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おきると荘の書斎

おきると荘の書斎へようこそ。
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生と死と

2014-12-24 03:52:00 | 小説
クリスマスイブですね。


サイコドラマ⑪

 波は、減衰しながら広がっていく。

 村谷さんと衝動的にキスをしてから、1か月が経った。学校も本格的な受験体制に入り、生徒は志望校によってある程度区別され、そのグループで授業を受けていた。僕は相変わらずどこに行きたい、という思いのないままだったけれど、一応それなりに出来るグループに入っていた。いうなれば、朝や放課後の少々の時間を勉強に当てたところで、大して意味がないということを証明したわけだ。少なくとも、僕は内心でそう思っていた。もちろん、表に出したりはしなかったが。



 キスをした後、僕は村谷さんと駅に向かった。どちらも無言だった。そして、どちらからともなく別れの挨拶をして、電車に乗った。家に帰るまで、その時の記憶はほとんど消えてしまったように感じられた。しかし、家に帰って勉強机に向かった途端、キスの記憶が生々しく頭に浮かんできた。村谷さんは、突然の僕の行動に呆気にとられたような目をしていたけれど、しばらくすると目を閉じ、僕を受け入れてくれたようだった。僕は勉強机に向かい、参考書を引っ張り出してきた。しかし、どんなに真剣に目を通そうと思っても、触れた唇の柔らかい感覚や、つかんだ腕のほっそりとした感じ、そして、彼女の腕にできた一筋の亀裂の、美しい痛々しさが勝手に頭を駆け巡って、本の内容は一向に頭に入ってこなかった。
 僕は仕方なく自分の部屋を出て、階段を降りた。そして、コップに水を注ぎ、一気に飲んだ。母親は忙しそうに夕食の支度をしていた。じゃがいもがお湯の中を転がっているようなにおいがする。
 「今日のご飯は何?」と、僕は特に興味もないことを尋ねた。
 「作りながら考える」と、母親は忙しそうに答えた。
多分、何を作るかはもう考えてあるのだろう、と思った。ただ、色々と文句を言われても面唐セから、出来てから有無を言わさずに出すつもりなのだろう。僕はそんなことを思った。そして、村谷さんとの出来事は、どう転んでも母親にできるものではないなと思った。
 再び階段を上がり、自分の部屋に入った。椅子に座って参考書を再び開いてみると、今度はさっきよりも、内容が頭に入ってきた。30分ほどして、玄関のドアが開く音がした。父親が仕事から帰ってきたのだと思い、もう少しで夕食だろうか、などと考えた。そして、父親にこの日あったことを話せるだろうか、と考え、すぐに無理だという結論に辿り着いた。父親どころか、友人にも言えるようなことではない。そう思った。そして、少し罪悪感を覚えた。今までに、これほど人に言えないような体験をしたことがあっただろうか。僕は思いを巡らせた。そして、桜の木の模様が唇に見えた日のことを思い出した。そして、加藤先生の家での一件を思い出した。秘密にしなければならないようなものではない。しかし、僕はこれらの体験も、人に言うことのできないものだと感じた。それは、言う程のことでもない、というのとはまた違う、何故か秘密めいた体験だった。



