Flour of Life

煩悩のおもむくままな日々を、だらだらと綴っております。

映画「めぐり逢わせのお弁当」(10月11日)

2014-10-12 23:10:05 | 映画


高松の単館系映画館ホール・ソレイユで、ヨーロッパで大ヒットしたインド映画「めぐり逢わせのお弁当」を見ました。

公式サイトはこちら。


インド・ムンバイのビジネス街では、お昼時になるとダッパーワーラー(弁当配達人)と呼ばれる人たちが、そこで働く人々へ家庭や店から託された弁当を届けに来る。その中のひとつ、主婦のイラが作った弁当は、間違って夫ではなく早期退職を控えた独身男のサージャンのもとに届けられてしまう。それは、夫とうまくいってないイラが、料理で夫の愛情を取り戻すべく、マンションの階上に住む友人のアドバイスを受けて、腕を振るったと弁当だと
いうのに。食べたのがサージャンとは知らず、戻ってきた弁当箱が空っぽだったことに喜ぶイラ。しかしその夜も夫の反応は冷たく、イラは弁当が誤配送されたことに気づく。翌日の弁当にイラは手紙をしのばせ、それを読んだサージャンもまた空っぽの弁当箱の中に返事を入れた。弁当と手紙を介して、まだ見ぬ相手と心を通わせあう2人だったが…


※若干ネタバレしてます。

母国インドで大ヒット、ではなくヨーロッパで大ヒットしたというのがなんとなくわかる映画でした。

家庭やお店から職場へ弁当を運ぶ、ダッパーワーラーというシステム、なんとなく見る前は徒歩か自転車圏内の顔見知り同士で行われているのを想像していたのですが、実際は大量の弁当(が入ったバッグ)を電車に乗せ、結構な距離を移動していたので驚きました。弁当が入っている袋も、たいして特徴があるものでもなさそうなのに、あれでどうして間違わずに配達できるのかが不思議です。さすが悠久の国インド。九九が文字通り99の段まであるインド。やることが桁外れです。

しかし、そんな桁外れなシステムはあっても、若い妻が夫の愛情を取り戻す方法はそう簡単に見つかりません。イラがサージャンへの手紙に「夫とうまくいってない」とこぼしても、サージャンは「もう1人子供を作ってみたら?」という月並みなことくらいしか言えません。イラはそれを実行しようとします。しかし、結果は…。

一人娘に弟か妹を作らないかと夫を誘うイラ。しかし夫は「君にも弟がいたね」と、イラに一番つらい記憶を思い出させました。試験に落ちたことを悔やんで、自ら命を絶ったイラの弟。そのことを知っていて、そんなことを言うなんて。いくら夫婦仲が冷え切っていても、これはひどすぎます。そんな夫に何も言い返せないイラの弱い立場に、悲しくなりました。イラは、お弁当箱が空だったくらいのことでも大喜びして、帰宅した夫を出迎えるために精一杯めかしこむくらいに純粋なのに。それとも、夫のあの態度は、イラの作った美味しい弁当のかわりにサージャンが近所の店で頼んでいる弁当を食べさせられている恨みなんでしょうか。確かに、妻の手作りのはずの弁当の中身が、いかにもな出来合いしかも毎日似たようなメニューだったら、妻に嫌がらせされてるような気分にはなりそうですが。

夫に歩み寄ろうとして拒まれ、さらに夫のシャツの匂いを嗅いで、浮気を疑うイラ。でも夫に問いただすことはできない。映画の中で、彼女の世界はとても狭いものでした。一日中家事をして、階上に住むおばさんと声だけのやりとりをして、サージャンと手紙だけのやりとりをして。サージャンの職場は女性も働いているみたいだけど、インドの女性の多くはイラのように家庭という狭い世界に縛られているものなんでしょうか。それとも、あんなふうにたとえ冷え切っていても結婚して家庭を築けていたら、それ以上何かを望んではいけないのでしょうか。映画の中ではそこまで掘り下げられてなかったのでわかりませんでしたが、最近よくインドでの女性に対する性暴力のニュースをネットや新聞で目にするので、もしかしたらという思いが頭をよぎりました。

一方、早期退職を目前に控えたサージャンは人付き合いが苦手で、自分の後任のシャイクにも素気なくあたっていました。孤児で、根無し草のように我流で生きてきて、その分人なつこいシャイクは、孤独な男やもめを送っていたサージャンにとって苦手なタイプだったようです。そんな2人の関係がイラの作った弁当を介して変わっていく様子は、若干の既視感があるものの、それをやってるのが濃ゆいインド人の男2人というのが新鮮で、微笑ましくて好感が持てました。

映画は、イラとサージャンがどうなるのか曖昧なままで終わるので、エンドロールが流れ出したときは「え、これで終わり?」と戸惑いました。でも、たとえ冷え切った関係でも夫に、妻であるという立場にしがみついていたイラが、既婚者の証しである装身具をすべて売り払い、清々しい顔で窓辺に立ってたのを思い出して、「ああ、彼女は変われたんだな」と納得しました。同時に、電車の中でダッパーワーラーたちの歌を聞いているときのサージャンの顔にも。

映画の中に「人はたとえ間違った電車に乗ったとしても、正しい場所へと導かれる」という言葉が出てきます。そうなるためにはきっと、イラやサージャンのように、前へ進むための一歩を踏み出す勇気が必要なのでしょう。私の場合は、まだ電車に乗るどころか駅にさえたどり着けてない気もするのですが…。


ところで、映画の内容とはあまり関係がないかもだけど、インドではお弁当もカレーってのは軽く衝撃でした。他のおかずもあったけど、どう見てもカレーなものが必ず一つは入ってる。しかもお弁当なのに、食堂で皿に開けて食べてる。文化の違いを感じました。でも、そりゃ満員の通勤電車バスの中に、カレー入りの弁当箱なんて持ち込めないわなぁ。弁当配達人という仕事が生まれるわけです。あと、サラダとか生野菜は弁当に入れないんですね。料理する場面が期待したほどなかったのは残念でしたが、カレーの持つ無限の可能性を感じて、見終わってから本格的なインドカレーを食べに行きたくなりました。胃が弱いので無理だけど。とほほ。


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