八海の日替わり話

”日々をシッカリ楽しみ大らかに生きていく!”そんな爺さんです、よろしくねー!(^^)/

 母の死の振り返り

2024-03-06 | 日記
3月6日  曇り 外気温10℃ 湿度90%と高い朝

病み上がり途中のモヤーとした意識は楽しい・・

 忍野八海 
7時までは晴れていたが・


8時は積雪 標高940mの天気だもの

湖TVライブカメラ画像

数日前
ピーポーピーポーと遠くで音がしていたが
突然、数日前路地に赤いランプを光らせ救急車が入ってきた
妻に見てもらいに行ってもらうと
近所の高齢者の夫人が家の入口の階段を踏み外して動けなくなり
近所の看護師さんがたまたま出かける途中に
その夫人に気付き救護された。
救急車を呼び一人では不安だろうからと付き
添いまでされて一緒に行かれた
流石だな人が違う

こちらのご婦人は昨年夫を亡くされて以来元気がなかった
出会うと楽しそうに話をされた

玄関の引き戸まで3段くらいの石段があるが
道路面から1段目まで高さがあるので足上がらず
つま先で踏み込んで滑って
そのまま不安定な姿勢で身体を道路に
打ち付けられたのかもしれない。
無事に帰って来られる事を願うばかりだ。
何かしら嫌な予感がする


なぜだろうか、この時 ”末期の水”の言葉が頭に浮かんだ
縁起が悪いでもないのだが私は本能的に死を感じた
同時に鮮明に過去の記憶が出てきた
母の死の情景だ

末期の水

聞く機会が少しはある言葉 “末期の水” 

辞書にはこうある

「最期を迎える直前や最期を迎えた直後の方の口元を水で湿らす儀式 」

人が臨終になったとき、または事切れたときに、
茶碗に入れた水を新しい筆やガーゼに浸して死に水をとる事
唇を拭ってやる行為行動
末期の水を「死に水をとる」 とも言いう
「 死に水を取る」順序は肉親から近親者へと続き
 死者への惜別の行為でもある
昔は死者だけではなく枕元に集まった近親者も
水を分かち合ったというとある

私も経験がある
母が死去の直前でこれを経験をさせてくれた
知りえた事は、母が(体が)水を求めている事実だった。

意識はほぼなく人体がまだ体温を保って
”生きている”状態の姿の折
私はなにか喉の渇きを覚えた、その時私は
「母が・・? 」と感じた
すぐに看護師さんにお願いして脱脂綿と水を持って来て頂き
母の唇を濡らしていた・・・

すると、あっちの世とこっちの世を行き来していたのが
舌鼓を打つ様に「ぴちゃぴちゃ」と小さな音をさせている
そう!「美味しい」と言わんばかりに
その顔の表情には薄っすら笑顔が見て取れた
 「おいしい?」と声を掛けた

皆で代わる代わる脱脂綿を濡らしては唇の隙間を潤した
安心し寛いでいる表情を見つめていた
まもなく、母は小さな長い一息を静かにたてて
あっちの世に旅立った・・静かに

まだ温かい手を握っていたら
先生から「ご臨終です」と伝えられた
白い時がしばらく続き
突然こらえ切れない気持ちになった
グーっと嗚咽が出てその後、大きな声で泣いた、
泣き続けた・・・

幼いころから守り続け心配し続けてくれた母が死んだ
今死んだ

臨終すぐは声は伝わると聞いていたので涙声で
「安心して極楽浄土に歩きんさいよ、
こっちは心配いらんよ!頑張るけーね!」
そう耳元に話しかけた、すこし高い声で
3時間前には笑顔を見せてくれてたのに

涙がボタボタと恥もなく床に落ちる 

看護師さんが「お悲しみのところすみません。
処置をしますので暫くお連れさせて頂きます」
と声をかけられた・・

そうか、もう向こうに旅立ったんだ
もう笑い声もお茶目な態度も料理の味も
叱ってくれる表情も全て全て消え去った
処置室に連れていかれる母をただ茫然と見送る
膝から力が抜け崩れてしまった

