八割嘘日記

憂さ晴らしの為に、そして世界平和の為に、その時のノリで日常を書きなぐっていくブログ。

人生で迷走中。でもポケモン楽しいなぁ。

2024-03-05 15:53:46 | 日記
さてはて、こんばんは。
マジで数年ぶりのブログ更新です。
完全に存在自体が忘れていましたが、お気に入りリンクとかの整理をして思い出したので気まぐれに更新します。

現在私はアラサーに突入しているのですが、去年ぐらいに仕事を辞めて絶賛無職です。
預金があるから、親のすねをかじってるわけではないけど、なんだかなぁ、って感じの状況。

うーん、働きたくねえなあ。
って思ってるけど、そのうち働き出さないとなぁ、とも思ってます。

なんつーか、根っこが楽観的なせいか、自分が精神的に病むことはないのかなぁ、って思っています。
それが残念なような、そうでもないような。
社会不適合者ってちょっと憧れるよね? え、憧れない?
まあ、今、私は無職なんで、その一歩手前もしくはその認定されても否定は出来ないんですが。
だけど、生きるためには働くしかない!ってなったら、まあまあ普通につまんない仕事でも渋々やってる自分が想像できるので、そこまでガチの社会不適合者にはなれないんだろうなぁ、とも思ってる。

いっそ、突き抜けられたら、悩むこともなかったのかもしれないけど
突き抜けていたらそれはそれで、どうしてまともに社会生活に適合できないんだろう、って悩んでた気もするから
結局、中途半端なんだよなぁ。なにもかもが。

ここ最近はポケモンのムーンをやってますね。3DSの。
やってなかったんで。わー、和むぜ。ポケモン世界に行きたーい。連れてってくれアルセウス。

自分より不遇で不幸な人を見ると、悲しむより安堵する自分がいることに自己嫌悪。
こんなの俺じゃない! 俺はこんなこと思ったりしない!
汝は我、我は汝……ペルソナ!
って感じですよね。ほんとに全く。

最近の悩みは、食に対する欲望が肥大化していることですね。
ここ一年間ぐらい、毎日ほぼ同じ食事をしているせいか、なんかもっと違うもん寄越せや、って胃が主張している気がします。
でもまだ戦える。お前ならやれる! お前の信じるお前じゃない! 私が信じるお前でもない! お前が信じる私を信じろ!


ここ数年はVtuberのにじさんじにハマっていたんですが……、推していた黛灰も引退しちゃったし、だんだん見る機会も減っていっているような、そうでもないような、いや、やっぱ減ってるよね? いやいやむしろ働いてない分、見てる時間増えてるんじゃね?
って感じになってますね。つまり、気持ち的には離れてきてるけど、視聴時間はそこまで変わってない気がします。

生配信系Vtuber に人気がなる理由の大きなものとして、私は個人的に気づきました。
アニメや漫画などと違って、明確な終わりが見えにくく(引退するまで?)、定期的にコンテンツが供給され続けることです。
それに加えて、コメントなどの双方向性などもあるんでしょうけど、私は基本コメントせずに見る専だからあんまり分かんないな。
所謂、配信者やVtuberは短い間隔でコンテンツが供給され続けるので、生き甲斐にしやすいんだよね。
全く関わりのない所に生き甲斐を作ってしまうのは、どうなんだろうな、と思いつつ、まあ生き甲斐なんてなんぼあってもいいもんだしね、とも思います。

ということで、そろそろ終わります。
次の更新はいつになるのやら。もう一生しないかもしれないけど。
おつかれさまでした~。

楽しいことってなんだっけ?

