オフィス・ソガ 曽我傑 

曽我傑 関係イベント年度予定

閑房幻聴録 1

2011年07月27日 | 雑記帳

 ・ 自分の仕事範囲は、幼稚園児、小学生の健康ダンスグループの発表会から90歳になろうかという舞踏家の公演まで渡る。最近はあまりやってないが、ひところ和物のオカマショー(結構楽しくはあったが)、パフォーマンス落語、アングラ芝居、医学学会、モーターショーなどめちゃくちゃです。お陰で「舞踏」のなんたるかに触れられた気もします。

・ かつて上杉満代、武内靖彦、秀島実の三人によるテンポラリーの舞踏ユニット「21世紀舞踏インベンションの会」が行った舞台で『薬鑵(やかん)』という傑作がある。三人はいずれもキャリアと実力、存在感においては拮抗するものがあり、その舞台は実に見ごたえがあり、或る意味、奇跡的でもあった。特筆は、そのユニット名が示すようにインベンション、つまり即興を作品化の軸とするものであり、チープな振付、構成などのモダンスタイルに対して刺激的にアジテイトするものだった。もっともこのようなことが起こりうるのも、彼らほどの舞踏体があってのこと。そう簡単には即興で奇跡は起こるはずもないだろう。彼らの舞台は本物のロックコンサートだった。

・ アメリカンセンターでのテリー・ライリーのレクチャーに参加していた。作品「インC」の分析の後で生徒の質問を受けた際に一番に質問した男がいて、「ライリーさんはどんな環境でこのような曲を作っているんですか?」と聞いた。その答え、「お前は週刊誌か何かの記者か?なんでこの場にそうやって座っているのか?」だった。

・ 東京芸大で皆川達夫の「中世の音楽」に関する講義に潜り込んでいた。先生は私が潜り学生であるのを承知していたが何も言わずに最後までそこに居させてくれた。ある日、トレルチの何かの論文の解釈についての宿題発表を私にさせたのだが、どうも読み方にピントがずれていて、私はその書物を書いた時のトレルチの精神状態がこうだった、みたいな事を読んだのだが、先生は「う~ン?そういうことではなくて単純に何が言いたいかを簡略にしなさいということなんですけどね~。まあ、あなたの視点もあるとは思いますけどね~。」と何やら歯切れ悪くその日の講座は時間切れとなった。

・ 生前、私と母が道を歩いていた時に一匹の野良犬に突然吠えられたことがあった。その時母が四国弁まるだしで、「お前は何がそんなに辛いんぞ?このおばちゃんにちゃんと話してみよ!」と、その犬に話しかけていた。その犬はなんだか反省したようだったが・・・。

・ ギリシャ、デルフィのアポロン神殿遺跡にある競技場に仮設された舞台でボリショイバレエ団のプリマによる「白鳥の湖」を観た。本当に感動を受けた。舞台で起きた奇跡的瞬間なのではなく、「こういうことが舞台というものか」と思い知らされた瞬間だった。

・ 1983年から20年間、群馬県の片品村で音楽祭をやっていた。初めはいわゆる「音楽祭」そのもでクラシックや民俗音楽などを中心に展開していたが、最終的にはダンス、舞踏の公演が多く行われるようになってきた。音楽の原点帰りが自然と実現してきたのだと思う。

・ 「枯れる」ことの意味の深さについて色々と考えてみる。存在における(物あるいは物質)それぞれの生の歴史の一応の総括、又は経過した時間の「質」の表情か?人については、この季節(枯れて終焉期に入る時期)を過ごすための精神的な支柱となるのか?