 あの日以来、僕は村谷さんと顔を合わせていなかった。どちらも、学校には毎日行っている。しかし、キスしたことをどう話していいのか分からず、なんとなく会いに行けなかった。学校では周りに人がいる、というのも、会いに行けないひとつの原因だったかもしれない。
 授業が終わって、僕はひとりで駅前のマックに行った。元々あまり都会ではないおかげで、夕方でもあまり混雑していなかったので、僕は時々気分転換のために、マックで勉強していた。勉強といっても、ろくに集中できない所だというのは分かっていたから、暗記ものではなく、数学や化学の問題を解くようにした。暗記は全力で集中できる時にやらねば、自分でも気付かない記憶の穴ができてしまう。そして、自分が気付いていない穴は、落とし穴だ。これが僕の持論だった。
 「小池君」何問か解いたところで、声をかけられた。
村谷さんだった。村谷さんはいつも、僕の名前を呼び、遠慮がちに話しかけてきた。
 「今勉強中だよね」
 「いや、気分転換だし、全然平気だよ」
 「本当に? ここ、座ってもいい?」
 「うん、どうぞ」
村谷さんは、4人鰍ッのテーブルの、僕の正面にある椅子に座った。そして、しばらくの間、僕が解いていた数学の問題を見て、色々と労いの言葉をかけてくれた。
 「腕の傷はどう?」と、僕はむず痒い気持ちを誤魔化すために聞いた。
 「もう大分良くなったよ」村谷さんはそう言いながら、白いブラウスの腕を捲った。
確かに、新しい皮膚が、ほとんどリストカットの傷を覆っていた。それ以来、傷が増えている様子もなかった。
 「私、やっぱりこの方法は向いてなかったみたい」村谷さんは、少し残念そうな表情をしているように見えた。
 「どういうこと?」
 「こうやってリスカしてみたら、好史の気持ちが少しは分かるかと思ったんだけど」
 「分からなかったんだね」
 「うん。ただ痛いだけだった。変な声が出たよ」と言いながら、村谷さんは寂しそうに笑った。
 「人によるのかもね」何と言っていいのか分からなかったので、僕は要領を得ない返事をした。
 「うん」村谷さんは肯いて、少し下を向き、何かを考えているようだった。
 「やっぱり、ただ切っても痛いだけなんだな、って思った」
 「というと?」
 「うん。さっきも言ったように、私は、好史の気持ちを知ろうとして、リスカしてみようと思ったのね。確かに痛いだけだった。でも、もし好史が死んで物凄く悲しかった時に、同じように考えてリスカしてたら、きっと気持ち良かったんじゃないかと思うんだよね。なんて言うんだろう……気持ちに対する答えが出る、じゃないけど。問答無用で痛みがやってきて、その瞬間だけぱっと気持ちが昂るような感じになって。それで、血が流れて、少しずつ落ち着いていく。思いっきり泣いた後みたいな」
 「オナニーした後みたいな?」僕は無意識に聞いていた。
村谷さんは、はっと目を丸くして僕を見た。
 「あっ、ごめん」僕は、村谷さんから目を逸らした。
 「……うん、そんな感じ、かな」と、村谷さんは歯切れ悪く言った。
完全に失敗したと思い、居た堪れない気持ちになっていた僕は、驚いて村谷さんを見た。村谷さんは、まだ少し視線を落としたままだったけれど、顔は赤くなっていた。
 「そっか――」僕は努めて冷静に返した。
そして、トレイの上に紙ナプキンを敷き詰め、その上にャeトを広げて、村谷さんにも勧めた。ャeトの味がとてもはっきりと感じられた。
 「村谷さんは、強いんだね」僕は言った。
 「全然強くないよ」と、村谷さんは言った。
確信に満ちたような言い方だった。
 「村谷さん、この前はごめん」僕は、不意にキスのことを思いだして、謝った。
 「平気」と、村谷さんは言った。
 「私、自分がリスカしてみたってことを、あの時小池君に伝えたいと思った。お母さんやお父さんに言えるはずもないし、友達にだって、絶対言えないんだけど」
 「いや、なんて言うか、あいつにも申し訳ないとか、思わないでもないし」
 「それは、私には何の権限も無いけど」村谷さんは、ばつが悪そうに俯いた。
 「でも、あの時、凄く自然な感じがした。無理矢理された、みたいな嫌さは全然無かったし」
 「俺も、気付いたらあんなことしちゃってたんだよな……村谷さんの傷を見て、話を聞いてたら、なんか凄く悲しい気持ちになって。その後も、なんとなく気恥ずかしくて、謝りにも行けなくて。ほんとごめん」
 「謝ることないよ。平気だったんだから。それに――」そこまで言って、村谷さんは言葉を切った。
 「それに?」僕は、何の気なしに聞いた。
 「――ううん、何でもない」と村谷さんは言った。
きっとこれ以上追及しても答えてくれそうにないな、と僕は思った。
 家に帰ると、両親は買い物にでも行ったのか、家はがらんとした雰囲気に満たされていた。僕は、自分の部屋に入り、部屋のドアを閉めた。そして、ワイシャツの腕を捲り、カッターナイフの刃先を手首に当ててみた。刃先に押された肌は、頭を乗せた枕みたいに、少し沈んだ。僕の手首は思ったより柔らかく、もう少し力を入れたら、間違って切れてしまいそうだった。ミニトマトを噛んだ時みたいに、ぷつんと通ってしまうんだろうか。僕は、そんなことを思った。カッターを離し、刃先をしまうと、先程の村谷さんが思い出された。強い切なさが、僕の胸に迫ってきた。僕は、そのままオナニーをした。村谷さんの表情、好史の傷、村谷さんの傷、唇の感触。あらゆるものが、僕の中で渦巻いていた。そして、射精に至った瞬間、その感情の全てが、そのままの形で覆われていくのを感じた。まるで、舞台に垂れ幕が下りてくるように。

