1960年代生まれの、音楽のメモ。

あの時観た映像や好きな音楽をクリップしておくブログ。

アンカー。

2022-07-03 15:49:58 | その他
これはこのブログのアンカーです。続きは「-13」に。

従属物と尊厳、そう言うのなら。

2017-05-11 05:00:18 | その他
違和感の続きで。

凸は凹を求め、受け入れられたらくっつき、受け入れられなければくっつかない、それだけ。凹は凸を求め、受け入れられたらくっつき、受け入れられなければくっつかない、ただ、それだけ。その場合、凸も凹も自由だ。

一方、凸の需要に応えることが自分の存在理由だと凹が言うとき(そう言うのなら)、あるいは、俺の要望に応じることがお前の存在意義だと凸が言い、凹がこれにYESと言うとき(そう言うのなら)、凹は凸の従属物だ。凹の願望に応じることが自分の存在理由だと凸が言うとき(そう言うのなら)、あるいは、私の願望を叶えることがあなたの存在意義だと凹が言い、凸がこれにYESと言うとき(そう言うのなら)、凸は凹の従属物だ。

生きている個々の一人ひとりの個人の人間たちを見るとき、どの個人とどの個人がどんな関係でいるかということについて、誰かがふいに「よい」とか「悪い」とか俄かに決め(つけ)られない。個人と個人の関係は複雑で、何が何を支えているか、何が何を潰しているか、そう簡単にはわからない。
でも、拒否している(他)人に従属を強いることは、「個人の尊厳」を是とする立場からは、受け入れられない。個人の尊厳を是としない価値観では、嫌がられても拒否されても従属を強いれば「いい」。その世界観(※)では、個人に、尊厳などないのだから。

※世界観:
・「世界観(せかいかん、独: Weltanschauung)とは、世界を全体として意味づける見方・考え方のことである。 人生観より広い範囲を包含する。 単なる知的な理解にとどまらず、より情意的な評価を含むものである。 情意的な面、主体的な契機が重要視される。」(世界観 - Google 検索)。
・「世界観(せかいかん、独: Weltanschauung)とは、世界を全体として意味づける見方[1]・考え方のことである。人生観より広い範囲を包含する[1]。単なる知的な理解にとどまらず、より情意的な評価を含むものである[1]。情意的な面、主体的な契機が重要視される[2]。」(世界観 - Wikipedia)。
・「世界についての統一的把握をいい,知的側面ばかりではなく実践的,情緒的側面をも含めた包括的世界把握を目指す」(コトバンク(ブリタニカ国際大百科事典))。



また、「私があなたに従属し、かつ、あなたが私に従属している関係」というものもある。凸と凹の場合は、両者が同意していれば、それはあるいは幸せな関係かもしれない。でも、たんに人(たち)と人(たち)の関係の場合、両者が同意した関係である場合でも、つまり、その関係がイコール嫌な関係でない場合でも、何かあったとき、例えば「この場所からあの場所へ移動したい/しなければならない」というような要請が発生したときなどに、まるでデッドロックのように、にっちもさっちもいかなくなることがある。どっちかを解除しなければ、でもどっちが先?というような。お互いがお互いに「従属している」わけだから(「独立した個人と個人がお互いの意思で関わり合っている」のではない場合(のではないから))。



個々の生きている人 が大事/を尊重する という立場。

2017-05-09 21:56:02 | その他
「マクロン氏辞めろ」仏で大規模デモ 大統領選一夜明け

「左派系の市民団体などが呼びかけた」
「『7日は(敗れた右翼・国民戦線の)ルペン氏と戦った。今日はマクロン氏に抵抗する』などと訴えた」

個々の生きている人 が大事/を尊重する という立場からは、ルペン氏的なものもマクロン氏的なものも「よろしくない」ですね。そういう時代状況になったんですね。さあ、これから、我々は、どの道に行ったらいいんだろう?(「何かの属性の人は無視していい(自分さえよければ、あとはどうなってもいい」という価値観に基づかない世の中の展望は?)

関連:
リベラルの自爆行為?


同時代に起きている差別(リアルタイムに経験している差別)、気に留めることすら。

2017-05-03 07:06:48 | テレビ
知恵泉
 ”If you have the feeling that something is wrong, don’t be afraid to speak up.”
  ・フレッド・コレマツ 知恵泉
  ・フレッド・コレマツ


差別はなんでもそのようだけど、声を上げる(SPEAK UP)行為またはその声は、「その差別」が広がっているそのときは、誰もが取り合わない、もしくは、仮に気づいていても、「その差別」に気づかないふりを装うケースが多いもののようです。差別している側 or 大勢に乗っかる方が、ラクなのは間違いないかもしれません。周囲に合わせて、周りが右を向いていたら右を向く方が、ラク。声を上げないまでも、ふと「あれ?これ違う」と感じたことを気に留めることすら、「エネルギーが要る」ことかもしれません。自分で思うだけでも、ですね。多くの場合、人は、フレッド・コレマツ氏のようには振る舞えない(かもしれません)。(「その差別」が差別として認識された後世、自分たちがどのように認識されることになるとしても(仮にそれが予想されたときでさえ(気持ちのどこかでそれを感じていたとしても)))

