Flour of Life

煩悩のおもむくままな日々を、だらだらと綴っております。

映画「ジョーカー」について

2019-10-26 21:11:13 | 映画

人気アメコミヒーロー、バットマンの宿敵ジョーカー誕生を描いた映画「ジョーカー」を見てきました。
主人公ジョーカーを演じるのは、ホアキン・フェニックス。ジャック・ニコルソンやヒース・レジャーといった怪優が演じてきたこの役を、ホアキンがどう演じるのか、気になっていました。

公開からしばらくの間、SNSで映画について賛否両論が飛び交っていましたが、読むと先入観を持ってしまいそうなのでなるべくスルーしてきたのですが、それでも時々目にしてしまったので、見る前からそういった意見に少しばかり影響を受けていたかもしれません。

とはいえ、実際に映画を見てる最中は、他の人の感想に引きずられることはありませんでした。というか、引きずられていられる余裕がありませんでした。情報量が多くて、映画の内容を理解するのにいっぱいいっぱいで。まるでリピーターになること前提で作ったような映画でした。あざとい!

さて、映画「ジョーカー」のあらすじですが、


ゴッサムシティで母親と暮らす青年アーサー。彼にはコメディアンになるという夢があるが、自分の意思とは関係なく突然笑いだしてしまうという神経の障害も抱えている。
ある日、アーサーは街頭でピエロに扮して店の宣伝をするという仕事の最中に、少年たちに暴行を受ける。それをきっかけにアーサーはピエロ仲間からもらった銃を隠し持つようになるが、小児病棟へ仕事をしに行った際に、子どもたちの前で銃を落としてしまい、仕事をクビになる。
更に、アーサーは仕事を失うのと時を同じくして、市からの支援も打ち切られてしまう。アーサーの心の闇は次第に深くなり、狂気に囚われたアーサーはある決断をするが…


あらすじをざっと書いてみましたが、ざっくりしすぎてあんまりあらすじになってませんね。すいません。
上にも書いたように、情報量がとても多くて、しかも見る人によって解釈が変わってきそうな部分も多かったので、うまくまとまりませんでした。

では、ここまできてやっと映画の感想です。感想ですが、これもうまくまとまらなかったので、ざっくりめです。なぜうまくまとまらなかったのかというと、この映画「ジョーカー」は、見ている最中に「これは〇〇みたいだな」と思う場面が多かったからです。オマージュとして意識して織り込んでるのか、たまたまなのか、アーサーがなにかするたび、アーサーの身に何か起きるたびに、私がこれまでに見たり読んだりしたドラマや映画、小説、漫画が頭をよぎって落ち着きませんでした。

特に強烈に思い出したのは「この子の七つのお祝いに」ですが、これは内容が似てるからというより岩下志麻のセーラー服姿がホアキン扮するジョーカーと同じくらいかそれ以上にインパクトがあったかもしれません。ジョーカーに対抗できるのはセーラー服を着た岩下志麻しかいない!みたいな?あとアーサーの母親のペニーが岸田今日子っぽかったからかも。まあ実際キャラクターは似ていましたし。

ただ、そんな風に私が「〇〇みだいだな」と思えたのは、この映画で描かれているテーマが凡庸だからではなく、普遍的なもの、かつ隔世の感のないタイムリーなものだからだと思います。そうじゃなかったら、これだけヒットしないでしょうし。

そういうわけで、映画を見ながら「これは〇〇を暗示してるのかな?」とか「最近あった〇〇を思い出すな」とかいろいろ頭に浮かびましたが、それは挙げるとキリがないのでカットします。その代わり、この映画を見て一番強く思ったことを言うと、それは「この映画はSNSが普及した現代では成立しないだろうな」ということです。ゴッサムシティでは、社会に不満を持つ貧しい若者たちがジョーカーを支持して暴動を起こしてましたが、今の世の中でジョーカーのような反乱を起こしても、若者たちの多くは権力のある富裕層のほうについてしまうんじゃないでしょうか。インターネットを駆使して、ジョーカーの身元を特定して。まるで自分たちが権力者の側にいる人間であるかのように振る舞って。世の中をよくしようと、真剣に怒り、訴えている若者を冷笑する人たちのように。最近あったじゃないですか、そういうこと。なので、映画のクライマックス、暴動のシーンはなかなかのスペクタクルではありましたが、一方的すぎてリアリティがないな、とも思いました。もうちょっと混沌として欲しかったな。ジョーカーの支持者同士で殺し合うとか。

それと、これはちょっとネタバレになってしまうのですが、映画の中盤で明らかになるアーサーの生い立ちの秘密が、アーサーがジョーカーになってしまったことへの言い訳になってしまっているのが残念でした。実はアーサーは幼少期にこういうことがありました、実は母親はこういう人でした、だからジョーカーになってしまいました、ではちょっと短絡的なのではないかと。この映画を見た人の多くが、「ジョーカーは自分だ」と衝撃を受けたと聞いていたのですが、いざ自分が見てみると、その人たちに「いやいやあなたそれはちょっと違うんじゃないの?」と突っ込みたくなりました。そんなにアーサーと同じ境遇の人がいるほど、日本の児童福祉は崩壊してないんじゃないのかな、と信じているのですが。

この映画のジョーカーも、一応ジョーカーなのでバットマンシリーズと繋がっていて、後にバットマンになるブルース・ウェインとその両親も登場します。登場するんですが、ブルースの父ちゃんのキャラクターがアレで、今まで「何も悪くないのに息子の目の前で殺されてかわいそう」と思っていたのがどこかに行ってしまいました。なんかちょっと、竹〇平蔵みたいでしたよ。テレビでコメントしてる場面とか。だからといって殺されていいわけじゃないけど。あと、ウェイン一家は出てくるけどアルフレッドは出てきませんでした。残念!それっぽい人は出てきたけど、あれをアルフレッドだとは思いたくないので。

ざっくりと言いつつ、だらだら書いてしまいましたが、最後にひとつ。映画の印象的な場面で、アーサーがピエロのメイクのまま公衆トイレで踊る場面があって、それがとても素敵でした。監督のアイデアではなく、ホアキンのアドリブだそうです。私は、バレエとかダンスをする場面がある映画に弱くて、そういう場面を見ただけで「この映画は傑作だ!」!とハンコを押してしまうのですが、今回もこのトイレで踊る場面を見てポンとハンコを押してしまいました。この映画をバレエかミュージカルにしてほしいくらいです。クライマックスの暴動とか、なかなかサマになると思うんだけど。内容が内容だけに、宝塚は難しいかもしれないけど。

ところで、聞いた話によると監督はこの「ジョーカー」の続編を作りたいらしいですが、本気でしょうか。どんな内容になるのか想像がつかないなぁ。