第十一の場面は、ここで幕を下ろす。


書いてて少しドキドキしました。

2014-12-14 02:23:00 | 小説
サイコドラマ⑩


 『しかし君、恋は罪悪ですよ。わかっていますか』

 夏休みは、あっけなく終わりを告げた。この時期の高校生は、受験というただひとつのゴールだけを見て走っている。少なくとも、僕にはそう見えていた。受験のことだけに意識を集中させられる人は有能で、それが出来ないのは無能な人、ないし鬱陶しがられる人だった。鬱陶しがられる人というのは、遊んでばかりなのに勉強が出来る人のことを指す。大学受験を間近に控えた今、クラスは張り詰めた雰囲気に変わり果てていた。
 その一方で、僕はいまひとつ、その空気に馴染むことができなかった。私語が慎まれ、冗談が減った。誰もが模試の成績に、真剣な感情を込めて一喜一憂しているように見えた。その空気感から、僕はひとりだけ取り残されてしまった。勉強はしている。していないと、好史の死が生々しく自分の中に広がっていきそうだったからだ。そのようなわけで、僕の勉強に向かう動機は、明らかに他の人たちとは異なっていた。少し油断をすると、手首に刃物を当てている好史の姿が、勝手に繰り返し再生される。そして、刃が手首をなぞるたびに、肩のすくむような感覚に襲われた。僕はそれを振り払うために、勉強した。
 好史はどのようにして、机に向かうようになっていったのだろう。夏休み前、目の下に隈をつくっていた好史の姿が思い出された。好史は、自分に対して起こった変化の全てを、自分の内面にフィードバックしていったのだろう。手首に刻まれたひとつひとつの傷は、そうやって彫り込まれていったものなのだろう。僕はそう思った。
 好史は死ぬ2日前、「お前に話して良かったよ」と言った。僕はその時、ひとつ何かを乗り越えたような、胸の閊えが取れたような感じを覚えた。そして、きっと好史も同じ気持ちなのだろうと思った。しかし今思えば、僕に何かの感情をぶつけたことで、好史が乗り越えたのは、生死のバランスを「生」の側に押し留めておくために必要だった、最後の堤防ではなかったか。僕が好史の最後の堤防を壊し、それが命の決壊を招いてしまった。そんな気がした。僕が好史を殺してしまったのではないか。
 勉強に向かうという意志と、時として迫ってくる好史のイメージとの間で揺れ動いていると、授業は決まって瞬く間に終わってしまった。頭に何の知識も入ってきていないのに、激しい疲労を感じた。勉強に当てている時間の割に、成績も上がらなかった。そして、僕にとって、そんなことはどうでも良かった。
 そんなことの繰り返しで、いつの間にか下校時刻になった。人波に呑み込まれるのが嫌だったので、教室の連中があらかた下校してから、ゆっくりと外に出た。好史のことを考えまいとすればするほど、リストカットの情景は自然に浮かんできた。それが唇にまみれた桜の木と重なり、また好史の手首に戻った。いつしかその思考の中で好史は、手首を切る僕自身になっていた。僕は好史になり、手首にカッターナイフを当て、皮膚を切った。そのイメージを振り払うたびに、「これはまずい」という言葉が、頭の中を駆け巡った。
 ふと顔を上げると、10メートルほど先を村谷さんが歩いていた。
 「村谷さん」気付けば僕は、声をかけていた。
 「小池君」村谷さんも、僕に気付いて歩みを止めた。
 「どう、最近は」と、僕は答えようのない質問をした。
 「うん……」と言った村谷さんの表情は暗かった。
 「ごめんね、なんか急に話しかけちゃって。自分でも気づかないうちに声をかけちゃってたみたいで……」僕は、ただ喋りたかった。喋らないと、リストカットのイメージに取り込まれてしまいそうだった。ただ、何かを吐き出さねばならないというわけの分からない焦燥感に、支配されていた。
 しかし、その浮ついた心を無理矢理押さえ付けなければならないほど、村谷さんは尋常ならざる表情をしていた。心なしか、髪で顔を隠すようにして俯いている村谷さんは、何かを思い詰めているようにしか見えなかった。そして、今思い詰めていることといえば、好史のことしかないと思った。僕は、うずうずしている気持ちを抑え、村谷さんに歩調を合わせ、黙って並んで歩いた。そうしているうちに、幾分か心も落ち着いてきた。
 「小池君」しばらくして、村谷さんが口を開いた。
 「私、ね――」村谷さんは言い淀んだ口調で言った。
僕は相槌だけを返し、村谷さんの言葉を待った。
 「切った」
 「え――」
 「手首、切った」
僕は絶句した。村谷さんはワイシャツの袖をまくった。そこには、痛々しい切り傷ができていた。思わず、僕は周囲を見回した。誰も見ていなかった。僕と村谷さんだけが、その光景の中にいた。僕だけが、村谷さんが吐き出した心の闇を、目の当たりにしたのだ――
 心臓がドクドクと鳴っていた。村谷さんの腕は白く、細かった。そこに、赤い印がなめらかに刻まれていた。僕は、奇妙な興奮と不安に襲われていた。村谷さんの手から、目が離せなくなっていた。
 「小池君」と、村谷さんは言った。
村谷さんの目を見た。頼りない、迷子の目だった。衝動的に僕は、村谷さんの唇に吸い付いていた。路上であることなど、どうでも良かった。抵抗はなかった。舌を絡めた。絡め合った。そして、唇をゆっくり離し、強く抱きしめた。柔らかい頬だった。とても切なかった。僕のファーストキスだった。