・ 鳥居えびす、田中奥睦子が主催する舞踏舎・天鶏のアメリカを主にした世界ツアーのエージェントをしていたのが故ダーリーン・ニールである。ニューヨーク、ジョイスシアターでの公演リハーサルの際、私の出す音について劇場のスタッフからクレームが付いた。「あまりにも音量が大きすぎて音響設備が心配だから、もっと下げてくれ。」と言うのだ。私の場合、公演では不愉快なほどの最大音量がとても大事で、時にシーンの要素として使うことがあるので、このクレームは無視して更にテストしていると、なぜか私の意思でなく会場でのボリュームがスーッと下がってしまった。「設備のメインアンプのボリュームを下げやがったな」と思い、今度は私の方でコンプレインを出した。劇場側とこんなことで真っ向勝負となったわけだが、どうにも平行線なので私はエージェントであるダーリーン・ニールに「どうしてくれる、こんな小屋ではやれねーぞ!」と文句を言ったら彼女、「ソガはプロフェッショナルでアーティストだからやりたいようにやればいい。いくら権威ある劇場だとは言え、そんなこと言う奴はもしここにピストルがあったらそいつを撃ち殺してやる!」と、相当な剣幕でどこかに飛んで行った。「何という反応の仕方だろう」と、彼女の根性に大いに感動したものだ。ちなみに彼女はピナ・バウシュのアメリカ公演の際のエージェントでもあり、その後私をピナに引き合わせてくれた人でもある。

・ 30年ほど以前に作った曲で「SHAKKUU」(尺空)というのがあって結構気に入っている。地上から一尺ほど浮いた空間の出来事みたいなイメージのものだが、最近の自分の普段の感覚がどうもこれに近い気がする。「自分は世間とちょっとずれてるなぁ、どうも足場が浮かんでいるみたいだ」と思う事が多い。結局は「そうなんだからしょうがない」で適当に納得して収めてはいるが、ここのところ頻繁にこの想いに囚われる。ただ、もう普通に(世間並みな生活)には戻れないのは十分承知はしているが。

・ 南米上空を飛んでる時に機内で非常音が鳴り響いた。機体のどこかが故障したらしい。ペルーから南下する最中で眠いのもあって「今どの辺を飛んでるか」など気にもしていなかったが、突然の異変に「どうなっちゃうんだろう?」くらいしか考えられなかった。で、この飛行機はどこか最寄りの田舎飛行場に非常着陸することになり、言われるがままの行動を取ったが、今思うとその時には「死」の予想は全然なかった。「そんなはずは無い」、で結局そんなはずもなく、機体は無事に(?)どこかのジャングルの真ん中に出来た砂利道並みの飛行場に着陸。明るいうちの出来事で、珍しいジャングルの空港を体験できたのだ。修理部品を運んでくる別便を待っている間、妙に一人でなんだかわくわくしてしょうが無かった。不思議な心理状態でした。

・ 一生懸命に練習して、人よりも上手になったところをご披露するような舞台。これはスーパーマーケットに並べてよく売れやすい、形の良い揃ったきゅうりを育てるのに等しい。それなりの美しさはあるが、畢竟、商品価値を高めて見劣りのするものよりも差別化を図り、より高く売るための行為。つまり経済原理に基づいた行為。ある意味、避けて通れない芸術のプロセス。ただし舞台を創る時の目標、方向がここに留まるものではない。遥かその先にあります。観客も含めて「大いなる自由の時の喜びを知る」。

・ ブラジル、カンピナスでの公演後の食事の席で集まった現地のダンサー、スタッフ達全員に質問したことがある。「君にとって人生で最も大切な、大事な言葉は何?一つ教えて。すると、「愛」「親、兄弟」「美」「家族」「平和」「信頼」・・・などなど。中で一人、詳しい事情は良く分からないが、祖国を追われてアメリカに来ていた男がいて、家族全員がばらばらになってしまっているらしく、こいつの言葉は「ホーム」だった。

・ 舞踏周辺で酒の臭いがついた寝言たわごとにさえ、愛と叫びを想う。これらもみんな舞踏の肥しか。仕事帰りに酒飲んででかい声を出しながら、小さなことで自己主張する習慣のサラリーマン達も皆さん舞踏のお客さんになれるんですよ!