M Kenjiさんのところからお借りしています

色々なことが頭に浮かんでは消え浮かんでは消え・・・
寂しい、ほんとに辛い
この苦しみを”愛別離苦”というのだ
と教えて貰えた気がした


末期の水の誇り
父にも母にも末期の水を与えられた事を
今では私の気持ち中で1番の誇りとしている
思うにあちらの世こちらの世を行き来しているとき
誰にもわからない事

本人が辛い思いをしているかもしれないということ
それは、口の中の水気が無くなっている事
舌も喉も口中もカラカラで痛いくらい 
言葉に出来ないのでは

夏のカンカン照りの下で水をとらないで
一人舗装道路を歩む時の喉の渇きを想像する

死に際には十分な水分も与えられずカラカラの舌、
唇はカリカリとなり痛みが有っても声にすることも
出来てない気がする
この時水で唇を濡らすと肉体は本能的に”生きる”を
求めて水を取ると思う
その瞬間、体と心はとても満ち足りる気がする


この事をどこかで思い出して貰えるなら
まだ命の灯がある間に行って欲しい
【 末期の水 】は儀式的な水よりも
旅立つ者への”安らぎの甘露の水”と差し上げたいと思う



私はの臨終の際には 
死ぬ前は高い声で話しかけてほしい、
時々水で口を湿らせて欲しい 
その2つが残るものにお願いしておきたい事だ

安らかに死を迎えられればの話だ

生きている今
四苦八苦を見つめて今を道理に従い
生き活き、楽しく生き進みたい

母の死 その回顧録となった日記


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6 コメント

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Unknown (みゆきん)
2024-03-07 13:14:34
私は母の逝く瞬間 手を握ってた
ずしっと重くなった手の感覚が未だに忘れられないです
想い出すと涙
プリンとメロンの時も傍に居た
ごめん泣いちゃう。
返信する
みゆきんさんコメントありがとう! (八海)
2024-03-07 14:48:18
最後の別れはその場にいないと分からない何かが
あるよね、その涙供養だよ、泣いたらいい。
俺の胸のなかで・・・キザ爺登場!(笑)

輪廻転生がほんとうなら再会に何か希望があるような
ほら、何故か気の合う人とか打ち解けて過ごせるペットとかあるよね、一度はお別れしたけど不思議な
出会いを感じるとね「前に見たような?」なんてやつ。 成仏?輪廻?どちらを選ぶ?(笑)
返信する
Unknown (ウィズ)
2024-03-07 17:56:36
私も母のことを思い出しました。
母が逝く少し前、
なぜか、水が欲しいのだろうと感じ、
ガーゼで口に水を含ませました。
朦朧とした意識だったと思いますが、
私の名前を耳元で言うと
母は涙を流しました。
32年前のことです。
今、あの時の思いが鮮明に蘇っています。
思いって、どんなに時を経ても
心の中にそのままあるものなのですね。
返信する
看取られて亡くなるのは幸せなことです。 (yamaguti2520 )
2024-03-07 20:36:08
今高齢者の孤独死が問題になっています。看取られて亡くなるのは幸せなことです。オジンたちの時代はどうなるかわかりませんが、それでも一生懸命に生きていく事が大事なのかな~
看取られて ゆく幸せに 笑顔あり
悲しいけれど笑顔で送ることができます❕オジンはそう思います。
返信する
ウイズさんコメントありがとうございます。 (八海)
2024-03-07 21:09:07
こんばんはウイズさん。
ウイズさんもそうですか父は感謝の気持ちで
見送りましたが母の時は全く異なっていました。
フラシュバックが起こるような事でした。
母はやはり命を分けてくれた母だからですよね
今も毎日手を合わせています。
明日もいい一日にしないと叱られそうです
ありがとうございました。
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ヤマグチさんこんばんは。 (八海)
2024-03-07 21:24:02
”看取られて ゆく幸せに 笑顔あり” ジンときます。
母がこの体を授けてくれたのですから
命の灯が消えるまで頑張りましょう、道理に沿って
心を明るく持って歩きましょうよ!
自分自身で明るい生き方をを掴もうとする前向きさが残りの時間を楽しいものにしてくれますよ
”天は自ら助くるものを助く”というではありませんか。 今日からは互いに笑顔で送りましょう。
コメントありがとうございました~(^.^)/
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