モノカキー

2014-12-11 01:14:00 | 小説
サイコドラマ⑨

 言葉はどれだけ重ねても、物足りないものだと思う。

 公園は相変わらずの夏日だった。しかし、ベンチに座っている僕は、今まで主な関心ごとだった暑さを、感じなくなっていた。きっと、村谷さんは僕を見つけた時から、そんな風に感じていたんじゃないかと思う。もしかすると、好史が死んだ日からずっとそうだったのかもしれない。
 僕は気の利いた言葉も見つけられず、ただ村谷さんの方を見ていた。村谷さんは、何も言わずに俯いていた。僕には、勝手に悲しみを表わそうとする自分の顔の筋肉を、何とか元に戻そうと頑張っているように見えた。
 「落ち着くまで待つよ」と、僕は言った。
村谷さんは何かを吐き出したいのだと思ったし、それまでに下手なことを言ってはいけないと感じていた。
 しばらくすると、村谷さんは自分の表情のコントロールを取り戻したようで、自嘲気味に小さく笑った。その笑顔は悲しげだった。一度食道に上がりかけたものを何とか胃の中に押し戻した時、不快な感覚がいつまでも残っているように。
 「ごめんね、恥ずかしい所を見せちゃって」と、村谷さんは言った。
 「恥ずかしい所?」と、僕は聞いた。
村谷さんは、「うん」と言っただけだった。少し沈黙があって、僕は自分の質問が、「恥ずかしい所を説明してくれ」と言っているのと同じだと気付いた。
 「ごめん」と、僕は言った。
 「え、どうしたの急に?」と、村谷さんは言った。
 「いや、俺にはどこが恥ずかしい所なのか分からなかったんだけど、わざわざ説明させるような質問しちゃって」と、僕は言った。
 「ふふ」村谷さんは、僕の言ったことを少し考えた後、小さく笑った。「やっぱり、小池君は変わってるよ」
 「え、どうしてそう思うの」
 「自分の言うことを、そんなにちゃんと考えてるんだもん」
 「うーん、いつもちゃんと考えているのかと言えば、そんなことは絶対にないけどね。今、俺が言ったことに対して、村谷さんが答えにくそうにしてたから、なんとなくそういう風に思っただけで」
 「うん。でも、そんなこと言われたのは初めてだったから」
 「こんなシチュエーション自体そうあるものじゃないでしょ」
 「それはそうだけど。でも、誰かに何かを言われた時、こういう感じになったことがなかった、というか」
 「うーん、難しいな」
 「私も、あまり上手く説明できそうにはないけど」
そんな話をしながら僕は、村谷さんが、本当に言いたかったことを言う機会を逸してしまったんじゃないかと思った。僕が逃がさせたのか、村谷さんが逃げたのかは、分からなかった。村谷さんが僕に、それを言うためには、ある程度の沈黙と、ある種類の感情が必要なんじゃないかと思った。そして、その感情は常に逃げ道を探していて、どんな所にでも隠れることができるんだろう。
 「言いたくなければ、言わなくてもいいよ」と、僕は改めて言った。
それは、僕の頭の中では、言葉通りの意味を表わしていた。しかし、僕の心は、自分で言ったその言葉に、強い違和感を覚えていた。
 「ごめんね、中々踏ん切りがつかなくて」と、村谷さんは言った。それは、僕の心の方に反応した言葉だと思う。
僕はそれ以上、何も言わなかった。ただ、村谷さんの次の言葉を待っていた。
 「……私は、好史の気持ちを全然分かってあげられなかったんだと思う」
 「気持ち?」
 「うん。好史は勉強を頑張ってた。多分みんなが思ってる以上に。でも、頑張っただけですぐに成績が伸びるんだったら、誰も苦労はしない。もちろん、頑張ることもできない人だって沢山いるけど」
 「それは、もちろんそうだよね」
 「私は、何とか好史を傷付けないようにしようと思ってた。成績だけなら、正直に言って私の方が良かった。多分それは、一年生の頃から割と真面目に勉強してたから。でも、そんなことを好史に自慢しても嫌味でしかないし、好史だって、少しずつだけど点数は上がってた。だから、前より良くなってる所を指摘したり、悪かった所は問題の作り方のせいにしたりしてた。私は、好史に嫌な気持ちになってほしくなかったし、出来るだけのサメ[トをしたいと思ってた。好史が喜ぶのを見てると、私も嬉しいと思った」
 「優しいんだね」
 「ううん、そんなことない。その時、自分が優しくしようと思っていたこと自体は本当だけど」
