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おきると荘の書斎

おきると荘の書斎へようこそ。
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続けざまに

2014-03-28 00:56:00 | 小説
サイコドラマ⑥

人の善意は時として、思ってもみない結果を生む。

 7月も半ばを過ぎ、夏休みが近付く。「受験の天王山」という言葉が飛び交い、いよいよ穏やかでない空気が教室に漂っていた。僕は相変らずあまり勉強に気乗りがせず、12月時点での自分の成績に、大学の方を合わせればいいのではないか、などと思っていた。
 そんな僕とは対照的に、好史は、机に噛み付くようにして勉強していた。僕が声をかけると、今までと変わらない様子で話はできる。しかし、その度に僕は、なんとなく悪いことをしているような気分になった。好史の目の下にはくっきりと隈ができており、見ていて気の毒になってくる。そしてそれ以上に、必死になってノートに向かっている好史を見ていると、自分自身のことが不安で仕方なかった。
 「おい好史、ちょっといいか?」と、僕は後ろから好史に声をかけた。
 「ん、どうした?」と、好史はシャーペンを置き、僕の方に向き直して言った。
 「勉強中悪いんだけど、ちょっと話さないか?」
 「ああ、いいよ。折角だし、外にでも行くか」
好史の提案に、僕は嬉しくなった。しかし、実は特に話したい事があるわけでもなかった。下駄箱に着くまでは、どちらが話題を振るわけでもなく、2人とも黙っていた。
 夏休みを前にして、外はいよいよ暑くなっていた。昼休みにも関わらず、校庭には誰もいなかった。僕たちは、反時計回りに校舎の裏側に向かった。学校は、校庭が正門に面しているという少し変わった作りになっていて、他の高校に進学した友人は「小学校みたいだ」と言っていた。正門を出て校舎の裏側に行くと、芝生に覆われたスペースが広がっており、校舎に近い位置に休憩用のベンチが幾つか並んでいた。
 「どうした、何かあったか?」と好史はベンチに腰鰍ッながら、呑気そうに言った。
 「いや、特に何の用事もなかったんだけどさ」と僕は正直に言った。
 「そっか」と好史は言った。
少しの間、沈黙が流れた。気温のせいか、少しの風が心地好い。
 「にしてもな、もう疲れたよ、俺は」と、好史が言った。
 「勉強か?」と僕は聞いた。本当は、村谷さんとどうなっているのか聞きたかったが、どう尋ねればいいのか分からなかった。
 「まあ、色々だよ」と好史は言った。
僕は、好史をちらっと見た。呑気そうな声とは裏腹に、表情は暗く見えた。好史は、この暑さの中でも、長袖のワイシャツを着ていた。
 「好史」
 「ん?」
 「本当に大丈夫なのか」
 「どうしたんだよ、急に」
 「――いや、お前最近見てて辛そうだからさ、何かあったんじゃないかと思って」
 「そうか?」
 「そうだよ」
急に太陽が雲の中に隠れたので、目の奥がじんわりとなった。好史は視線を落とし、何か言いたそうにしていた。僕は好史の言う気を失せさせるのが浮ュて、ただじっと好史の言葉を待った。
 「――小池、お前、前に俺の手首見たよな?」
 「気付いてたのか」
 「視線で分かったよ。俺も背伸びした瞬間『やべっ』て思ったからさ」
 「そうだったのか」
 「リスカだよ」
 「初めてだったのか?」
 「そう。どうなるのかはよく分からなかったけど」
 「どうだった?」
 「どうだろうな、もう覚えてないよ、初めての時どうだったかなんて」
 「そうか」
ここまで聞いて、僕はふと好史の言葉に引っかかるものを感じた。
 「好史、もしかして今もやってるのか?」と、僕は努めて冷静に聞いた。
好史はきまり悪そうに下を向くと、ワイシャツの左腕を捲った。左腕は、無数の切り傷でズタズタになっていた。僕は絶句した。太陽が再び雲間からのぞき、頭頂部が熱くなった。
 「小池」と、好史が先に口を開いた。
僕は返事の代わりに、好史の方を見た。
 「ごめんな」と好史は言った。
僕は何故謝れらたのか分からなかった。
