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仏語、英語学習者。アイザック・アシモフのファン。ノース・ホワイトヘッド思想信奉。縄文志向、仏陀志向。

とんでもない古代史研究会の仮説

2022-05-21 16:32:13 | 日本古代史
とんでもない古代史研究会の仮説。
 それもとても空想的。
 それでも
 この病気は古代はどうであったかを探る相当深刻な頭脳の病気。
 それらしきことを求めるのはホモ・サピエンスの特徴か。

 土地名と遺物にしかのこらない文字文明以前の記憶。
 厳粛な現実。
 でもこの病気は相当深刻
 「そもそも」なんであったかは安心の道しるべとして。

「倭」の由来は「われ」にあり。

「奴国」の「奴」の由来も「われ」にあり。

「奴国」が成立した頃からは伽耶の文化が南韓と列島でやや優勢であったろう。

 南韓国の「奴」という称号は後に博多湾で定着した。当時漢字は借りものだからしょうがない。

「魏志倭人伝」に伝わる国名に

彌奴國
姐奴國
有蘇奴國
華奴蘇奴國
鬼奴國
烏奴國
狗奴國

の国々にそれぞれつく「奴」の文字は
それらがすべて元はと言えば、
「奴国」の一部。
 他の国名は別口の由来。

 それらが時代の趨勢で別れた。
 それを「倭国大乱」と呼んだ。

 でも「奴国」の由来が韓国であったかどうかは不明。

 どちらかというと列島人の方であったろうと思う。

 さて律令制以前の国名に
那珂国、
那須国がある。

 さて博多湾に流れる「那珂川」。

 那珂国の大海に流れる川も「那珂川」。

 徳島県には「那賀川」がある。

 茨城県には「那賀」もある

「那賀」はやや後の命名か。
それでも、大いに後の「中臣」の気配がプンプン。

 おおむね、博多に奴国は分裂したあと再建された。

 奴国が分裂したその際に遥か東国に渡って開拓する一族がいた。

 関東に流れて来た一派が那珂国と那須国をつくった。

 あるいは那須国は韓人が多かったという。

 倭人や倭種の記録が中国の歴史に残るのは
奴国の成立する前の時代には
揚子江河口付近から浙江省・福建省・南韓に住んでた人間は列島と同じ倭人であったろう。
後に倭の珍王に「使持節 都督 倭・百済・新羅・任那・秦韓・慕韓六国諸軍事 安東大将軍」(438年)たる称号を与えるに及んで
宋は列島の倭国の存在の名誉を復権させた。

 その大昔に所謂春秋時代に揚子江河口付近で覇を唱えた呉のような求心力を東の端に認めたかたちで。

 もうこの頃には元倭人がいた広範囲な地域には倭人の言語を喋る民たちは入れ替わり、あるいは後に移り住んだ人々によって融合された。

 この授名から窺えることは「奴国」は本来「那国」とすべきだったとかね。

皆さん、
この説は単なる仮説と思ってください!

地図は単なる参照



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