2021-05-29 21:50:57 | 日記
あ~あ、世界滅びねえかなぁ。
と今日も徒然思っている私です。

本気じゃないので、安心してください。
でも、『悲鳴伝』みたいな世界観いいよね。って思う。

楽しいことってなんだっけな~
って最近よく思う。

自分の趣味嗜好を振り返ってみると
なんだか自分で定義して、設定を作っただけのように思えてくる。
キャラに縛られている感覚と言うべきか。
自分で自分というキャラクターを定義し、そこから抜け出せないでいるというか。
ゲームは好きだったはずなんだけど、最近全然面白くない。楽しめない。
 いやまあ、十代から精神が変化しているだけなのかもしれないが。

もっと自由な人間になりたいなぁ。
行動力もなければ、自由を為せるほどの能力が無いのがアレだけど。

毎日が同じで
誰かと同じで
いくらでも代わりがいて
かけがえのないものなんてない。
大抵のものは代替が利く。
そこに安心を覚える人もいれば、私のようにストレスに感じる人間もいることでしょう。

社会の歯車になんて、なりたくなかった。
って感覚なのかな。
まあどうせ誰しも社会の歯車になって、社会と言う名の巨大ロボの構成部品になるんでしょうけど。

このことが適用されないのは、人間関係ぐらいでしょうかね。
あとは独創性のものが求められる職種とか。

どっちもさして獲得できていないから、私は今、精神的に不貞腐れているんでしょうね。
はぁ~あ、不貞腐れるのが許されるのは美少女だけだろって思う。

ちゃんと、しなくちゃなぁ。
自分を助けられるのは自分だけだって、ばっちゃが言ってたしな。
まあ、嘘なんだけど。

現実よりフィクションの方に現実感を感じるなら、それはもうそっちが現実では?

2021-02-15 21:07:37 | 日記
皆さん、おっはー。
真実より嘘が大好き!
現実より空想が大好き!
リアルの異性より、フィクション上の異性の方が現実感を感じる!
どーも、私です!

そうなんですよね、最近なんだか現実とフィクションの比重がおかしくなっている気がするんですよね。
物語を読んで、「嘘くせーなぁ」って感じることは多々あることかと思います。
私は現実で生きていて、嘘臭いなぁ、って思うことが八割です。

働くのが楽しい! って思える人が存在すること。
 羨ましいけど、憎らしい。現実で働く存在全てが苦痛を感じていると思っていれば、醜く羨んだり自分の現状に不平不満を抱くこともなかったと思いませんか?
 上が存在するから、下が存在する。
 働くのが楽しいと感じる人がいる以上、苦痛の中で働いている人はその人より確実に不幸といえます。それを否定できる人は幸福な人間だけでしょう。

恋愛の存在、恋人の存在。
 正直、フィクションだと思っています。
 人を恋愛的な意味で好きになったことがないです。
 さらに言えば、好きになれるほど関わりを持ったことがないだけとも言えます。当然のように女友達なんて存在もフィクションです。現実にそんなものがいるわけないでしょう。

美味しいものを食べているときが一番幸せ、ってやつ。
 たまに聞く価値観ですが、すごく羨ましいですね。
 正直、私は自分の幸福に、食事はあまり関わっていないと思っています。
 美味しい方が良いとは思うけど、その時の気分が向上するだけで、現実は何も変わりませんしね。

努力!
 頑張りとか、継続力とか、計画性とか。
 ハッキリ言って、頑張れる人間ってそれだけで凄いと思います。
 頑張っても報われない、って嘆く人は多いと思います。私も嘆きたいです。
 でも、違うと思うんです。
 本当のところは、頑張っても報われない、なんて嘆けるほど頑張れないで挫折する人が殆どなんだろうな、って。
 大勢の人が夢に向かって真っすぐに努力できるなら、世の中はもっと実力ある成功者で溢れているはずなんですよ。
 所詮、今の現状が資本主義社会と、怠惰な人間の限界なんでしょう。
 というか、頑張れないよ。頑張って、習慣化させないと結局、努力だけではいつかエネルギー切れになるのだ。

 頑張れない人間が習慣化を達成するために頑張るって、それなんて矛盾?
 まあ地道にやってくしかないんですかねぇ……。

 色々やさぐれて書きましたが、要するに言いたいことは、「なんか疲れた」ってことですね。
 でも、疲れるほど、なにもしてないんですよね。
 なにもしてないことに疲れるというか、やっぱり、頑張らないで生きるのって難しいんですよね。
 