 「俺、なんでこんなにちっぽけな人間なんだろうな」と好史は続けた。
 「どうしたんだよ」と僕は言った。好史が何を言っているのか、よく分からなかった。
 「勉強が出来なくて嫉妬して、躍起になっても全然追いつけなくて。高い志を見せられて悔しくても、自分のしたい事なんてはっきりと分からないし。馬鹿なんだろうな」と、好史は自嘲的な声で言った。
 「そんなことないだろ」と、僕は言った。
村谷さんとの間のことを話しているのだと、そこで初めて気付いた。
 「そんなことなくないんだ。不安があるなら何でも話してくれって言われても、そんなこと言えないし。そんなことは何の解決にもならないんだ。元々持っているものが違うんだ」
好史は、堤防が決壊したかのように喋り出した。
 「男子が女子に嫉妬してるなんて恥ずかしいしな。何より、張本人に励まされたって情けないだけだろ。だけどさ、あいつは何も言わなくても励ましてくれるんだぜ? 成績見て、『今回は英語頑張ったよね』とか、『次回は得意な所なんだよね? なら大丈夫だよ』とか。優しいよ、理想の彼女だね、まったく。いや、悪い意味で言ってるんじゃないんだ。結局は俺が悪いんだからな。素直に励まされてればいいのに。素直になることもできないんじゃねえか。それで俺が不機嫌そうな顔すると、『ごめんね』ときたもんだよ。俺はあやして欲しいんじゃねえんだよ!」
好史は思いをひたすらに吐きだしているようだった。僕はどうしたらいいのか分からなかったし、話を全て理解できたわけではなかった。ただ好史が、ただならぬ感情を抱えている事だけは分かった。
 「俺に言ってくれれば相談くらい乗るよ」と僕は言った。それ以上の事は言えなかった。
 「いや、いいんだ。ごめんな、突然わけ分からんこと口走って」と好史は言った。
 「そうじゃないだろ。というか、どうして俺にもっと早く言わなかったんだよ」と僕は言った。
好史は黙っていた。僕は、好史が、「分からないだろう」という目で僕を見ていたのではないかと思った。途端に、虚しい気持ちが僕を襲った。
 「ごめんな」と好史はまた言った。
 「なんで謝るんだよ」と僕は言った。「ごめんな」という言葉が、僕の深入りを拒絶しているような気がした。
再び沈黙が流れた。僕は、好史の言葉を待つ他なかった。問い詰める事は、無意味だと思った。
 「リスカすると、死ねるんだ」と好史が言った。
 「どういうこと?」と僕は聞いた。
 「なんて言うんだろうな。説明したことないから分からんけど。手首を切る時は、自分を慰める気持ちと、罰する気持ちが混ざってるんだよな。『なんで俺はこんななんだ』って。切った時、痛いだろ? 痛いんだけどさ。どうにもならない気持ちは、そうやって抜くしかないんだよ。抜くっつってもこうやって抜くわけじゃないぞ」と、好史はオナニーのジェスチャーをした。僕は「分かってるよ」と言って、小さく笑った。
 「とにかく、そうやって気持ちを抜いてやると、じわじわと血が流れてきてな。そんで、それを見てると、生き返った気がするんだ」
 「へえ」と、僕は気の抜けたような相槌を打った。
 「なんだよ」と好史は言って、笑った。
 「いや、そんな冷静に説明されるとさ、なんか責めるに責められないって言うか、分かった気がすると言うか」と、僕は思ったままのことを言った。
 「そんなもんか」と好史は言って、少し間を置いた後、「お前に話して良かったよ」と続けた。
 「どうして」と僕が尋ねると、
 「案外、そんなもんなのかもな」と、よく分からない事を言った。
この時僕は、本当に好史の気持ちが少し分かったような気がした。何より、好史の辛さの原因を聞けた事で、胸の閊えがなくなったように感じたし、どうしたらいいか分からないのは僕も同じだと思った。
 気付くと、5時間目の始業時刻を大分過ぎていた。とは言え、僕も好史も授業に行く気分になれず、その日は午後の授業をサボって街をぶらぶらした。僕は、久し振りに好史の楽しそうな表情を見たような気がした。
 しかし、結局それが、僕たちの最後の会話になった。2日後の日曜日、好史は自殺した。学校からそれほど遠くない、踏切での出来事だった。