・ 舞踏は本当に面白い!とにかく舞台によって様々過ぎるので、「今度はどの手でやってくるのかな?」と期待もさせてくれる。私は観客で鑑賞することが少ないが、完全に外から眺める機会を持った時に改めて感じる。一つの舞台についてとやかく言うリップサービスも花盛りの世界にも思える。また、厳しい日々の生活の中で、その舞台にもってゆく舞踏家にも尊敬の念を覚える。批評家連中は彼らに対して、くれぐれも失礼のないように振る舞うことから、心して言葉を絞り出してほしいと思う。もしも「俺がこいつを育ててやってる」などと言う勘違いをしていたら、せめて公演の資金援助なり、かつてのパトローネとしての振る舞いを望む。決して「舞踏希求人口」は少なくない。むしろ潜在的にメジャーなフィールドだ。なぜなら、人に通底する生体振動が現れてくるものだから、言葉や価値観以前のコミュニケーション手段でもあり、このことは歴史の失語症から再生させてくれるかもしれない希望と一条の光を見せてくれるスーパーホープなんだ。とは言うものの、舞台に立つもの、裏で動くもの達の心掛け次第。

・ ある日、ロスアンゼルスの一角のソカロ・デ・ロサというリトルメヒコ地区をうろついていた。あまりに暑いし、ちょっと金も持っていたこともあり衝動的に「散髪したい!」となぜか思いついてしまったのだ。その頃、私は背中の真ん中辺にまで届くくらいのロングヘアー(何のことはない、ただの無精者だったわけだが)だったので、この暑さで自然とそう思ったのだろう。一軒のメキシコ人の床屋に入ってしまった。散髪中は髪が切られる爽快感で満たされていた。良い気持ちでそのまま目を閉じ100%の脱力気分でそこのヘア・アーティストにまかせていた。雰囲気がどうやら終了した感じなので、ふっと眼を開け、差し出された小さな手鏡を覗き込んだ時のショックはかなりのものだった。なんと、私の頭がビッたりといわゆる見事な7:3分けっていうやつになっていたのだ。「誰だ、こいつは!」。次の瞬間、なんだか嬉しくもなっってきてしまった。この辺の心理状態については、いまだに解決してない。

・ 中国返還前の香港に一度行ったことがある。まだまだ街は歴史の中に有り、アヘンの香りがする独特の空気を味わった。ある日、どうにも虫歯の痛みに耐えかねて宿の人に歯医者を紹介してもらったのだが、この人が言うには「3ブロックほど北に行ったらそこらへん全部歯医者だからそこに行くと良い」。そこら辺全部歯医者?行ってみるといわゆる歯医者さんらしき場所はなく、なにやら漢方の店が並んだ街並みであった。そうか薬で治すのかと納得して、一軒の派手な店を訪ねた。そこで痛み止めを買ったのだがこれが「正露丸」の巨大な奴で、おにぎりを一回りでかくしたようなインパクトをもっていた。これを大きな紙袋に詰め込んでくれて店の主人曰く、「これを喰え!」の一言。巨大正露丸はおそらく15個ほど入っていたのだろう、かなり重たい。「まさか一回で一個は喰えないだろう?」と思いつつ痛さが和らぐまで少しづつかじってみた。変化がないのでさらにもうひとかじり。口の中が耐えがたいほどの漢方臭で溢れる。そのうちにどうも腹具合までおかしくなってきた。今度は腹の調子が異常に悪い。どうやら正露丸の喰いすぎか?歯の痛みどころではない。「もしかして深刻な状況かも」と、ややシリアスな気分になったが、このお陰で歯の痛みからは見事脱出できたとも言えなくもないか?

・ 選挙前のアンケート調査、「消費税論議、あなたは賛成か反対か?」これで投票予測をニュースに出来るマスコミ。また、結構その予測が当たる。ちょっと待ってくれよ、「賛成か反対か」で決めることではないだろうよ!「理解するかしないか」では?経済学者の理論は国経済対処療法で必要だろうが、そこに哲学者か歴史学者、あるいは芸術家も加わって、ぼちぼち政治と選挙制度そのものについて「賛成、反対」を問うてみれば?マスコミのインタビューではこう聞いて下さい、「お前らよく判ってんの、ちゃんと考えてんの、こいつに投票することでなにがもらいたいのょ」。そうか!今気付いた、政治とか選挙とかは、そこらへんの事なんだ!こいつはうっかりだった。車両の隅っこに「シルバー席、レディスシート」のシールを張り付けるための予算を決めるようなものなんだ。う~ん、一見正しくおもえるが・・・?

