コツコツ歩き隊!

八か村落し親水緑道

いかり

ウォーキングに出かける時はたいてい、計画を立てるようにしています。
散策の機会は限られており、1回のウォーキングで見学ポイントなど漏れなく全部回れるようにするためです。
しかし、計画で定めたコース通りにウォーキングしたことはありません。
上下左右とキョロキョロしながら歩く私は、何か面白いものを見つけると、
すぐコースを外れて、そちらの方へ行ってしまうからです。
ちゃんと見なかったことを悔やんで、同じ場所へ出かけて行くよりも、多少時間がかかっても見に行った方が、
結局あちこち散策する機会が増えるので良いのです。

先日、東和(とうわ・東京都足立区)へウォーキングに出かけた時もそうでした。
あちこち寄り道しながらウォーキングしておりました。
とにかく、足立区という所は「置物」が多い所でありまして、
何気ない場所にも彫刻作品やらブロンズ像やら、たくさん設置されているのです。
遠くから見て分かるものもあれば、「?」的なものもあり、全く油断がなりません。

「?」的なものと言えば、「東和親水公園」から折り返してくる時に見かけたものがそれでした。
かなり目立つものがあるのですが、それが何なのかさっぱり分かりません。
気になったらチェックしないと気が済まない性分。
コースを外れてそちらに向かいました。

はて、これは何でしょう?
台座を見ると、「碇」とあり、「いかり」についての説明があります。

これはどうも「おもし」を意味する「碇(いかり)」のオブジェのようです。
なんてユニークなオブジェだろうと思っていると、左手にまた何かオブジェらしきものが見えます。
行ってみると、

「木猫」のオブジェがあります。
やはり「木猫」も「いかり」と読むのでしょうか。

「木猫」について
錨(いかり・びょう)を「木猫」と書いた時代があった。
木と石が組み合わさってできており、猫の爪のように海底を引っかくということから生まれた言葉らしい
『学ある人のための航海と天文のコラム』)より

ほぉぉぉぉぉぉぉぉ、そうなんですかぁぁぁぁぁぁ!
感心しながら、ふと思います。

「もう一つあるんだろうか?」

ありました。

「錨」のオブジェです。

いつの間にか「いかり」の起源と進化、そして「碇」と「錨」の違いを学習しておりました。
なんて為になる道でしょう。
そこは「八か村落し親水緑道」であります。

八か村落し親水緑道とは

都市の中に残された貴重な自然を大切にし、区民の憩いの場となることを願って、
「八ケ村落堀」(はっかそんおとしぼり)を整備改修した小路である。
「八ケ村落堀」は江戸時代、新田地帯であった頃、悪水の排除のために造られた水路であり、
現在の足立区東部(六木、大谷田、東和、綾瀬)を通っていた。
「八ケ村」とは、明治22年の町村制まで続いていた八つの村、すなわち、
六木(むつき)、佐野新田(さのしんでん)、大谷田(おおやた)、蒲原(かばら)、北三谷(きたさんや)、
普賢寺(ふげんじ)、五兵衛新田(ごへいしんでん)、伊藤谷(いとや)を指している。
(看板より加筆)

結構長い小路なのですが、私の地図にはその名の記載は無かったので、
地図を作成しました。
散歩にはとても良いと思います。

「八か村落し親水緑道」の地図:https://mapsengine.google.com/map/edit?mid=zX_NDQME-UaQ.kpTLoj1uyN2g


どなたが投票して下さっているのか分かりませんが、本当にありがとうございます。これからも頑張ります!

コメント一覧

コトコト
いかり
「木猫」と書いていた時代があったのですね。
とても面白いです。
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