ここで、また少しの沈黙が流れた。僕は、自分の発する言葉のひとつひとつが、村谷さんの気持ちを邪魔しているような気がした。
 「……でも、好史は段々元気がなくなっていった。私もそれには気付いてた。元気がないね、と言っても、そんなことない、って言われるだけだった。私は、苦しいことがあったら何でも言ってね、って言った。好史は、そうするって言った。でも実際は、そうしてないってことが、私には分かってた。だから苦しかったし、悲しかった。私は、誰よりも好史の味方でいたかったし、好史に信頼されていたかった。だから、自分の不甲斐なさが悔しかった。信頼されるどころか、ウザいおせっかいを焼いているみたいになってた――ごめんね、こんなつまらない話を長々と」
 「全然いいよ。それより、ここでやめられた方が後味が悪いよ」
 「そっか――多分好史は、私に対して劣等感みたいなものを持ってた。男子の気持ちだから何とも言えないけど」
 「うん。多分、俺がその立場だったら、きっと悔しいだろうと思う」
 「そうだよね……でも、私は劣等感なんて持ってほしくなかった。さっきも言ったけど、私がある程度できるのは、前からやってたから。こんな短期間で抜かれたら、私の方がダメになってたと思う――でも今思えば、どうせならいっそ、追い抜いてくれていた方が良かったのかもしれない。あの時、私を軽く追い抜いて、上機嫌で上から憎たらしい言葉を浴びせてくれたら、どれだけ嬉しかったか」
最後の方は、また声が震え始めていた。僕は、村谷さんの悔しさや、悲しさを理解することができたし、好史の劣等感も理解することができた。
 「うーん」と、僕は思わず声にしていた。
 「ごめんね」と、村谷さんはまた謝った。
 「いや……違うんだよ」と、僕は弁解した。
 「何か気に障ること言っちゃった?」
 「いやいや、そうじゃなくて。確かに、村谷さんの言ってる気持ちは分かったし、好史の悔しさも分かるんだけど――好史がさ、前に、村谷さんが鬱モードに入ってて、当たられたりして困ってるって言ってたもんだからさ」
 「えっ」村谷さんは、素朴に驚いた声を上げた。
 「うん。すぐキレられるって。確か初めて村谷さんと喋った時も、当たっちゃうことがあるって言ってたよね」
 「あ、確かに、前はそんな感じだった。私にはどうしても、好史が頑張ってるように見えなくて」
 「その話があった頃、俺は好史の腕にリスカの痕を1つ見つけた。で、次に傷を見たのはあいつが死ぬ2日前。あいつは確かに、村谷さんの優しさに劣等感を持っているみたいだった。リスカは物凄い数になってた」
村谷さんの顔色が少し悪くなったように見えた。
 「あのさ、村谷さん。俺は思うんだけど――あ、ごめん」
 「ううん、言いたいように言って。私はその方がいいから。確かに今は苦しいけど、好史が死んだことを独りで抱えるよりずっといいから」
 「うん。俺が思うに、好史は、確かに苦しみながら村谷さんのことを考えていた。だけど、きっとその契機は、全然違う所にあったんだと思う」
 「え?」
 「こんなこと好史が聞いてたら怒るかもしれないけど。でも、凄く悪い言い方、ありていな言い方をすれば、好史は村谷さんに八つ当たりをしてたんだと思う」
 「八つ当たりなんて――」
 「うん、もちろん。だから、悪い言い方って言ったんだ。ひとりひとりの苦しみを全て捨てた言い方。村谷さんは、その奥の好史の苦しみを感じているから、八つ当たりっていう表現に腹が立ったんだと思うけど。残念ながら俺は、好史が生きている間に、その苦しみを見ることができなかった。手首の傷は見れたけどね。だから、俺も今まで、村谷さんとの間のことが原因だと思ってたけど。だけどさ、よく考えたらさ。好史がそんなことで参るとは思えないんだよね。どうしても」
村谷さんは、黙って僕を見ていた。
 「何かよく分からないけど、好史の中で地球が逆回転するくらいの出来事があったんじゃないかと俺は思う。それが、徐々に俺や村谷さんの考え方と、あいつの考え方の間にズレを生んでいったんじゃないかな。いや、もしかしたら全部的外れかもしれないけど」
そこまで言って、僕は口を閉じた。村谷さんもゆっくりと頷くと、何かを考えているような顔をしながら、黙っていた。僕たちは、再び夏の暑さに引き戻されていった。しかし、そこに気まずさみたいなものは、何もないような気がした。