第六の場面が、こうして幕を閉じる。

留確したけど牛角行ってない

2014-03-09 09:00:00 | 小説
サイコドラマ⑤

異質も異形も、知ってしまえばありふれたもの。

梅雨が明けると、しばらくは暑い日が続く。僕は、未だに何となく日々を過ごしていた。土日は勉強したり休んだりを繰り返し、結局何をしたのか分からないまま月曜日の朝を迎える。進学先を見定めなければならない、という義務感に苛まれると、頭は何かを考えようと躍起になるばかりで、一向に具体的な指針が浮かんでこない。気付けば、好史の手首の傷のことばかりが気になった。あの日以来傷を目にする機会はなかったが、ここ最近、好史は更に痩せて見えた。
 「なあ、好史。お前やっぱり痩せたんじゃないのか」と、僕が訊いても、
 「気のせいじゃないか? 受験疲れかもな。勉強してないけど」と、上手くかわされてしまう。
流石にリストカットのことを直接尋ねるのは気が引けて、いつも結局核心に迫れないまま、普段通りの雑談に戻っていってしまうのだった。
 僕は、一人で進路室にいることが多くなった。好史は少しずつ、受験生のあるべき姿に相応しい学校生活を送るようになっていった。僕はなんとなく取り残されたような不安感に襲われて、加藤先生に心の安寧を求めていたのだった。
 「大丈夫、私も高3の頃は、何したらいいか分からなくて凄く焦ってた」と、加藤先生は元気付けるように言った。
 「そうなんですか。でも俺、まだ何も決めてないんですけど」と、僕は言った。
 「お前なあ、決める時間はいくらでもあっただろ」と、加藤先生は言い、少し考えるようにして「いや、でもそういう問題でもないんだろうな。決めるってのは時間があればできることでもないしな」と、付け加えた。
僕は進路について特別なこだわりがないばかりか、何々学部、何々学科という言葉を聞かされても、いまひとつピンとこなかった。いっそのこと、誰かが「ここを受けろ」と決めてくれれば楽なのに、と思った。
 「好きなこととか、何かないのか?」と、加藤先生は訊いた。
 「ゲームは好きですよ」と、僕は答えた。
 「それじゃ駄目だろ」と、先生は笑いながら言った。
僕も、それじゃ駄目なのは分かっていた。でも、ふざけているわけでもなんでもなく、そのくらいしか思い付かないのも事実だった。正直に言って、僕には進路が固まっている人の方が信じられなかった。今までみんな同じ勉強をしてきたんじゃないのか。就きたい職業があるから? 研究がしたいから? 一体どこにそんな契機があったっていうんだ。心底そう思った。
 「先生は何がきっかけで進路を決めたんですか?」と、僕は尋ねた。
加藤先生は少し考えてから、
 「私は中々決められなかったけど、結局学校が好きだったから教師になろうと思った」と言って頷いた。
僕は学校生活を振り返った。確かに、行事や日常は楽しいものだった。しかし、それが教師という職業を選択するきっかけになるんだろうか。そこまでの魅力は、感じられなかった。
 「あとは、高校の頃にお世話になった先生がいてな」と、加藤先生は再び話し始めた。「悩んでいる私を、最後まで見棄てずに励ましてくれたんだ。私もこんな人になりたい、とその時凄く思ったのを覚えてる」
