“<闇>の寄せ手が攻め来る時
六たりの者、これを押し返す
輪より三たり、道より三たり
木、青銅、鉄、水、火、石
五たりは戻る 進むはひとり”
上の詩は、"The Dark is Rising Sequence"というシリーズものの本文の一節です。
これは、イギリスで1965年から1977年にかけて書かれた全五冊のシリーズで、日本では評論社から【児童図書館・文学の部屋】のレーベルで、『 闇の戦い 』シリーズとして全四部作が翻訳・刊行されています。(第一部:Over Sea, Under Stone は、『コーンウォールの聖杯』という邦題で学習研究社から刊行されています。)
( 画像は、シリーズ最終巻『 Silver on the tree 』(邦題:樹上の銀)の表紙画像です。)
作者は、スーザン・クーパー女史。
Over Sea, Under Stone (1965)
The Dark is Rising (1973)
Greenwhitch (1974)
The Grey King (1975)
Silver on the tree (1977)
の四部作を上梓。
これらは、イギリスを舞台に、そしてイギリスの民間伝承を土台にして書かれたハイ・ファンタジーです。ハイ・ファンタジー・・・日本語に訳すと、「至上の幻想物語」とでも言うのでしょうか。
物語の主役は、11歳ぐらいの少年少女です。
彼らは人間を支配しようとする存在と戦いを繰り広げます。
「戦い」と言っても、それは殴り合いでも殺し合いでもありません。昨今の、日本のファンタジーはそういったものが多いですが・・・。
派手な魔法合戦があるでもない。血沸き肉踊る冒険活劇でもない。
しかし、読んでいるうちに、その世界に引きずり込まれるはずです。
【シリーズあらすじ】
ウィル・スタントンは、11歳の誕生日に不思議な力に目覚める。彼は、『光』の<古老>達の最後の一人であり、『しるしを探す者』と定められた少年だった。
彼を導くのは、最古の<古老>であるメリマン。
時は冬、降誕祭間近で、『闇』の力が高まりつつあった。
ウィルは、メリマンを師として、古老として仙術を学びつつ、預言詩にある「六つのしるし」を探していく。そのしるしこそ、来るべき『闇』の勢力との最後の戦いにおいて、勝利するための力の品々のひとつだった。
ウィルたちを妨害する、闇の<黒騎士>。
メリマンの家令であったホーキンの裏切りや、大寒波による積雪。
多くの障害を乗り越え、隠されていたしるしを見い出し、『ひとつの輪』としてしるしをつないだ。
コーンウォールのトリウィシック村では、ドルー三兄妹と『聖杯』を。
ウェールズでは、ブラァン少年と出会い、『竪琴』を。
また、<失せし国>では、『水晶の剣』を。
ウィルは、光の預言詩に従って、それら力の品々を人間とともに探索する。
そして、夏至の日、さだめの時、光と闇との最後の戦いに彼らは臨む。
しかし、そのとき、意外な人物が裏切り者と分かり、それをきっかけとして、戦いの趨勢を決める決定が、とある一人の人間に委ねられることになってしまう・・・。
・・・こんな感じでしょうか。
彼らが使う魔法・・・仙術は、何かを破壊したりするものではなく、主として、「相手を<時の彼方>に吹き飛ばす」ことや「時の流れを飛び越える」。あるいは、智識として表現されます。
また、物語の各所で印象深く語られるのは、何かを破壊したり奪ったりするのは、「人間だけだ」という言葉です。
シリーズ第四巻『灰色の王』では、竪琴の探索に関係したブラァン少年に、<上なる魔法>の管理者は告げるのです。
「心せよ。そなたの大事なものを奪うのは、そなたの同胞たる<人間>たちだけなのだ」・・・と。
物語の核心には、ブリテン島に伝わるアーサー王伝承があります。
ネタを明かせば、主人公ウィルの友となるブラァン少年は、ペンドラゴン・・・つまりは、彼はアーサー王の息子であり、王妃グゥイネヴィアの不倫が原因で、嗣子でありながら、<光>の手で現代に時間を下って送られてきたのだとするのです。
かつて、暗黒時代、ブリテン島を救ったアーサー王の息子が、現代で人間を救う。
しかし、それは<闇>の側から見れば、<光>が時間を操った結果に過ぎない。<闇>は、ブラァンが最後の戦いに関係することは許されないと、<上なる魔法>に訴え出るのです。
そこで、ブラァンの伯父が、裁定を下すのですが、彼は言うのです。
「確かに、この子が生まれたのは、今からはるかに昔かもしれない。
しかし、育った時代は、今この時。
