏訳)
20.ブラック・スワン(上)-不確実性とリスクの本質(ナシーム・ニコラス・タレブ著、望月衛訳)
21.ブラック・スワン(下)-不確実性とリスクの本質(同)
22.新しい資本主義(原丈人)
23.フラット化する世界(上)(トーマス・フリードマン著、伏見威蕃訳)
24.フラット化する世界(下)(同)
25.金融危機後の世界(ジャック・アタリ著、林昌宏訳)
26.世界の経済が一目でわかる地図帳-お金、人、資源、環境……世界はこう動く!(ライフサイエンス著)
27.虹色のトロツキー(7)(安彦良和)
28.虹色のトロツキー(8)(同)
本を読むのはいいのですけど、仮にも日本の最高権力者。28冊の内容くらいさらっと要約して教えてくれるブレーンはちかくにいないのでしょうか。