僕は相槌を打った。僕にとって、加藤先生はそれに当たる人だと思った。確かに、加藤先生には毎日のようにお世話になっているし、感謝もしている。ただ、自分もそんな人になりたいのかと自問すれば、そんなこともないような気がした。
しばらく沈黙が流れた。窓の外には、放課後の夕焼け空が広がっている。僕は思わずその景色に気を取られた。
 「高橋はどうなんだ?」と、加藤先生が口を開いた。
 「あいつは、最近よく勉強してますよ」と、僕は上の空で答えた。
加藤先生は、「なんで上からなんだよ」と笑いながら、「高橋にも色々と聞いてみたらどうだ? 何か参考になるかもしれんぞ」と言った。
僕は、「そうですよね。確かに。なんで今まで何も聞いてなかったんだろう」と言ったが、既に話に集中する気持ちはなくなっていた。
 「じゃあ、もうそろそろ下校時刻になるし、今日は帰りなさい。自分から相談に来てると言っても、流石に疲れただろ」と、加藤先生は僕の気持ちを読んだかのように言った。僕は一礼すると、進路室を出た。
 進路室から玄関に向かう途中、村谷さんに会った。村谷さんは教室に忘れ物をしたのか、帰ろうとする僕とは反対の方向に歩いていた。僕はふと好史のことを思い出し、何か言ってやりたい気持ちになった。お前、好史を追い込んで何考えてるんだ。同じ受験生だろ? もっと気を遣えないのかよ。お前のせいで好史は――
 「小池君だよね」
 「え?」
不意に声をかけられ、僕は驚いて立ち止まった。
 「好史から色々と聞いてるよ」と、村谷さんは笑顔で付け加えた。
 「ああ、そうなんだ」と、僕は答えた。つい先程まで僕の中にあった悪感情は、呆然とした気持ちに変わってしまった。こちらは好史に色々と聞いているわけではないので、何を言っていいやら分からなかった。
 「村谷さんは、進路決まってるの?」と、僕は半ば無意識に言った。進路室での相談の疲れから、自然と出てきてしまったのだ。状況にそぐわない質問に村谷さんは少し戸惑ったようだったが、
 「私は、工学部に行こうかと思ってる」と答えた。
 「そうなんだ」と、僕は分かったような分からないような返事をした。
 「小池君はどこに行くの?」
 「いや、まだ決まってないんだ」
 「そうなんだ。今までやってきた事と違うことをやるのに、何の前情報もないんだもん。迷っても当然だよね」と、村谷さんは言った。
僕は、想像と異なる村谷さんの態度に、内心かなり慌てていた。今まで村谷さんを責めたてる言葉を考えていた事に、罪悪感すら覚えた。村谷さんは殺伐とした様子をしているどころか、好史よりもずっと余裕があるように見えた。
 「あのさ」――僕は言った。「好史とは上手くいってるの?」
 「え? あー、なんだか他の人に言うのは恥ずかしいんだけど」と、村谷さんは少し照れながら、「好史って凄く優しくて、私、いつも迷惑かけちゃってる」と言った。「だから、ついつい八つ当たりしちゃったりして。後で『ごめんね』って思うんだけど」
 「そうなんだ、上手くいってるならよかった。確かにあいつ、良い奴だからな」と、僕は心にもないことを言った。
言いながら、僕はなんともやりきれない気持ちになった。
 「――なら好史は、何に追い詰められているんだ?」
下校を促す放送が、人の減った校舎中に響いた。