ご無沙汰ですが

2014-10-13 20:25:00 | 小説
サイコドラマ⑧

ある程度の振れ幅に収まっていく。

 夏休みも残すところ数日となり、僕の心の在りようには小さな変化が起きていた。机に向かう時間は増え、自然に勉強に身が入るようになった。どこかに行ってしまっていた心が、突然帰ってきたような感覚だった。しかし、それが何故なのか、僕自身にも分からなかった。この時の僕は、勉強をしている間だけ安心した気持ちでいることができた。何もしていない時、僕の心には、受験までの時間制限が短くなってきているという不安と、好史の不在を埋めるかのように浮かんでくる、はっきりとした形を持たないイメージの塊が、容赦なく膨らんできた。僕は、自分の中の靄を追い払うために、頭を使うことに意識を向けていた。
 正午を回り、僕は勉強で疲れた頭を休めるために、家を出て、公園へ向かった。これは僕が最近身に着けた、新しい習慣だった。家の近くには、野球ができる程広い芝生の公園があり、休日は家族連れで賑わっている。僕は、窮屈に住宅が立ち並んだ場所にいるよりも、このひらけた場所で遠くを眺めているのが好きだった。ものが多い場所では、目が勝手に色々なものに視点を合わせてしまい、疲れるからだ。
 僕は公園のベンチに腰を下ろし、加藤先生との一件を思い返した。先生は好史の死を知った時、年甲斐もなく泣いたと言っていた。しかし、僕は泣かなかった。それどころか、先生の所に行くまで悲しみさえ感じていなかった。その代り、理由の分からない後悔の感情だけが、時折僕を襲った。僕は何に後悔していたのだろう。そして、どうして悲しみを感じることができなかったのだろう。
 「小池君」と、不意に声をかけられた。
 驚いて振り返ると、村谷さんだった。好史が死んでから一度も顔を合わせていなかったが、元々クラスも違い、あまり関わりもなかったので、会いたいとも思っていなかった。
 「村谷さんってこの辺だったっけ」と、僕は聞いた。
村谷さんは首を横に振ってから、
 「でも、うちの周りには広い公園が無いから、時々こっちまで自転車に乗ってくるんだ」と言った。
 「運動が好きなの?」と僕が聞くと、
 「運動より、公園でのんびりするのが好きなんだよね」と、村谷さんは答えた。
 「変わってるんだね」
 「小池君は?」
 「俺も最近、ここでゆっくりするのが好きになった」
 「じゃあ、小池君も変わり者ってことだね」
 「ん? ああ、本当だね」
僕は、村谷さんと顔を見合わせて笑った。村谷さんの笑顔は今までにも何度か見たことがあった。しかし、この時の笑顔はそれまでに見たどの表情よりも素敵だった。その直後、僕はこのまま話し込むのは良くないと感じた。村谷さんは、好史の彼女だった。好史は死んだ。それでも、今目の前にいる村谷さんは、やっぱり好史の彼女だった。村谷さんの胸中を聞いてみたいという思いはあった。僕は間違いなく彼女に惹かれていた。しかし、その欲求の上には、好史に対する罪悪感がのしかかっていた。そして何より、僕は頭の中で、そういう風に感情の分析をしてしまった。それによって僕の感情は言葉になり、形になり、僕を縛り付けるのだった。
 「小池君」と、村谷さんが呼んだ。
 「どうしたの」と、僕は答えた。村谷さんの表情が、なんとなく僕にそう言わせたのだと思う。
 「――ううん」と、村谷さんは言いづらそうに俯いた。
 「言いにくかったら言わなくていいよ」と、僕は言った。
まだ何か言葉を吐き出そうとしている村谷さんを見て、僕はさっきの言葉を無粋だと思い、恥ずかしくなった。言いにくいから言わない、というのは、決して村谷さんを楽にしてあげられる言葉じゃない。言いたいし、言わなければならないから、言いにくいのに言おうとしているんだ。
 「小池君から見た時にね」と、村谷さんは言って、また少し沈黙し、
 「私なのかな」と、言い直した。
僕は意味が理解できなかったが、まだ村谷さんが何か言おうとしているのを感じ、出かかっている言葉を捕まえようと黙った。そして、その表情を見て、村谷さんが好史の死について、僕とも加藤先生とも全く違う感情を持っていることを直感した。
 「私が――殺しちゃったのかな」と、震える声で言った村谷さんの顔は、悔恨で歪んでいた。