 理想は、努力と認識しないで努力することなんでしょうけど。
 ポケモンを151匹覚えるのは簡単で、都道府県を47個覚えるのは難しい、ってあれですよね。
 デュエルモンスターズのカードの効果はすぐに記憶するのに、数学の公式は速攻で忘れる、みたいな。
 楽しいことをしているときは、脳はきちんと働くんですよね。
 でも、勉強や将来設計でその楽しみを活用するのは、難しいっていうか、やり方が分からない。
 趣味を仕事にするのが理想的なんでしょうけど、私に至っては趣味ですら中途半端だからなぁ。

 言い訳、自己弁護、自己否定の連続さ。
 とりあえず、環境を変えるべく転職活動でもするかなぁ……。
 全然良くなるイメージが浮かばないけど。
 そもそもさ、環境を変えたって、結局、ダメな自分を変えない限り、世界は同じまんまなんだから。

 はぁーあ、早く世界滅びないかなぁ。
 なんて、徒然思う。
 別に危険思想ってわけじゃない。中学生特有の暗い衝動を大げさに言ってるだけだ。
 正確には、自分の周りの環境が自分以外の要因で激変しないかなぁっていう願望を表す言葉だ。
 学生時代は、生きてるだけで万事オッケー!とか思ってたけど、今は無理だな。
 生きてるだけじゃ、不満たらたらだ。
 そもそも生きるだけなら簡単なんだよ。
 苦痛を我慢して誰にでも出来る成長の感じられない職種について、働けばいいだけなんだから。
 
 なんかもう、ずっと読書していたい。
 活字に夢中になり、たまに漫画も読む。
 ご飯の代わりに、グルメものを読みふける。そんな素敵ライフを送りたい今日この頃です。

 それでは。

当分更新はしないと言ったな、あれは嘘だ。

2019-05-02 02:30:50 | 日記
 こんばんは! 私でーす。

 さてはて、昨日は当分更新しないとか言ったけど、なんとなく今日も語りたくなったので、会話相手がいなくて寂しい私はここに書き綴ることにしました。

 本日のテーマは、ずばり「コミュニケーション」ですね。

 コミュニケーション。

 禁断のテーマですね。
 聴く人が聴けば失神し、恐怖でおののき、失禁すらありえるワードです。

 職場における離職の理由の八割は、人間関係における問題という統計がなんやかんやで出ているのは博識な皆さま方ならご存知かと思いますが……
 仕事なんてものは、ハッキリ言えば何年もやっていれば慣れて順応しこなせてくるものです。多分、おそらく、きっと、メイビー、そうであれ。

 しかし、人間関係の問題は些細な所から生じてくる。相性とか、コミュニケーションとか、色々あるんでしょうけど、はぁ、めんどくせー。

 人間関係ってマジめんどくせー。
 めんどくせえ人って、どうしてああもめんどくせえんでしょうかね。
 自分が面倒臭い人間だってことを自覚してるんでしょうか。まあ、責任感とか強すぎて、仕方なく面倒臭くならざるをえない人なら分かるんですけど、そうでもないのに面倒臭い人は全員デスノートに書かれてしまえばいいのに。

 ビジネスにおけるコミュニケーションについては、もう正直私にとっては専門外なので語る気はありません。というか、それが出来なくてふらふらフリーターじみたことをやってるのが現状だったりしますからね。なんてこった、ぱんなこった。

 本日書くのは、私生活におけるコミュニケーションですね。

 友人とのコミュニケーションって、たまに分かんないんですよね。
 私の距離感はゼロと一しかなくて、近いか、遠いかしかなくて、中途半端に心地よい距離感を保つってのが苦手です。というか、まどろっこしく感じるんですよね。ゼロか、一か、白か黒か、敵か味方か、世の中は二分にした方が分かり易いのは明白だ。だが、二分化出来ることなんてごく少数だ。大抵の物事は二分化出来ない。
 しかし、私のコミュニケーションは二分化されてしまっている。
 だから、結構な確率でこのブログでなんとなく感じ取れるであろう語りたがりの性質を存分に発揮し、マシンガントークをかまし、ドン引きされたりうざがられたりすることが多々ある。悲しいような、照れるような。

