今日2回目の更新ですね。
今日の日曜美術館で木田金次郎の話が有りました。
北海道で独学で絵を描き続けた画家で、東京に出てくるのを夢見ていたが、土地に根付き、漁師をやめて、貧乏なまま一生北海道の自然を描き続けたそうです。
この話を聞くと、私は田中一村を思い出します。
もう何年前かな~。まだ新宿伊勢丹に美術館が有った頃で、何気に知った絵がとても気になって見に行ったのですが、その生き様が凄くって・・・。
東京芸術大学で日本画を学び、同期に東山魁夷など有名な方々と一緒に絵の世界を始めましたが、友が次々と絵の世界で認められていくなか、一村の絵は時代に認められなく、一向に暮らしは厳しくなっていきます。
でも、自分を信じ、諦めずに、仕事をしてお金を稼ぐと、仕事をやめて絵を描く、またお金が無くなると、仕事をしてお金を貯めて、また絵を描く生活を続けていきます。一村のお姉さんも、弟を信じ、結婚もしないで、一生支えていきます。
奄美に移り、同じように染色工場で働いては、絵を描く生活を死ぬ間際の69歳まで続けます。結婚もしないで、ただ自分を信じて・・・・。
本当にボロボロの家に住んで、絵を描くだけ、人に認められる事ではなく、描きたいから描く、それだけで満足して生きる人生、けど、きっと人間ってそんなに沢山自分を満たすものって無いのでしょうね。
モノや情報が沢山有りすぎて、自分は何でもできる、結婚して、仕事も楽しく、遊びも楽しく、楽して生きたい、あれも欲しい、これも欲しいと思う人って多いのかな。
そう思うと、1つでもやりたい事があった木田金次郎や田中一村は有る意味幸せな人生だったのかもしれませんね(周りは大変でしょうがね)。我を通すって難しいでしょうね。
私の芯の中にも、この一村さんや金次郎さんのような気持ちが有るのでしょうね。何かを一途に貫きたい思いが私の存在を維持しているんだろうな~。
私も久しぶりに田中一村の伝記“アダンの画帖”を読みましょうかね。
そしてこの絵が私の心を震わせた絵「アダンの木」です。
今日の日曜美術館で木田金次郎の話が有りました。
北海道で独学で絵を描き続けた画家で、東京に出てくるのを夢見ていたが、土地に根付き、漁師をやめて、貧乏なまま一生北海道の自然を描き続けたそうです。
この話を聞くと、私は田中一村を思い出します。
もう何年前かな~。まだ新宿伊勢丹に美術館が有った頃で、何気に知った絵がとても気になって見に行ったのですが、その生き様が凄くって・・・。
東京芸術大学で日本画を学び、同期に東山魁夷など有名な方々と一緒に絵の世界を始めましたが、友が次々と絵の世界で認められていくなか、一村の絵は時代に認められなく、一向に暮らしは厳しくなっていきます。
でも、自分を信じ、諦めずに、仕事をしてお金を稼ぐと、仕事をやめて絵を描く、またお金が無くなると、仕事をしてお金を貯めて、また絵を描く生活を続けていきます。一村のお姉さんも、弟を信じ、結婚もしないで、一生支えていきます。
奄美に移り、同じように染色工場で働いては、絵を描く生活を死ぬ間際の69歳まで続けます。結婚もしないで、ただ自分を信じて・・・・。
本当にボロボロの家に住んで、絵を描くだけ、人に認められる事ではなく、描きたいから描く、それだけで満足して生きる人生、けど、きっと人間ってそんなに沢山自分を満たすものって無いのでしょうね。
モノや情報が沢山有りすぎて、自分は何でもできる、結婚して、仕事も楽しく、遊びも楽しく、楽して生きたい、あれも欲しい、これも欲しいと思う人って多いのかな。
そう思うと、1つでもやりたい事があった木田金次郎や田中一村は有る意味幸せな人生だったのかもしれませんね(周りは大変でしょうがね)。我を通すって難しいでしょうね。
私の芯の中にも、この一村さんや金次郎さんのような気持ちが有るのでしょうね。何かを一途に貫きたい思いが私の存在を維持しているんだろうな~。
私も久しぶりに田中一村の伝記“アダンの画帖”を読みましょうかね。
そしてこの絵が私の心を震わせた絵「アダンの木」です。