 ここで、第八の場面は幕を閉じる。

生き様なんてそんなもの

2014-05-31 06:52:00 | 小説
サイコドラマ⑦

人は本能のように、心の傷を舐め合って生きていく。

 好史が死んで、数日が経った。学校は夏休みに入り、僕は何の実感も無いままだった。家の中は妙に蒸し暑く、勉強は相変わらず身に入らなかった。元々何の目標も無かった僕は、話し相手も、進むべき道の目安も失ってしまったようだった。ただ、与えられた課題を熟し、なんとなく買った参考書を眺めた。悲しみは湧いて来ず、ただこの休暇が永久に続くような気がした。朝起きて、1日机に向かい、夜眠った。時折、自分でもよく分からない後悔の念が、襲ってきた。
 そんな折、加藤先生が僕を家に呼んだ。先生の家に入る人がどれほどいるのか分からない。あまり多くはないだろう。僕は、アパートの2階にある先生の部屋の前に立ち、少し緊張しながらドアを開けた。
 「いらっしゃい」と、加藤先生は明るい声で言った。
 「こんにちは」と、僕は言った。
突然の呼び出しで、僕はどうすれば良いのか分からなかった。加藤先生は、努めて明るく振る舞っているようだった。先生の部屋は8畳くらいの洋室で、白い壁に背を向けるようにテレビが置かれ、テレビの正面には小さなテーブルと白いソファーが置いてあった。先生は僕をソファーに座らせ、自分はテーブルを挟んだ向かいの床に、座布団を敷いて座った。
 「どうだい、最近の調子は」
 「まあまあですよ」
 「そっか」
会話は途切れ途切れだった。先生は、僕が好史の話題をしたくないのではないかと、心配しているようだった。
 「好史のことなら、大丈夫ですよ」と、僕は言った。
 「そうか」と、先生は相槌を打った。
 「大丈夫ですか、先生」
 「ごめんな、こんな風に呼び出しておいて何も言ってやれなくて」
 「いいんですよ、先生の気遣いには昔から感謝しっぱなしですから」
 「いやいや」と、先生は小さく笑いながら言った。
 「なんだろうな。私が小池を励ましてあげたいと思って呼んだのに、却って私が励まされているみたいだ。まさかこんな風になるなんて思ってなかったから――」
加藤先生の話を聞きながら、僕は先生の人間性に初めて触れたような気がしていた。小さい頃から、先生というものは尊敬されたり嫌われたりしながらも、間違いなく生徒より上の立場にいるものだと思い込んできた。しかし、今目の前で話をしている先生は、紛れもなく僕と同じ立場の人間だった。
 「先生って、大変ですね」と、僕の口が自然に言っていた。
 「どうして」と、先生は尋ねた。
 「俺達に弱みを見せられないじゃないですか。進路相談なんて特にそうだ。冷静に考えるとまだ大学を出てきたばかりの先生が、今から大学に入ろうとしている奴らにアドバイスしなきゃいけない。もちろん、歳が近いから同じ目線にも立ち易い。でも、立場上同じ目線に立っちゃいけない。先生が不安定だと生徒は安心できない。それって、凄いことじゃないですか」
 「どうしたんだ、突然」と、先生は笑った。
 「それですよ」と僕は言った。「先生はそこで、『そうなんだ。私だって愚痴くらいこぼしたい』って言ったって良いはずなのに」