 聞き上手になりたいが、興味のないことに対して、興味のあるふりをして質問したりして話を深めていくのは苦手だったりする。
 そんなことしなくていいだろ、と思うかもしれないけど、実際のところ、大抵の人はこの処世術はどこかしらでやっていることだろう。
 たとえ、共通の趣味を持っているにしても、ずっとその趣味の話をしているかというと、そうでもないし。他の話題だって話すだろう。でも、そういうときに興味のない話だったりすると、少し怖い。自分が話すときもそうだし、相手の話を聞くときもそう。
 自分の話を興味ない風に聴かれるのは悲しいし、だからその分、興味あるフリして聞いてあげたくもなる。まあ実際に友人の話なら興味ないこともないからあながち嘘でもないんだけど。
 けっきょく、話題云々に興味があるとかないとかの前に、その人に興味があるかないかで、とるべきコミュニケーションの手法ってのが変わってくるのかもしれないな。少し面白い。

 人は目と目で通じ合うことは難しいし、言葉で語り合うのが一番意志疎通として手っ取り早い。
 興味が無いなら、興味が無いとそう言うべきなのだろうか。
 
 というか、眠くなってきた。
 今日はこの辺で終わるかー、今度こそ、当分更新しないぞよー、多分。

 今回言いたかったのは一つ、コミュニケーションって大事!でも嫌い! それだけだ!


令和になっちゃいましたね……!

2019-05-01 04:41:33 | 日記
 こんばんは!

 マジで久しぶりのブログ更新ですね!
 令和が開始したことだし、これからどんどん平成と令和でジェネレーションギャップが生まれてくると思うとワクワクしますね!

 ちなみに、ブログを唐突に更新したのはなんとなく目についたからです!
 どーせ、誰も見てないし、暇つぶしに日記代わりに書いとくかぁって感じですね。

 まあブログとは別に日記は一応書いたり書いてなかったりしてるんですけど、そっちは公開出来ない内容ばっかりですからね。
 思うに、人間、生きていて誰かに公開できることなんて半分以下な気がするんですよね。
 あとは、隠しておきたいことばかり。
と、謎のアンニュイさを発揮しておきますが、ただ単にマンガ読んだりラノベ読んだり書いたり契約社員したりして特に書くことがないからです。

 それにしてもあれですね……、最近思うのは仕事はテキトーに選んじゃいけないってことですね。

 そこに熱意とか情熱があるならまだしも、さして興味のない仕事なら
 がんばって出来る仕事と、がんばらずに出来る仕事。
 この二択なら、迷わず後者を選ぶべきなんだと再認識しました。

 というか、数年前にも思ったはずなんですけど……すっかり忘れてましたね~。あらら。
時の流れは、記憶をどんどん消し去ってくれますね。貧弱な脳のせいか、都合の悪い事はどんどん忘れていきますよ。

 そりゃもちろん、給与の金額とかも関係してくるんだろうけど、精神の健康には正直変えられないしなー。まあ頑張らずに出来て給与もそこそこな所が一番いいんだろうけど。
 その辺りを見極めるために、自己分析とか企業分析とかをしっかりしておくべきなんでしょうね。
素晴らしい企業が文字通り素晴らしかろうが、自分に適しているかどうかは全くの別問題というわけだ。

 人とコミュニケーションをとるのが苦ではない人間が営業をするのと
 人とコミュニケーションをとるのが苦である人間が営業をするのでは、その精神的負担や体力的負担は全く異なってくる。当然負担になる時間や勉強量とか、成績とかも関わってくるだろう。

 人は適性がないと自分が感じてしまうことだったとしても、多少頑張れば経験を積めば慣れたり慣れなかったりでなんだかんだ順応できる生き物だ。まあいつまで経っても慣れない人なんかもいるかもしれないが、それはかなり適性がないんじゃないかなと思う。

 自分がしたくてやっている仕事に就いている人ってのは、どれぐらいいるんだろうか。
 嫌々やっているとまではいかないにしても、好きでやっているという人は少ないんじゃないだろうか。勿論、統計とかとったわけでもなし、勝手な偏見だが。

 情熱があれば、頑張れる。努力できる。努力を努力と認識しないで実行できる。経験を積める。時間の合間を縫って、あるいは時間を作って目的のために費やせる。どんなに忙しかろうと、言い訳なんかしない。自然と習慣化していく。