・ 秋になると虫が鳴く(泣くではない)ように、人にもそれぞれの鳴き様がある。あるものはついつい絵を描きたくなる、音を出したくなる、または聴きたくなる。更には、言葉が溢れてくる、踊りたくなる、などなど。実に自然な生命の証のようだ。さて問題は不自然な状況でそれらに関わっている場合だが、これには長い人生でいずれ無理がくる。不自然な状況とは、本人の生理現象としてでなく身近なところの風潮に引っかかってしまった場合。これは一時の夢中はあるが結局不幸なものだ。だが一生それと気づかずに過ごしてしまえるラッキーもある。ただそれは、見れば分かる、聴けば分かる、観れば分かる。

・ 数十年前、バンコクのエラワンホテル近くの公園にタイ舞踊を見せる常設の場所があって、観光客目当てに毎日上演していた。私も遠巻きにそれを鑑賞していたが、ふっと気づくとわたしのズボンのポケットになにやらもそもそと動く子供の手が入っていた。驚いてその手をどかそうとしたらその子が私の顔を正面から睨みながら、再び手を突っ込もうとする。ポケットには何も入っていなかったのでやがて子供はあきらめた風だったが、後で考えてみて「こんなに堂々とした泥棒なら愛嬌ものだし許せる」と、なぜか寛容な気持ちになった。

・ 絵師の香川大介、こいつはすごい!まだまだ若者だが、文句無しの天才である。一度出会ったばかりで詳しいことは知らないが、福岡出身のこの若者、とにかく話していて妙に気持が良い。いつもにこにこと話すし、私のような者にでもメシや飲み物のレベルから随分と細かく気を使ってくれる。ミニマル・ミュージックやチャンス・オペレーションが基調の私の音楽感覚からすると彼の絵はスケールの大きなミニマル交響楽そのもの。中途半端な才能や経験で身を固める文化人の多い中、彼の存在は本当に気持ち良い芸術の風を感じさせてくれる。

・ 最近、へたくそな踊りをする人に妙な魅力を感じてしまう。これは、以前ピナ・バウシュの仕事をしていて、確かパリ・オペラ座で「春の祭典」をやった際に、その最後のクライマックスシーンをあまり踊りが器用でない男をソロでヘトヘトになるまで踊りきらせて、しまいには山と積んだ泥の舞台の真中に倒れこませて動かなくしてしまうほどの極端な振付(?)に付き合った時に感じたものだ。素直に感動した。「~そうか!」明快である!簡単なことなのだ!多く述べる必要は何も無い。踊りが第一次産業に帰還した瞬間なのである。ピナは大野一雄に感化され、しかもユダヤ人の彼女がゲルマンに向き合うこと、さらに当時の女の迫害の歴史を想う時、こんな風に自然発生的に劇場に生まれてきた場面なのだろう。これぞ「春の祭典」なんです。

・ チープで薄っぺらくペラペラな言葉達。「公共」「歩行者優先」「著作権」「社会通念」「常識」「狂気」「~デザイナー」「~イスト」「大人と子供」「健常者・障害者」「~センター」「文化人」「有名人」「サブカルチャー」「海外」「トーキョー」「~ファンド」・・・。皆さん、もっとお気づきになりましたら、どしどし追加していって下さい。

