それでも私は生きている

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高齢社会を考える

2013-06-21 22:41:31 | 徒然
全然更新しない日が続いてしまいました。
季節は移り変わり梅雨本番といった蒸し暑さです。

今回は高齢社会、特に高齢ドライバーについて考えてみようと思う。
高齢のドライバーについては、主に判断力の低下を要因とする事故が近年問題になってきている。
とっさの瞬間のブレーキとアクセルの踏み間違いや、自分がどの程度のスピードで走っているかが認識できず、止まるべきところで止まれないという具体的事象が挙げられる。
関係機関では判断力を計るテストや高齢者教習などの対策が講じられているものの、根本的解決にはなっていないようだ。
そこで聞こえてくる声のひとつは、免許交付(継続)を認められる判断力テストの合格ラインを厳しくすればよいだとか、そもそもある一定の年齢で免許を交付しなければよいという意見だ。
果たしてそんなに事は単純か。
都市の場合、公共交通が充実していて日常生活に車を使うことは若い世代であっても少ない。これは高齢者が無理して車に乗る必要がないことになる。
対して地方の場合は日常生活に車は欠かせない。バスはほとんどこないがスーパーは遠い。ネットで買い物には抵抗感がある。
ここでひとつ具体的な例を挙げる。私の母方の祖父も高齢ドライバーとされる人の1人だ。祖母は老人ホーム、自身も足のリハビリに通うような有様でこれまでに実際に何回か事故を起こしたこともある。家を出て自立した息子は東京で家庭を持った。地元に残った娘も忙しく空いた時間は老人ホームの祖母に費やすことになる。このような状況だから、既に限界にきていながらも運転することを辞めさせるわけにもいかない。いや、辛うじて祖父が運転できるからこそなんとか彼らはそれぞれの生活を維持できている。そういう事情があることもあるのだ。
福祉タクシーという案がある。実際に父方の祖母の住む自治体では運用されていて、彼女も病院に行く際に利用するそうだ。何時に家に迎えにきてもらって、何時に病院から送ってもらうかを事前に予約する。もちろん診察の時間はその日の混み具合やなんかで長くなったり短くなったりする。そういう場合、彼女は帰路の予約をキャンセルし普通のタクシーで帰るそうだ。自治体によってシステムに差異はあるだろうし、無いよりマシだが、なかなか便利であるとは言いづらい。国がこれを拡充しようとしているという話も聞いたが実現するのはいつになるかわからない。
ここまで批判めいたことを述べてきたが、私自身即効性のある解決策を持ち合わせてはいない。
ただ、長期的に考えた場合に「ドライバーに対するバリアフリー」を提案することはできる。
ニュースでよく聞くのは駐車場で誤ってアクセルを踏んで店舗やなんかに激突する事例だ。しかし教習所協会の調べによればその第一位は交差点であるという。そのほか事故の場所のランクの上位にはカーブなどの公道が上がっている。歩行がしやすいように段差にスロープをつけるが如く道の形を変えたり、街灯を増やしたりはできないだろうか。もちろんこれは可能な限りであって、どうしても変えられない場合、反射板などで注意喚起する。さらに信号の「青」の時間を長くして急がなくても右左折できるようにする。これは少し機械をいじればできるので原理的にはすぐできる。また、駐車場に障害者用のスペースと共に高齢者用スペースも設ければいい。間隔を広くとり、後ろには分厚いマットでも設置する。これらは予算も膨大にかかるのですぐにというわけにはいかない。しかし考え方として「ドライバーに対するバリアフリー」は重要だと思う。判断力や運動能力というのは個々で違って、全ての世代の全てのドライバーに優しい環境づくりというのは取り組むべき事柄だ。

私がこういった問題を考える時に重要視するのはQOL、「生活の質」だ。
どんなにバスや福祉タクシーが拡充されても、公共のものである以上、バスは家から店舗までドアトゥードア、福祉タクシーはいちいち予約しなければいけないという煩雑さがあるし、好きな時間に好きな場所へというようにはいかない。そういう意味では都市と地方での差はあまりない。
それまで車を乗りこなし自由に自分の思うところに行っていた生活が急に変わる。
老いと衰えは誰にでも来る。親にも自分にも。
親にボケてもいないのに自由な行動を制限できるかどうか。自分が何かに頼らなければ動けないとしたらどうか。
運転ができなくなったという自覚の下であるならばそれはいいだろう。
偶然にも福祉タクシーを利用する祖母は元々運転をしていなかった。
年をとっても生活の質を落とすようなことがあってはならない。残酷である。

繰り返しにはなるが私には明確な答えはない。ただ、一方からしか論じられないのは残念であるということを言いたい。
今現在有効な手立てとして行われている判断力テスト等の類の物は最低限必要だ。しかし厳しくすればいいという意見には賛同しかねる。もちろん深い考えがそれを唱える人にもあるとは思うが。

祖父はパチンコにいくのが大好きなのだ。