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AAR/CIV4HR/駱駝にのった預言者

2021-10-17 20:57:22 | AAR/CIV4HR/駱駝にのった預言者

騾馬にのった預言者は磔にかけられた。
駱駝にのった預言者は世界を征服した。

*SETTING

Game:CIV4
Mod : History Rewritten v1.25.2beta
Leader : Abu Bakr(Arabia)
Difficulty : Noble

*聖遷まで

ぼくか? ぼくの名前はアブ・バクル。ひとはぼくのことを親しみを込めて「あぶさん」と呼ぶよ。

ぼくたちアラビアのベドウィン族は砂漠の民だ。砂漠で生まれ、砂漠で育ち、砂漠で死んでいく。

メディナは氾濫原のもとにある街だ。金と石が豊富だった。
そこで文明が育ち、発展し、いつしか世襲制Inheritanceが生まれた。
世襲貴族たちが支配するアラビアは、君主制を採用し、それは「パルティア帝国」と呼ばれて隆盛を誇った。

文明がまた育ち、また発展し、メディナに神託所oracleが建設された。
神託所oracleのもとには記録管理record keepingに携わる一人の神官が居た。それがのちの預言者だ。

預言者は、神の言葉を預かっていたために、パルティアの世襲貴族たちから次第に疎んじられるようになった。
世襲貴族は万民の平等を唱える預言者を迫害した。預言者はぼくたち支持者をしたがえてメディナを脱出することにした。

預言者たちは西に赴いた。
なぜなら、メディナの東方にはペルシャとベルベルがおり、南方にはチベットがいたからだ。北方は峻険な山岳だった。だからぼくらは西方にしか行く当てはなかった。
「石と香料の道」と呼ばれる隊商ルートを通って、ぼくらは湖のほとりにある塩の産地に到着した。
そこで預言者とぼくらは第二都市メッカを建設した(t97)。これが聖遷だ。

*預言者とともに

神託所oracleの記録管理官record keeperである預言者は、メッカで指導者となった。
彼はイスラームislamを創始した(t139)。
イスラムは一神教Monotheismが特徴で、預言者は教義として異端審問Persecutionと祝祭Ceremonyを選択した。

イスラームの指導者として彼はアラビアの採用するべき道を示した。
彼はまず筆記writtingを、そしてつぎに雇用employmentを研究した。筆記writtingと雇用employmentは法律lawの前提条件であり、それは騎乗ridingを経由して、「高貴さ」nobilityにつながっている。ぼくたちはこの「高貴さ」nobilityの発見に全力を尽くした。なんとなれば、「高貴さ」nobilityは、駱駝騎兵を解禁してくれるからである。

駱駝騎兵Camel Archerは砂漠での戦闘に強い、機動力2、戦闘力8の騎兵ユニットだ。アラビアのUUの一つでもある。
とくに野戦では、同時代のユニットで駱駝騎兵Camel Archerにかなうユニットはほぼ存在しない。

ぼくらは聖遷から約1500年後に「高貴さ」nobilityを発見し(t189)、駱駝騎兵Camel Archerを解禁した。

ぼくらが駱駝騎兵の解禁を急いだのは、ほかでもない、隣国の侵略が目前に迫っていたからだ。
東方のベルベル族は馬と銅をもつ尚武の民で、彼らはぼくらに宣戦布告して首都メディナに迫った。
騎乗兵とチャリオットを主体にした彼らは、四手に分かれて首都メディナに進軍した。
預言者の街は絶体絶命だった。

だが駱駝騎兵の緊急生産が間に合った。
ベルベルの軍が砂漠に足をとられているとき、メディナに配備された駱駝騎兵が敵の包囲攻撃を防ぎ切った。
彼らは敗走をはじめたので、ぼくらはそれを追った。メディナにある金鉱の近くの砂漠の丘陵でぼくらの駱駝騎兵は敵の騎乗兵を散々に打ち破った。
形勢は逆転した。

駱駝騎兵によるアラビアの征服運動はこのときにはじまった。
ぼくらはt206にベルベルのThuggaを攻略した。ここはベルベルの銅山がある主要拠点で、敵はここをうしなって戦意を喪失し、和平を請うてきた(t213)。

ベルベルとの戦争に備えて緊急生産を続け、溢れかえった駱駝騎兵はさらなる征服先を探した。
西南にチベット族がおり、ぼくらは彼らに宣戦布告した(t215)。宣戦布告と同時にLadakhを攻略した(t215)。
チベットもまた駱駝騎兵の前に戦意を喪失しており、和平を受諾した(t216)。

北方には峻険な山岳地帯のさきにポルトガル王国が存在した。
つぎの目標は彼らだった。ぼくたちはポルトガル王国に宣戦布告し(t221)、Toledoを攻略し(t227)、和平した(t227)。

つぎの目標は、東方の帝国ペルシャだった。
ペルシャに宣戦布告し(t235)、Aspadanaを攻略し(t236)、和平した(t238)。

それはぼくらの最盛期だった。
隣国は皆、ぼくらの征服運動に震え上がったものだ。
ベルベルも、チベットも、ポルトガルも、ペルシャも、敵ではなかった。
駱駝騎兵は砂漠ではバフのつく、最強の兵科だった。ぼくらは駱駝にのって世界を征服した。

戦役のあと、預言者とぼくらはメディナに帰国し、預言者はそこで没した。自然死だった。

*黄昏のとき

預言者が亡くなった後、アラビアは斜陽の時代を迎えた。
征服した諸都市は謀反を企み、その鎮圧にぼくらは頭を悩まさなければならなかった。
黄金期の発動やイスラム教の布教などによって、なんとか征服した諸都市は反乱しなかった。だが危ないときは何度もあった。
ストライキが頻発した。ToledoとLadakhはストライキでほとんどつかいものにならなかった。
ベルベルとペルシャは報復を何度も企ててきて、ThuggaやAspadanaは幾度か取り返された。まあ、再征服したけれども。

戦争と内乱が、預言者のあとの時代のアラビアの特徴だった。

ぼくらは結局、宇宙船も国連も目にしないまま21世紀を迎え、スコアでチベットに敗れた。

おわり

 


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1 コメント

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Unknown (Unknown)
2021-10-25 15:04:18
いつも一代記しか書けないからパラドよりCivのほうが向いてるね
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