・ キューバのバハマで仕事した時のこと。劇場専属の技術担当のおじさんが私が作業している間ずっと、私の仕事道具のいろいろについて「あれもらえないか、これが欲しい、なにかくれないか・・・」の連続で、本番中もすぐ傍に陣取り、これの連発である。実際、キューバは旧ソ連時代に栄えた痕跡はあるが、ペレストロイカ以降ソ連崩壊で置き去りにされたまま、無形文化財のようになって、確かに現実を生きているような、ほとんど亡霊の感じの街が残されている。生活資源と言ったら葉巻煙草、コーヒー、麻薬、闇の両替、あとは踊りと音楽くらいしかない。「そうだろうな、こういう人にとっては私の持ってる仕事道具は本当に欲しいんだろう」と理解はするがあげるわけにもいかず「ごめんね」のリピートだけ。なんだかんだで、本番も終わりこの場所から離れるので、お世話になったお礼のご挨拶に行った時、このちょうだいおじさんが「あんたと一緒に仕事が出来て本当に嬉しかった。これは自分のバイブルみたいに大切なもので何度も読んでるからぼろぼろだけど、自分のお礼の心だと思って記念に受け取ってくれ」と言って、安っぽい印刷状態のチェ・ゲバラの生涯を記した一冊の本を私にくれた。しかもその本が彼の手から離れようとした時に、もう一度手を当てて何かを囁くような仕草と共に大粒の涙を流したのだった。私は「それほど大事なものを、さっきまであれくれ、これくれと言ってた奴が逆に手放そうとするのか」とショックだった。同時に自分のチープな執着心を思い知らされた。それでもやっぱり、私の大切な道具は最後まであげなかったけど。

・ ネパール、カトマンドゥ近くの寺で「五体投地」を目撃したことがある。どこか遠くからやってきたのであろうその巡礼者に私は「五体投地」して拝みたくなった。

・ ニューヨークに住みかつてソル・ルウィットと協同作業をしていたプリンティングアーティストのジョー・ワタナベに教わったこと。「舞踏でもその他のものでも一つのエクセレントの要素を持ち、終演後には何か感動したいものだね。珍しいだけなら直ぐに飽きちゃうね。まあ一応はお金払って見に来るけど、次のことは分らんねえ。」

・ 韓国アンソン市ジュクサンで毎年開催される「Juksan International Art Festival」の何度目かの開催の時、あるドキュメンタリーフィルムに出会った。内容は単純で、タクラマカン砂漠近くに住むひと組の農民夫婦の日常記録。だが特筆は、この夫婦が毎日砂漠の中に出かけて行っては、全く絶望的にも植物の種を風に乗せて撒き続けているのだ。さらにペットボトル数本に詰めたわずかな水を撒き散らしてその日は終わるのである。これを何十年も続けているというのだが、インタビュアがマイクを二人に向けて「なんでそんなことしているのですか?あんな砂漠にいくら種蒔いても何も出来ないでしょうに。いつまで無駄な日々を送るつもりですか?」。夫婦の答え、「何の保障もないですけど私たちは農民だし、奇跡的にもこんな砂漠にでも根付く種があるかもしれないと思うと、その希望が毎日私たちをあそこに運んでゆくのです。あなた、絶対にそんなことあり得ないと言えますか?もちろん良い条件の畑も耕しますが、この砂漠で少しでも新しい緑のところが生まれるのを見たいんですよ。」 このジュクサンのフェスティバルでは実際にこの夫婦をゲストとして呼んでいて直接お会いすることが出来た。画面で見る感じよりずっと小さなお二人だったが、握手を求めた私に驚いたように、どうしていいんだろうというような表情で、手を握り返してくれ、深々とお辞儀をしてくれた。「いや、そうではないんです。私の感動の気持ちを伝えたいんですよ。」と言いたかったのだが、どうにも言葉が出なくてただ無言で頭を下げた。

・ 大野先生がお盆に載せてわざわざ持ってきてくれて「暑いでしょ、ハイ、どうぞこれでも飲んで下さい」と、ガラスコップに注がれた麦茶を一杯頂いた。これであの時に頭も冷ますことができた。

・ 「音」は自然現象の一つだが、その「自然が発生する」あるいは「成立する」条件「場」については、これがやっかいにも様々に取りざたされており、なんとも「これです」とは言い難い。静かに音の様を観る。ああ、観音様。しばし「止観座」に挑戦。

