今、日本への飛行機の中でこれを書いている。セントルイスを離れる際、正直想像していなかった感情が沸き起こった。朝家を出るときから空港で飛行機に乗るまで涙が出てきそうで必死に感情を抑えていた。知らず知らずのうち、セントルイスに対する思いは強くなっていたようだ。
この2年間、Olinでまあ言ってみれば基本的には勉強してきた。想像していた通り勉強で身に付けたものは知識でしかなく、生かすも殺すも自分次第なわけだ。ただ、現場一筋で生きてきた自分にはそんな知識など実際の局面では二の次、三の次になることも分かっている。勉強したぞと意気込む仕様も無いMBAにならないよう、今一度社会に再度出る前に肝に銘じておきたい。
じゃ、何の為の2年間だったのか。やはり得たものというのは、異国の地で生活を立ち上げる経験、ビジネススクールならではのさまざまな国籍・文化が入り混じった場所での人の交流を通して「見聞を広め自分をでかくする」ということに尽きる。
思い返せば自分にとっては規格外のことがインド人にとっては常識だったり、逆に万国通じて非常識なことは同じだったりとクラスメートを通して本当に学ぶことが多かった。はたまたFinanceやってきた奴らの事業に対する考え方がどうしても許せないこともあったし、経験の浅い小僧のようなクラスメートから唸ってしまうほど素晴らしい意見も聞けた。もちろん、同世代の仲間としてときにはケンカもすれば、陰口もたたく。また時にはどうしても乗り越えられない文化の壁も感じた。そういう風に愉快でない時間も旅行や飲み会で過ごした楽しい時間も全てが自分にとってプラスになっていると信じれる。
こうして書くと「そんなもん?」って感じだが、まあそんなもんだと思う。ただ表現が月並みに聞こえるだけで、この2年間は前職で7年以上業務を経験したことに匹敵する価値があったと思える。アメリカに来てセントルイスに来てそしてOlinに来て本当に良かったと今心の底から思う。
この2年間を素晴らしい期間にしてくれた、家族・クラスメート・学校関係者・連れには一生の感謝を捧げたい。今回でブログは終了。読者の皆さん、ご愛読ありがとうございました。またこれからMBAを目指される方々の参考に少しでもなったのなら幸いです。
この2年間、Olinでまあ言ってみれば基本的には勉強してきた。想像していた通り勉強で身に付けたものは知識でしかなく、生かすも殺すも自分次第なわけだ。ただ、現場一筋で生きてきた自分にはそんな知識など実際の局面では二の次、三の次になることも分かっている。勉強したぞと意気込む仕様も無いMBAにならないよう、今一度社会に再度出る前に肝に銘じておきたい。
じゃ、何の為の2年間だったのか。やはり得たものというのは、異国の地で生活を立ち上げる経験、ビジネススクールならではのさまざまな国籍・文化が入り混じった場所での人の交流を通して「見聞を広め自分をでかくする」ということに尽きる。
思い返せば自分にとっては規格外のことがインド人にとっては常識だったり、逆に万国通じて非常識なことは同じだったりとクラスメートを通して本当に学ぶことが多かった。はたまたFinanceやってきた奴らの事業に対する考え方がどうしても許せないこともあったし、経験の浅い小僧のようなクラスメートから唸ってしまうほど素晴らしい意見も聞けた。もちろん、同世代の仲間としてときにはケンカもすれば、陰口もたたく。また時にはどうしても乗り越えられない文化の壁も感じた。そういう風に愉快でない時間も旅行や飲み会で過ごした楽しい時間も全てが自分にとってプラスになっていると信じれる。
こうして書くと「そんなもん?」って感じだが、まあそんなもんだと思う。ただ表現が月並みに聞こえるだけで、この2年間は前職で7年以上業務を経験したことに匹敵する価値があったと思える。アメリカに来てセントルイスに来てそしてOlinに来て本当に良かったと今心の底から思う。
この2年間を素晴らしい期間にしてくれた、家族・クラスメート・学校関係者・連れには一生の感謝を捧げたい。今回でブログは終了。読者の皆さん、ご愛読ありがとうございました。またこれからMBAを目指される方々の参考に少しでもなったのなら幸いです。