 ここで、第五の場面は幕を閉じる。

ものづくりの難しさよ

2014-02-17 04:53:00 | 小説
サイコドラマ④

同じような日々を過ごすから、変化が際立つらしい。

 6月の雨は、僕たちの気分を何となく憂鬱なものへと変えてしまう。今年は、先に控えている夏休みでさえ大きな壁に見えてくる。ある人は自分に突き付けられた偏差値という数字の事で頭が一杯になっている。ある人は、まだまだ時間はあるんだし、となんとも穏やかな毎日を過ごしている。またある人は、受験勉強に必死になっているなんて格好悪いと自分に言い聞かせ、ゲームにのめり込んでいく。しかし、多くの人は今までこの教室に出来上がっていた社会を壊さないように、クラス用の顔をして学校にやってくる。加藤先生はいつも通りに朝の連絡事項をクラスに伝え、他クラスの先生達よりも早く教室を出て行った。今では、口を開くと全員に聞こえてしまう程に朝の教室は静かになっていた。僕は、少し窮屈な気持ちになって廊下をぶらぶらと歩いたり、周りの真似をして1年の予定表を作ってみたりして、短い空白の時間をやり過ごしていた。字面では受験に必死になっている人達の気持ちが分かっても、僕自身が同じような気持ちになったりする事は今のところなかった。それでも、予定表を書いていると、それが自分の未来をデザインしている設計図のように見えて、少し満足な気持ちに浸る事は出来た。
 「お前は余裕あって良いよな」と、好史が言った。
好史は最近少し痩せたように見える。その原因は主に村谷さんとのいざこざのようだ。僕には恋人がいないし、好史も詳しい内容までは僕に話さないのでよく分からないが、村谷さんは随分と受験戦争の雰囲気にまき込まれ必死になっていて、何かと好史に当たっているらしかった。
 「まあ、俺みたいな奴が後悔するんだ、結局」と、僕は言った。
それが本心から来ている言葉なのかどうか、自分でもよく分からなかった。好史は「いやいや」と言ったが、それ以上は続けなかった。
 「お前さ、痩せたよな」と、僕は沈黙を避けるように好史に聞いた。
 「そうかな」と、好史はさも心当たりが無いという風に応えた。
 「何か悩みでもあるのか、聞くよ。折角ある余裕を使わないなんて勿体ないし」
 「はは、小池らしいな」
好史がそう言うと、しばらく沈黙が流れた。僕は、今度は好史が話し始めるのをじっと待っていた。雨の音が心地好く耳に響いた。
 「まあ、大したことじゃないさ。最近ちょっと香里が参っちゃっててさ」と、しばらく経ってから好史が言った。
 「そうなのか」と僕は言った。
内心そうだろうなとは思いつつ、僕の方から色々と聞くのは気が咎めたので、再び好史が何か言うのを待った。
 「まあ、確かには俺には受験生としての自覚が足りないだけなのかもしれないけどさ。あんな風に不安定になられたらこっちまでやられちまうよ。俺がいつも平気そうな顔してるってキレ始めるし。俺だって少しは勉強してるし、余裕なんか無いのにさ」
 「そうか、好史も大変だな。自分の分だけじゃなく、村谷さんの分まで背負わなきゃいけないんだもんな」
 「な。だからさ、この時期に彼女なんか作るもんじゃないぜ。男だけでわいわいやってた方が絶対に良いんだよ」と、好史は半分冗談めいた事を言った。
僕は肯定も否定もする事ができず、好史と一緒になって小さく笑った。
 「でも、お前がいて良かったと思うよ。あいつら張りつめ過ぎなんだよ。朝の10分や15分で何が変わるんだ」と、僕は言った。2人は教室と同じ階にある特別教室の前を、ゆっくりと歩きながら話していた。
 「急にどうしたんだよ」と好史は照れたふりをした後、「そうだよな。俺もこういう時間が一番大事だと思うわ」と言った。
雨の日は何となく気分が落ち込む。でも、僕はこういう落ち着いた時間も好きだった。
 また少し、静かな時間が流れた。僕はふと、好史が村谷さんの事をあまり話さないのは、好史自身が負わされている負担を僕に抱えさせないためなのではないかと思った。
 「そろそろ戻るか。数学始まるし」と言って、好史はあくびをしながら背伸びをした。
僕もつられてあくびをしながら、好史を見た。2年以上着ている制服は窮屈そうで、伸び上がった制服の袖から、白い腕が数センチはみ出していた
 ――僕は目を疑った。好史の手首には、縦向きに細い切り傷が残っていた。リストカットの痕だ。テレビや授業で話題になり知識はあったが、自分とは縁のないものだと思っていた。雨の音は冷たく、鬱陶しく耳に響いていた。
 「なあ、本当に大丈夫なのか?」と、僕は聞いた。
 「いや、大丈夫じゃないのは香里だからな。本当あの性格何とかならんもんかな」と、好史は呑気な顔で答えた。
不意に僕は、4月に見た桜の木を思い出した。幹に刻まれた無数の唇は、何も語ることなくじっと閉ざされていた。僕には、好史の手首に刻まれた傷痕が、言葉よりも遥かに重大な何かを物語っているように見えた。