・ 「舞踏」(The Butoh)の源流には古来、「踊躍会(ゆやくえ)」「念仏踊り」「神前舞い」などの「祈り」を前提とした所作がある。様式はそれぞれの言語(方言)に似て、それなりに或る「カタチ」にたどり着いたのだろうが、それにはどれ程の時間が必要だったのだろか、想像すると何かに対してひれ伏す想いになる。

・ 長年の悩みの種はたくさんあるが、中でもやっかいで自分の寿命を縮めているのではと思えるものに「今鳴っているすべての音が聞こえてしまう病気」だ。例えば電車に乗ると、近くで携帯をいじってる奴の指がどのように動いているかまで聞こえてしまう。それが何人にもなると、頭の中が工事現場になってしまうのだ。いっそでかい音で溢れる環境ほど自分の処し方が楽になる。抵抗しようがないと思うと、自分のことに集中するからで、その時私は貝殻のように外の世界を遮断する生存本能が働くからなのだろうと思う。しかし長くやってると酸欠で窒息状態になり、やはりしんどいものだ。別に車生活が好きというわけではないが、まだ「自分が運ぶ空間」にいられると思うと、ほんのわずかな自由が味わえる。たぶん宇宙船の内部でもこんな感じなんだろうなア。

・ 「価値」について、それがいったいどういうことなのかを考えている。とりあえず判明したのは「ある存在の在り様についてのもっともらしい理由付け」であること。つまり存在論と共通のカテゴリーか。これは日常現象の上では多様な表情を生むので面白いものを見せてくれるエネルギーになっている。

・ 無駄と思えるものも、「無駄であることの有益性」を孕む。無駄排除の情熱をサポートするし、或る者にとっての「生きがい作り」にもなっている。

・ 話すことの「うるささ」には二つの理由がある。内容のうるささの他、声そのもののトーン、抑揚、空気圧力変化の度合いなど。心地よい会話には天才的な会話コントロール技術を持ったものか、謙虚に発信制御するデリカシーをもつものがよい。

・ 多数決が民主主義の原則?それはないだろう。それであるなら、なにとぞ私を「大衆の一人」から除外して下さい。ただの動物でいいですから、今の日本なら。

・ キーワードはあくまでも「無名性」です。なぜなら「無名」において平等だから。

・ 経済力学に翻弄され続けるのも結構体力が必要。動産VS不動産では今は勝負にならない。「神による福音の時」を皆で待っていよう。

・ 思い出話でどうかと思うけど、20数年前にメキシコのティファナの安宿に滞在したことがあって、その時の出来事が印象深くて今でも時々思い出す。それはチェックインして最初の朝早くのこと。前日の移動疲れでたぶん熟睡中だったはずなのに、朝の5時半か6時頃、ドアを何か叫びながら強烈にノックする奴がいて、何事か事件でも起きたかと思い飛び起きた。その頃のメキシコと言えば治安の悪さでは有名で多少の事件はごく日常の風景だと言われるほどのところだったことも手伝って「やはり事件だ」という結論でそのドアに向かった。メキのスパニッシュなど判るはずもないので、とりあえず“ホワッツ?”みたいな事を言ってみたが、皆目ドアの外の奴の叫んでいる内容が判らない。腹を決めて少しだけドアを開け、改めて“ホワッツ?”をやった。するとこいつ(かなりのおやじさんだった)が小鳥の啼き真似を見事にするではないか!「なんだこいつは、キチガイか?」と思ったが、執拗に小鳥を繰り返す。「くそ、こんなに早く起こしやがってなにやってんだ、このばかおやじが!」。その後先方も様々な方法でともかく意思伝達したいらしく、身ぶり手ぶりの嵐の時間が過ぎ、やっとわかったのだが、どうやら毎朝この部屋の窓に決まって何か小鳥が飯を食いに来るらしいのだ。それをこのおやじは欠かさずに世話をしているらしい。耳に残ったおやじの半泣きの声「ピーチョ、ピーチョ、チュクチーヤ、チュクチーヤ・・・!」が今でも聞こえてくる。

 

 

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