差別 : 「特定の個人や集団に対して正当な理由もなく生活全般にかかわる不利益を強制する行為(コトバンク(ブリタニカ国際大百科事典))」。


「人間としての尊厳」とは。
  Sigh...。スヌーピー風に。



関連する?
ハンナ・アーレント
 ・「悪の凡庸さ」(NHK 視点・論点 「ハンナ・アーレントと"悪の凡庸さ"」 2014年06月25日 (水))。
   ・絶対の悪は、「悪魔のような人物ではなく、思考の欠如した人間によって担われた」という把握/理解。
   ・「『思考の欠如』とは、表層性しかないということ」。「悪は『根源的』ではなく、深いものでも悪魔的なものでもなく、菌のように表面にはびこりわたる」もの。
   ・悪を担った者が裁判でみせた「話す能力の不足は、考える能力、『誰か他の人の立場に立って考える能力』の不足、と結びついている」。
   ・悪を担うもの。
   ・その「悪に抵抗しうる可能性」は、「思考すること、考えること」、「自立的な思考」。

「しんどい生き方助長」という「見方」に?

2017-04-27 20:15:02 | その他
「しんどい生き方助長」というこの記事の「見方」に違和感を感じる、凄まれて求められる方がしんどい、というお話。

「しんどい生き方助長」
  “「なぜ(女性が)男の需要に応えなければいけないのか」「女性差別だ」”
  ↑この「捉え方」に、違和感を感じる。

なぜなら、「なぜ私(集団なら私たち)をちやほやしない?!」と女の子(たち)から凄まれる(? ← いや、でも本当に)、生活上やっかいと感じる(ほどの)アピールを受ける、(行動の)邪魔(を)される(行く道を遮られる)、粘着してつきまとわれる、というのが生活実感だから。男性である自分の方が望んでいない時場合でも(反対にこちらは嫌がっているときでさえ)求められる、迷惑だ/嫌だといっている時場合でも求めてくるというのが生活実感だから。※ △

挙げられているCMが削除になるか存続になるかは興味ないけど、挙げられているその理由に違和感を感じて、ひとくさり考えた。

自分はこう思う。これは「なぜ(女性が)男の需要に応えなければいけないのか」という「こと」ではなくて、「女性(たち)が自分(たち)の欲望で苦しんでいる」「こと」である。
同じような苦しみは他にもあります。点を取りたいんだけど勉強はきついとか、お金を得たいんだけど働くのはつらいとか。そういう苦しみを、生きているだけでなんでこんなにつらいんだ!?と神に問うみたいな風に問うことは出来るけど、生きている人間のせいにするのはお門違いです。とりわけ、個々の生身の人間に対して(責任を押し付けるor復讐)するのは。

と思う。



※いまこの話、コミュニケーションがあって、恋愛関係になったその後の話とか、人間関係があって、両方に、いい関係になるんじゃないかなという予感が漂う間柄でのやり取りの話をしているのではないです。仕事場で同じ働く人としてだけ関係している間柄なのに「女の子」を声高に主張してくる人や、公共の場ですれ違っているだけの赤の他人なのに無理強いしてまで「求めてくる」人についての話です。つまり、コミュニケーションのある部分が欠けていて、一方的な願望を押し付けてくる人の話。無関係の状態から関係を持ちたい場合、または、仕事場や何かの集まりなどで関係がある者同士の場合は、何かを受け入れて欲しいときは、「もっと近くなりたい」「うん、いいよ or そこから先は受け入れられない(踏み込んで来ないでくれ)」という普通のコミュニケーションを重ねてもらわなければならないし、無関係のまま同士の場合は、どの個人もどの個人のにも奴隷にならないし、互いに人格を尊重した譲り合いですれ違ってもらわなければならない (※2)。相手の意思なんか無視 or 願望が現実にならない、キー!! と無理強い or くどく粘り着かれても困るのです(ちゃんとコミュニケーションをはかれば、受け入れてくれるかもしれません。断られるかもしれませんが)。

※2 共存していくために。共存バイオが発生するなら、それを是とするなら、帰結するところは互いの殺し合いである。そこまで行き着かなくても、殺伐とした空間(敵意の応酬)の社会、または全員同士の殺し合いを避ける機能として何かの差別が生まれることになる。


△ TPOまたは求められる方の意思・意向を、求める者が無視するふるまい。男も女もその他も、ストーキングするのは、欲しいんだけど手に入らないものがあるとき