 ここで、第四の場面は幕を閉じる。

忘れた頃にやってくる創作意欲

2013-07-17 04:43:00 | 小説
サイコドラマ③

 変化は思わぬところから近付いてくるようだ。

 5月になった。春特有の心地好いざわめきも止み、僕たちは昨年度までと変わらない日常に帰っていた。高校3年生にもなると、受験という単語がありとあらゆる方向から飛んできた。こうやって僕たちは、自分達でも気付かないうちに立派な受験生に仕立て上げられていくのだろう。朝のホームルームに現れる加藤先生の元気な姿が、妙に眩しく見えた。
 「はい、今日は特に連絡事項も無いので、1時間目が始まるまで予習なり復習なり自由にしていて下さい」
先生のこの台詞は僕たちが1年生の頃から変わっていなかった。それでも、2年生までは談笑に費やしていた時間を、本当に予習復習に充てる人が日を追うごとに増え、僕はなんとなく静かな教室に居づらい感じがした。僕自身、時間を有効に使わなければならないはずなのだが、どうしてもそういった実感が湧かなかったのだ。それで、この空き時間にはいつでも何となく加藤先生のところに向かった。
 「小池はマイペースで良いな」と、加藤先生は笑った。
 「本当はなんかしなきゃと思うんですけど」と、僕は半分社交辞令で、半分本気で言った。
 「その気持ちがありゃそのうちやるさ。誰にでも自分のペースがあるんだ。無理にこの時間を惜しむ必要はないでしょ」と、先生は言った。
僕は、「やりなさい」とか「この時間が大切なんだ」と口癖のように言っている他の先生と違って、プレッシャーを与えない先生の物言いが好きだった。軽い感じがして嫌だ、とこの性格をあまり好かない連中もいるようだが、僕のようにそもそも重圧に弱い人間にとっては、どんなに熱のこもった激励よりも、こっちの方が励みになった。
 しばらく他愛もない話をしていると、好史がやってきた。
 「小池またお前授業サボるつもりかよ」と、好史が言った。
 「そうそう、こうやってまた先生と喋ってて1時間目に行かないつもりだったんだよ」と、僕は言った。実際は、そんな理由で授業を休んだ事は一度もなかった。
 「あ、そうそう、高橋にはこの前返し忘れてた課題があるんだった」と、先生は言って、机の一番下の引き出しから問題集を引っ張り出した。先生の机は進路室の一番奥にあり、その更に奥には進路相談室が続いていた。進路相談室には赤本やセンターの問題集がびっしりと並べられた本棚が、周囲をめぐらすように置いてあり、部屋の真ん中には机を挟んだ2脚の椅子が置いてあった。この部屋は、先生が生徒の個人的な相談を聞くような時にも使われていた。
 「うわ、先生の机の中って意外に綺麗なんですね」と、好史が言った。
 「意外にってどういうこと?」先生は詰め寄るように聞いた。
 「い、いえいえ、先生いつも元気なんでてっきり――」と、好史はおどおどしたような素振りを見せた。
 「先生まだ結婚しないんですか?」と、僕は場の雰囲気に乗じて聞いた。
特に意味はなかった。ただ単にそういう空気感だった。
 「仕方ない、この職場には出会いがないんだから。先生が合コンなんか行ってたら生徒に示しがつかんだろ? よほど見られないように気を付けないと」と、先生は唐突な質問にも笑いながら答えてくれた。
加藤先生はまだ20代で、特に結婚に慌てるような時期ではないと僕は思っていた。
 「お、もしかして、小池お前先生狙ってるのか?」と、好史はにやにやしながら言った。
 「そう、こうやって今フリーだっていう情報を何気なくつかんだわけだ」と、僕は言った。
そして、3人で笑った。何もかもいつも通りだった。
 「さ、そろそろ授業が始まるから教室に戻りなさい」と、加藤先生は言った。
 2人で進路室を後にして、教室に向かった。
 「お前はさとちゃんとどうなんだ?」と、僕は好史に聞いた。
好史には1年生の頃から付き合っている彼女がいた。村谷香里は3年2組の生徒で、顔立ちが良く、周囲からはさとちゃんと呼ばれていた。
 「それが最近随分と鬱モードでさ。あんまりちゃんと口もきいてくれないよ」と、好史は困ったような顔をした。
 「あらあら、リア充も大変ですことね」と、僕はおどけた様子で言った。
好史はムッとしたような表情をして、
 「お前なあ、結構マジでしんどいんだぜ」と言った。
 「ああ、すまんすまん」と、僕は平謝りした。
 「まあ、時期が時期だからな。でもこれがずっと続いたんじゃこっちが参っちまうな」と、好史は疲れたような顔をして言った。
僕たちが教室に戻ると、始業のチャイムはまだ鳴っていないのに、殆ど全員が各々の椅子に腰かけて教科書を開いていた。1時間目の数学はどうやら小テストらしかった。