 熱意とかがないのに、頑張るってのは、正直難しい。
 給与のために頑張れる人って凄いと思う。
 お金なんて、必要最低限あればいい。というより、それ以上を求めるための努力をする気がしない、というのが正しい。
 承認欲求を満たすために頑張るって方が、なんとなくわかる。
 特に好きでもない仕事だとしても、賃金や報酬が発生する以上、それはお金を払うべき業務を果たしたことになる。だからまあ、どれだけ働いても給与が上がっていかないとかになってくると色々文句が出てくるんだろうけど。

 閑話休題。
 ちなみに、これは「かんわきゅうだい」と読む。小説に割と頻繁に出てくる言葉だが、私は二十歳近い頃まで「とんわきゅうだい」と間違えて読んでいた。
 意味を知らない人は、ぐぐってくれたまえ、と言いたいところだけど、面倒だろうし説明しておこう。脇道にそれた話を元の道に軌道修正するぜ、とかそんな感じ。

 さて、そもそも何がいいたかったんだっけ。
 ……あーそうだ。要するに、個人的な話として、変なところに契約社員として就職しちゃって、一週間で辞めて別の所に就職し直したんだよね。最近。
 やっぱり、考えなしに特に調べもせず、よく分からん所に就職しちゃダメだよな。

 特にやりたくもない仕事のために、大して努力する気もないのに
 確実に努力がそれなり以上で求められる職種に就きそうになったから、慌てて逃亡した、という表現が近いか。
 情けない限りだが、あまり後悔はしていないのが現状だ。

 そもそも、このサイクル自体なんか見覚えあるなぁ、デジャヴってるなぁ、と思ったら、新卒で就職したときと同じなんだよな。
 深く考えずに自己分析とか企業分析とかもあんまりせずに、とりあえず就職すっか~とか言って就職しちゃって、それなりに頑張りさえすればまあ普通に働けてたから数年働いちゃって、人間関係が色々面倒臭くなって辞めたけど、人間関係が面倒臭くならなくてもさらに何年か経てば辞めてた気がする。だって、特に興味なかったしな、あの仕事。

 同じ事を繰り返してるなぁ、と後戻りするのが難しくなってから気づくのは何故なんだろうか。
 まあ、後戻りどころか、色々情けなさとか自虐とかプライドとか全部捨て去って、全力逃走したけどな。
 だって、ただでさえしたくもない仕事に対して、頭を悩ませたくないからな!
 
 なんだろうな~。ダメダメ人間まっしぐらな気がする。割と昔からな気がするけど。
 老後について心配は特にしていない。そもそも、それまで生きているのか分からんし。

 あ~、無人島でサバイバル生活がしたい今日この頃。
 もう全部投げ捨てて、したいことだけしたい。やりたいことだけしたい。まあぶっちゃけてしまえば、割と今がそんな状況なんだけど。
 したいことだけしてても、それが誰かに認めてもらえるかは全く別問題ってことなんですよね~。
 きっと、私はがんばりたくないだけ。
 がんばるのは、最小限がいいと思ってる。あと、本当にしたいことのためだけにと思ってしまっている。それが私の浅はかな考え。


 言い訳をあえて言うならば
 「がんばらない」という選択肢をとって生きるのは、「がんばる」という選択肢をとって生きるより難しいことなのだ。なぜなら、世の中は「がんばる」ことを前提に全てが回っているからだ。
 つまり、「がんばらない」で生きる道の方が、ハードモードなのだ。
 頑張らないで生きていけるほど、世の中、甘くない。誰しもがどこかしらで頑張ってしまう。