加藤先生は、僕がそう言い終えた後もしばらく何も言わなかった。僕は言わなくても良いことを言ってしまったかと思いながらも、黙って先生の言葉を待った。何も考えずにいると、自然と僕の目は先生の身体に移っていた。師弟という立場が曖昧になると、先生がよく見知った女友達のようにも見えた。私服の加藤先生は、このままの姿で恋人と手を繋ぎながら繁華街を歩いていても、何の違和感もなさそうだった。
 「どうしてだろうな」と、しばらくしてから加藤先生は言った。「私自身、どうしてそんな風にしているのか分からない。威厳のある態度をひけらかしたいわけでもないのに。役割っていうものが、自然にそうさせるんだろうな」
 「そうでしょうね。俺だって、きっと今中学生の前に立ったら、そんな風に接すると思います。で、多分今先生が上手く言いたいことを見つけられないのも、この役割関係で言えることしか言えないからなんじゃないですかね」
 「それは分からんけどな」と、先生は抵抗した。
 「俺は正直言って、まだ好史が死んだ実感があまりないんです。時期もあるでしょうけど。勉強に身が入らないのは前からだし」と、僕は言った。
 「そうなのか」と先生は言った。「正直言って、私は不安だよ。高橋のことを知った時は、年甲斐もなく泣いた。小池は強いな」
 「俺だって、これから凄い悲しみが来るかもしれないです。ただ、実感がないだけで。たまに、凄い後悔の気持ちに襲われるんです。しかも、気持ちだけしか出てこない。どうして後悔してるのか分からないんです」
僕の話を聞きながら、先生は次第に涙目になっていった。僕はそれを見て、何とも言えない切ない気持ちになった。
 「ごめんな、辛いだろうな」と、先生は言った。
僕には、それが僕に対する言葉でもありながら、先生自身の辛さを吐き出している言葉であると感じられた。先生には、自分の苦しみを吐き出せる相手がいないのだ。立場もあるだろう。しかしそれよりも、先生自身の性格が、ここまで自分を追い込んでいるのだ。きっと、同僚や家族にも、言えないんだろう。自分の不幸を人に持ち込むことができないのだ。そんな想像をしているうちに、ますます切ない思いがこみ上げてきた。
 それからしばらく、僕は加藤先生が机に伏して泣いているのを見ていた。励ましの言葉をかけようかとも思ったが、先生が大切にしている立場の壁を乗り越えることは、失礼になるような気もした。ただ、どうしようもない感情だけが、僕の中で膨らんでいた。
 「ごめん――私は何のために小池を家に呼んだんだろう」と、少し落ち着いて先生が言った。「元々、小池が沈んでるんじゃないか、励ましてあげられないかと思って声をかけたのに、こんな所を見せて。恥ずかしいな」
先生は今も尚、先生としての自分と、込み上げる感情との間で揺れ動いているようだった。
 「ごめんな」と言いながら、先生は立ち上がった。そして、僕の頭の上にぽんと手を置いた。
――そこで、僕の中にあった感情が弾けたような感じがした。僕は、頭の上に乗っていた先生の手を掴み、肩に手を回した。そして、僕が座っていたソファーに先生を引き唐オた。そして、強く抱きしめ、胸に顔をうずめた。
 なんだ。俺も不安だったんじゃないか。僕は思った。僕は行き場のない様々な不安を、自分にも見えないように隠していただけだったようだ。先生は僕の背中に手を回してくれた。泣いているようだった。僕も、子どもみたいに泣いた。

第七の場面は、ここで幕を閉じる。