 ここで、第三の場面は幕を閉じる。

2コメ

2013-05-13 04:00:00 | 小説
貰ったCap Aceを飲まずに早数か月。


サイコドラマ②

 どうも、世の中容易い事ばかりではないようで。


 その日のごたごたした日課が終わり、僕は玄関へと向かった。
 「帰りにマック寄ろうぜ」と、好史は言った。
 「オッケー」と、僕はいつも通りのノリで答えた。
春休みの間、話題になるような出来事は起きていなかった。それは好史も一緒だと思う。なんせたった数日の事だ、ろくに家からも出ていないだろう。それでも、新学期初めの放課後はマックに行きたくなるものだ。僕達の通学路には、駅の近くにあるマクドナルドを除いて寄って行けるような場所は無かった。
 正門を出ると真っ先に目に飛び込んでくるのは、30メートルほど向こうにある大通りだった。この辺りの道は、ラッシュ時を除いて車の量がそれほど多くない。田舎の大通りにはよくある事だ。その分、どの車も好き勝手なスピードで走るから、歩道と車道ははっきりと分かたれている。歩行者も自動車もお互いを気にせず通行する。まるで歩道の間を高速が走っているようだ。
 「マックに新メニューが来てるらしいな」と、僕はこれから食べるメニューを考えながら言った。
 「らしいな、でもどうせまた外れだぜ。ああいうごちゃごちゃした感じの食感はあんまり好きじゃないんだ」と、好史は言った。
 「そうだよな、確かに。結局チーズバーガーとかの方が美味いんだよな」と、僕は言った。
正直言って、こういう話は答えなんてどうだっていい。なんとなく、ある話題についての議論が進んでいれば、その場を楽しくやっていられる。自分の考えを述べるというよりは、後になって辻褄が合わなくなると厄介だから、その時思った事を言っておくと言った方が正しいかもしれない。
 「それにしても、なんか変わったって感じがしないよなあ」と、好史は前の方を見ながら言った。
 「何が?」僕は気の無い返事をした。
 「いや、だからさ。こうやって3年になった初日にも、相変わらずマックの話しててさ。だけど俺達、今年受験生なんだぜ?」と言いながら好史と僕は、いつも渡る信号の前で自然に右向け右をした。
 「そうだな、3年になったって、別に何が変わったってわけじゃないしな」と僕は言った。
教室に入る時に感じていた高揚感は、確かに今も僕の中から抜けていなかった。でも、好史にそう言われると、確かに何も変わっていないのだった。新しいノートを買うと初めの数ページだけ丁寧に使うのと同じように、僕は繰り返しの継ぎ目を歩いていた。
 信号を渡ると、やや車通りの少ない南北の道に入った。角をひとつ曲がるだけで、互いの声が良く聞こえるようになる。その感覚が好きだった。
 「これが最後の1年か」と、相変わらず目は前を向いたまま好史が言った。
 「どうしたんだよ」と、僕は尋ねた。
 「いや、なんかこう考えると3年間ってあっという間だったよな、と思ってさ」と、好史は青春めいたことを言った。好史は好史で、僕と同じような春を感じていた。ただ、その感情をどうやってすくい取るかだけが違うようだった。
 「そうだな、あっという間だったな」と、僕は言った。
 「まだあと3分の1も残ってるけどな」と、一定間隔で立たされている桜の木に目をやりながら、好史は言った。「春なんだから桜でも見とかないと、それっぽくないな」
 「高校生だぜ? 桜の話なんかするか?」と僕はおどけた感じで言いながら、1本の木に近付いた。
 「いいさ、たまには」と言いながら、好史は桜の木に背中をもたせかけた。
僕は桜の幹に近付いた。春の日差しは暖かいが、木陰の涼しさも心地好かった。近くで見ると、桜の幹はごつごつとをしていて、枝をしっかりと伸ばしていた。花見をしているとなんとなく花ばかり見るし、花が散ると並木に注意を向ける事なんてない。つまり、僕はこの時初めて桜の木をまじまじと眺めた。手のひらで幹に触れる。木のざらざらとした質感が手に伝わってくる。顔を近付ける。ひんやりとした匂いが鼻の下を通り抜ける。
 ――その時、桜の幹に無数の唇が見えた。ぼつぼつとした模様のひとつひとつが、小さな唇になっていた。それらは何かを語るでもなく、ただしっかりと結ばれたまま、こちらを向いていた。僕にはそれが気持ち悪くて、不思議と目を離す事が出来なくなった。
 「そろそろ行くか」好史はそう言いながら、背中で幹を突き放し、体を起こした。
僕は生返事をして歩き始めた。それでも、桜の幹から目を離す事はできなかった。

 ここで第二の場面は幕を閉じる。