この子が過ごした十数年が、<現在>であるのなら、この子は、この時代に属している。
この時代の行く末を決める、この戦いに参加するのは、当然だ」
・・・と。
裁定は受理されるのですが、伯父が、代償としたのは、自身の妻だったのです。
結果的に、最後の戦いは、<光>の辛勝に終わるのですが、『闇から人間を護る』役目を終えた光の古老たちは、<時の彼方の休息所>へと去っていきます。
そのとき、彼らの言葉は、
「これからは、人間は、<闇>の影響を受けない。
これから先の人間たちの行く末は、人間達自身の手に委ねられたのだよ」
・・・とあるのです。
先の、ブラァンの伯父の言葉といい、この最後の言葉といい、作者クーパー女史の言いたかったことはこういう事かもしれません。
どんな魔法があろうとも、どんな魔法を使われようとも、人間の将来は、人間自身そのものが決めるしかないのだ、と・・・。
また、上記の言葉に対する、子供たちの言葉が誠実さに溢れています。
「最善を尽くすことを、誓うよ」
・・・と。光の古老のメリマンは、笑いながら言うのです。「それ以上の約束の言葉は無いな」と・・・。
すべてが終わり、人の行く末を見守る役を負ったウィルを除いて、戦いに参加した子供たちや大人はすべて記憶も力も消し去られます。
そして、自分達が成し遂げたことは何も覚えていないままで、日常の彼らの生活に戻っていくのです。
この辺りが、この物語の何ともいえないツボかもしれません。
私がこの本を読んだのは、中学生の頃の事。
表紙画像の原書を購入したのは、東京に居た頃、吉祥寺のとある書店のフェアでの事でした。この挿絵画家の手による1970年代の版は、今では入手不可なのです。
このシリーズのイメージを上手く表現しているのは、この挿絵だと思うのですが、英米で販売されている最近の版は、全く別の挿絵なのです。日本の評論社による翻訳版は、いまだ1970年代の挿絵を守り続けてくれているのですが。
近年、『指輪物語』『ナルニア国物語』といったファンタジー物語が相次いで映画化されています。
この『The Dark is Rising Sequence』も、やはり映画化が決定されたそうです。
具体的なキャストなどはまだ不明ですが、原作をどう活かすのか、今から期待しています。
六たりの者、これを押し返す
輪より三たり、道より三たり
木、青銅、鉄、水、火、石
五たりは戻る 進むはひとり”
上の詩は、"The Dark is Rising Sequence"というシリーズものの本文の一節です。
これは、イギリスで1965年から1977年にかけて書かれた全五冊のシリーズで、日本では評論社から【児童図書館・文学の部屋】のレーベルで、『 闇の戦い 』シリーズとして全四部作が翻訳・刊行されています。(第一部:Over Sea, Under Stone は、『コーンウォールの聖杯』という邦題で学習研究社から刊行されています。)
( 画像は、シリーズ最終巻『 Silver on the tree 』(邦題:樹上の銀)の表紙画像です。)
作者は、スーザン・クーパー女史。
Over Sea, Under Stone (1965)
The Dark is Rising (1973)
Greenwhitch (1974)
The Grey King (1975)
Silver on the tree (1977)
の四部作を上梓。
これらは、イギリスを舞台に、そしてイギリスの民間伝承を土台にして書かれたハイ・ファンタジーです。ハイ・ファンタジー・・・日本語に訳すと、「至上の幻想物語」とでも言うのでしょうか。
物語の主役は、11歳ぐらいの少年少女です。
彼らは人間を支配しようとする存在と戦いを繰り広げます。
「戦い」と言っても、それは殴り合いでも殺し合いでもありません。昨今の、日本のファンタジーはそういったものが多いですが・・・。
派手な魔法合戦があるでもない。血沸き肉踊る冒険活劇でもない。
しかし、読んでいるうちに、その世界に引きずり込まれるはずです。
【シリーズあらすじ】
ウィル・スタントンは、11歳の誕生日に不思議な力に目覚める。彼は、『光』の<古老>達の最後の一人であり、『しるしを探す者』と定められた少年だった。
彼を導くのは、最古の<古老>であるメリマン。
時は冬、降誕祭間近で、『闇』の力が高まりつつあった。
ウィルは、メリマンを師として、古老として仙術を学びつつ、預言詩にある「六つのしるし」を探していく。そのしるしこそ、来るべき『闇』の勢力との最後の戦いにおいて、勝利するための力の品々のひとつだった。