 だから、『めだかボックス』の球磨川くんはああまで格好いいんだと今更ながらに強く思う。
 彼が作中で言ったわけではないが、似たようなことを言っていたのは覚えてる。
 確か、彼は「頑張らないで頑張った奴に勝ちたい」とか、そんな目的を掲げてたはず。少なくとも私はそう解釈した。負け組のまま、敗北者のまま、成長なんかせず、弱い自分のまま、強い奴らに勝ちたい。そんな感じだったはず。
 言っていることは無茶苦茶で、正直なところ意味不明の筈だ。
 でも、彼は読者人気ぶっちぎりの一位キャラクターだった。奇天烈なキャラクター性とか、裸エプロン先輩とか、めだかちゃんが不人気すぎるとか、人善先生の出番が少なすぎるとか諸々の理由はあると思うけど、やっぱ一番の理由は、めだかちゃんの「強さ」とかより、球磨川くんの「弱さ」の方が共感しやすかったからじゃないかな、って思ってる。
 それに、正しさを貫くのは簡単だ。だって、正しいんだから。
 半面、間違っていることを貫くのは難しい。だって、正しくないんだから。
 そして、人は難しい方に挑戦している方を応援したくなる生き物だ。ジャイアントキリングの方が格好いいし、盛り上がる。弱い方を応援したくなる。だから、めだかちゃんより球磨川くんの方が人気が高かったんだろう。
 球磨川くんが身体を鍛えていたのかとか、努力してああなのか、努力しないで弱いままなのか、そもそも本当に弱いのか分からないけど、私としては特に特訓とか鍛えたりとかはしてないと思ってる。そんなことをするなら、過負荷とは言えないし。
 頑張れる時点で、プラスだ。だから、過負荷はキャラクター的にも精神的にも、扱いずらすぎるキャラクターといえるだろう。
 でも、頑張らないと生きていけない世の中で、頑張らずに生きようとするってのは一番難しいことだ。と、私は勝手にそう考えて、球磨川くんってマジすげー、そこに痺れる憧れるって勝手になってた。と、最近気づいた。

 最近は本当、気づいてばっかの人生だ。
 というか、気付いたり気付かなかったり、気付いたことも時間が経てば忘れたり、逆に時間が経って初めて気が付いたり、それでも、言語化出来ないだけで心のどこかで気付いてたんだろうな、って思えたり。そんなことばっかりだ。
 真のぼっちは孤独を知らないってことにも、最近気づいた。ぼっちよりも、離れたくない相手がいてそれでも一人になった人の方が、孤独ってものを知ってる気がする。相対的、客観的に物事を見るためには、比較材料が無いと判断しづらいのだ。

 それにしても、球磨川くん、かっけえな。まあ、改心しちゃったんだけど。
 そうはいっても、改心がどういうニュアンスの改心なのか明確に言われてないからな。
 エリート殲滅計画を辞めただけなのか、過負荷そのものを克服するつもりなのか。
 いや、むしろ、今までの球磨川くんは自分の弱さは認めて享受していたけど、「強さ」は認めていなかった。自分の弱さを認めて強くなる、定番の王道パターンともいえるものの逆パターン。すなわち、自分の強さを認めて弱くなる、という王道路線を踏襲していたのかも。やべっ、気付いてしまった!
 さすが西尾維新だぜ! というか、どんだけめだかボックス好きなんだよ、私。自分のめだかボックスの好きさにドン引きしそうだよ! めだかボックスの話をする気なんて一切なかったのに、なぜかメチャクチャ書いちゃったよ!

 ということで、止まらなくなる前にやめておこうかと思います。
 私は令和になっても、ほどほどに現実逃避しながら、虚構の世界に直進していこうかと思いまーす。
 現実は小説より奇なり、なんて言葉がありますが、現実には伏線が無いことが結構な割合であります。でも、それをまんま小説で書くと、ご都合主義だのなんだのと言われてしまいます。現実には偶然やご都合主義というものがわんさか溢れていますが、小説とかエンタメ作品ではそれは許されない。
 なぜなら、伏線がない事象というものは、面白くない、ことだから。まあ、世の中のご都合主義に思えることの大半は裏で色々と伏線が練られているだけだったりもするんでしょうけど。

 それにしても、現実で嫌なことがぶち当たる度に思いますね! ネタが出来て嬉しいなって!
 嫌なことをぶち壊すようなストーリーを作れば、もうそれは面白くなるって決定ですからね! 分かり易いネタありがとうって感じですよ、この糞社会めが!
 当然、八割ぐらい嘘に決まってるだろ! 苦労も苦難もなく生活したいよ! 基本、硬質ガラスメンタルだからな! 

 ということで、終わりまーす。
 当分、更新はしない! 私も忘れたころにやってくるかもな!
 そもそも誰も読まんだろ、こんなブログ! って本心もあることだし、さらばなり!