■昨夜、NHK「わが心の大阪メロディー」をみる。
大西ユカリと新世界の「天王寺」がよかった。 出だしの歌詞で、現在のわたしの重心が、トロトロッと溶けだしてしまった。 ♪大阪みなみの玄関口は、 通天閣がそびえ立つ天王寺。 坂を下って新世界、動物園に茶臼山。 おっちゃん、おばちゃん、アベックさんと、 家族連れまで気楽に過ごす。 これがおいらのふるさと、天王寺。 大阪の生野区生まれ、生野区育ちのわたしにとって、天王寺は宇宙への出口、あるいは入口だった。 わたしのうちにある、あこがれ、あきらめ、幻滅、自棄、絶望、希望……人生の感傷の原点だ。 ■この♪「天王寺」が、きっと、明け方の夢に初速度を与えたのだろう。 いつもの「生野の地図づくり」の夢をみる。 バリバリと音をたて、わたしは、テーブルの上に白い模造紙をひろげていた。 まず、真ん中にマジックで、大阪環状線・寺田町駅のプラットホームを描いた。 次に源ヶ橋の交差点から、生野本通商店街、生野中央商店街、生野銀座商店街……と緑色の太線を引いた。 わたしの隣には喫茶&居酒屋「太子」のマスター(通称「おっさん」)がいた。 露地のこまかな部分は、このおっさんが手伝ってくれた。 「喫茶太子の筋向かいが駄菓子屋や。おっさん、小さい頃、よ~、たこ焼き買いに行ったんや」 「ここをまっすぐ行くと、肉屋の井上はんとこでっしゃろ。井上はんとこの3兄弟は、おっさんの幼なじみやんか」 おっさんは地図づくりとは直接、関係のないことをベラベラしゃべるが、露地の隅々まで、よく知っていてホンマ、頼りになる。 疎開通沿いに生野中学校(母校)、その隣に西生野小学校(母校)、勝山通のそばには勝山小学校(母校)……と書き込んでいった。 気がついたら、空が白みはじめている。 「おっさん、もう夜が明けるでェ。ピッチをあげんとアカンなァ」 と、顔をあげると、おっさんの姿はなくて、おっさんが使っていた赤マジックだけが揺れている。 仕方がないので、ひとりで天王寺公園付近を描き始めたが、谷町筋、上町筋、勝山通がこんがらがって、よくわからない。 汗をかいて、途方に暮れているところで、目が覚めた。 この夢の目覚めは、いつも悲しい ■悲しい夢から目覚めたあと、しめきりが迫り、2、3日前から気になりだした、原稿に向かう。 午前中で400字詰め原稿用紙換算で10枚。 パワーが途切れかかっている、最近のわたしとしては、もう狂瀾怒濤の執筆とゆーてもええと思う(*^_^*)。 ■〈亜紀さん宛にBBSに返信〉 「失意の放浪」は継続中ですが、体調はやや復活。 4月~5月は、身体的>精神的――不調。 これが、7月~9月は逆転して、精神的>身体的――不調。 この「精神的>身体的不調」状態というのは、わたし、実は、経験の量が少なく(^_-)、ホンマ、なんとも不安定、身の置き場なく、揺れる屋台上で原稿用紙にむかっている気分。 今も、この精神的>身体的――不調……という状態に大きな変化はありませんが、共にやや軽減されつつあります。 というか、ま、投げやり……自暴自棄……と言い換えてもいいかもしれまへん……。 本日、早朝より、しめきりが迫っている原稿に向かい、午前中で400字詰め原稿用紙換算で10枚。 パワーが切れかかっている、最近のわたしとしては、もう狂瀾怒濤の執筆とゆーてもええと思います☆.。.:。 原稿用紙5枚のええモンよりも、原稿用紙100枚のアホなモンを創りだそうという「勇気」です。 その間、あきらめ、幻滅、自棄、絶望の感情は、すべて忘れていました。 ■画像はみなみの夕焼けとみなみの花梨。 [2006年11月04日(土)]
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