ウィルたちを妨害する、闇の<黒騎士>。
メリマンの家令であったホーキンの裏切りや、大寒波による積雪。
多くの障害を乗り越え、隠されていたしるしを見い出し、『ひとつの輪』としてしるしをつないだ。
コーンウォールのトリウィシック村では、ドルー三兄妹と『聖杯』を。
ウェールズでは、ブラァン少年と出会い、『竪琴』を。
また、<失せし国>では、『水晶の剣』を。
ウィルは、光の預言詩に従って、それら力の品々を人間とともに探索する。
そして、夏至の日、さだめの時、光と闇との最後の戦いに彼らは臨む。
しかし、そのとき、意外な人物が裏切り者と分かり、それをきっかけとして、戦いの趨勢を決める決定が、とある一人の人間に委ねられることになってしまう・・・。
・・・こんな感じでしょうか。
彼らが使う魔法・・・仙術は、何かを破壊したりするものではなく、主として、「相手を<時の彼方>に吹き飛ばす」ことや「時の流れを飛び越える」。あるいは、智識として表現されます。
また、物語の各所で印象深く語られるのは、何かを破壊したり奪ったりするのは、「人間だけだ」という言葉です。
シリーズ第四巻『灰色の王』では、竪琴の探索に関係したブラァン少年に、<上なる魔法>の管理者は告げるのです。
「心せよ。そなたの大事なものを奪うのは、そなたの同胞たる<人間>たちだけなのだ」・・・と。
物語の核心には、ブリテン島に伝わるアーサー王伝承があります。
ネタを明かせば、主人公ウィルの友となるブラァン少年は、ペンドラゴン・・・つまりは、彼はアーサー王の息子であり、王妃グゥイネヴィアの不倫が原因で、嗣子でありながら、<光>の手で現代に時間を下って送られてきたのだとするのです。
かつて、暗黒時代、ブリテン島を救ったアーサー王の息子が、現代で人間を救う。
しかし、それは<闇>の側から見れば、<光>が時間を操った結果に過ぎない。<闇>は、ブラァンが最後の戦いに関係することは許されないと、<上なる魔法>に訴え出るのです。
そこで、ブラァンの伯父が、裁定を下すのですが、彼は言うのです。
「確かに、この子が生まれたのは、今からはるかに昔かもしれない。
しかし、育った時代は、今この時。
この子が過ごした十数年が、<現在>であるのなら、この子は、この時代に属している。
この時代の行く末を決める、この戦いに参加するのは、当然だ」
・・・と。
裁定は受理されるのですが、伯父が、代償としたのは、自身の妻だったのです。
結果的に、最後の戦いは、<光>の辛勝に終わるのですが、『闇から人間を護る』役目を終えた光の古老たちは、<時の彼方の休息所>へと去っていきます。
そのとき、彼らの言葉は、
「これからは、人間は、<闇>の影響を受けない。
これから先の人間たちの行く末は、人間達自身の手に委ねられたのだよ」
・・・とあるのです。
先の、ブラァンの伯父の言葉といい、この最後の言葉といい、作者クーパー女史の言いたかったことはこういう事かもしれません。
どんな魔法があろうとも、どんな魔法を使われようとも、人間の将来は、人間自身そのものが決めるしかないのだ、と・・・。
また、上記の言葉に対する、子供たちの言葉が誠実さに溢れています。
「最善を尽くすことを、誓うよ」
・・・と。光の古老のメリマンは、笑いながら言うのです。「それ以上の約束の言葉は無いな」と・・・。
すべてが終わり、人の行く末を見守る役を負ったウィルを除いて、戦いに参加した子供たちや大人はすべて記憶も力も消し去られます。
そして、自分達が成し遂げたことは何も覚えていないままで、日常の彼らの生活に戻っていくのです。
この辺りが、この物語の何ともいえないツボかもしれません。
私がこの本を読んだのは、中学生の頃の事。
表紙画像の原書を購入したのは、東京に居た頃、吉祥寺のとある書店のフェアでの事でした。この挿絵画家の手による1970年代の版は、今では入手不可なのです。
このシリーズのイメージを上手く表現しているのは、この挿絵だと思うのですが、英米で販売されている最近の版は、全く別の挿絵なのです。日本の評論社による翻訳版は、いまだ1970年代の挿絵を守り続けてくれているのですが。
近年、『指輪物語』『ナルニア国物語』といったファンタジー物語が相次いで映画化されています。
この『The Dark is Rising Sequence』も、やはり映画化が決定されたそうです。
具体的なキャストなどはまだ不明ですが、原作をどう活かすのか、今から期待しています。