ビル・ウィザースは1971年にデビューした息の長いボーカリストである。1972年にこの「リーン・オン・ミー」がヒット後は、グローヴァー・ワシントンJr.、クルセダースなどのボーカリストをつとめていた。
この曲は、1987年にクラブ・ヌーボーの手により、カバー曲として全米1位のヒットになっている。僕としては、このリバイバルよりも、日本人歌手によるカバー曲として知ることとなった。それは、東京で「下北沢のジャニス(=ジャニス・ジョプリン)」と言われていた金子マリによるものだった。しかも日本語バージョンだった。
何年か前、BSのWOWOWで「ザ・レコーディング」という番組があった。キーボード&アレンジに井上鑑、ドラムスに村上ポンタ秀一、ギターに大村憲司、ベースに速水健二、ピアノに中西康晴、コーラスにチャカ(PYS)といったミュージシャンが、毎回、ゲストを呼び、主にカバー曲をレコーディングするという番組で、以前、「喜びの世界」の時にも話題にした番組である。金子マリがゲストのとき、この「リーン・オン・ミー」だった。
Lean on me
弱気な時、教えてよ、ここに居るよ
いつもさ、明日は来る、信じて傷ついても
道は、振り向いた時を越え続いている
今も、気がつけば、夕闇に落ちる夕日
誰でも同じさ、歩いてゆく
つまずき、笑い、悲しみ
私でよければ、真夜中でも
考えてばかり、いないで
Lean on me
弱気な時、話してよ、ここに居るよ
いつもさ、明日は来る、信じて傷ついても
誰でも同じさ、続けてゆく
苦しみ、悩み、悲しみ
私でよければ、真夜中でも
くよくよばかりしないで
Lean on me
弱気な時、話してよ、ここに居るよ
いつもさ、明日は来る、信じて笑顔みせて
Call me,Call me,・・・・・
この歌詞、歌の本に載っていたものではない。そのテレビ番組を録画して、必死で紙に書き写したものだ。そしてコードをつけて、自身のバンドで数年前に演奏した。もともとはビル・ウィザースの曲なので、またいつか演奏するときは、英語でも歌えるようにしたいものだ。
この曲は、1987年にクラブ・ヌーボーの手により、カバー曲として全米1位のヒットになっている。僕としては、このリバイバルよりも、日本人歌手によるカバー曲として知ることとなった。それは、東京で「下北沢のジャニス(=ジャニス・ジョプリン)」と言われていた金子マリによるものだった。しかも日本語バージョンだった。
何年か前、BSのWOWOWで「ザ・レコーディング」という番組があった。キーボード&アレンジに井上鑑、ドラムスに村上ポンタ秀一、ギターに大村憲司、ベースに速水健二、ピアノに中西康晴、コーラスにチャカ(PYS)といったミュージシャンが、毎回、ゲストを呼び、主にカバー曲をレコーディングするという番組で、以前、「喜びの世界」の時にも話題にした番組である。金子マリがゲストのとき、この「リーン・オン・ミー」だった。
Lean on me
弱気な時、教えてよ、ここに居るよ
いつもさ、明日は来る、信じて傷ついても
道は、振り向いた時を越え続いている
今も、気がつけば、夕闇に落ちる夕日
誰でも同じさ、歩いてゆく
つまずき、笑い、悲しみ
私でよければ、真夜中でも
考えてばかり、いないで
Lean on me
弱気な時、話してよ、ここに居るよ
いつもさ、明日は来る、信じて傷ついても
誰でも同じさ、続けてゆく
苦しみ、悩み、悲しみ
私でよければ、真夜中でも
くよくよばかりしないで
Lean on me
弱気な時、話してよ、ここに居るよ
いつもさ、明日は来る、信じて笑顔みせて
Call me,Call me,・・・・・
この歌詞、歌の本に載っていたものではない。そのテレビ番組を録画して、必死で紙に書き写したものだ。そしてコードをつけて、自身のバンドで数年前に演奏した。もともとはビル・ウィザースの曲なので、またいつか演奏するときは、英語でも歌えるようにしたいものだ。