疲れが溜まっているのと、蒸し暑さとに、出掛けるのをためらったが、梅雨に入ったら散歩は出来なくなると思い返し、PM2:00過ぎて自転車で出発。
川沿いのサイクリングなら、方向音痴の私でもかなり安心なので、今日は野川を下ってみることにした。
谷底の入間公園を通って野川の谷戸橋に出て「野川緑地広場」に沿って左岸を走る。
公園の芝生に混じって咲くクローバーの花の上に寝そべって、新聞を読んでいる男性が気持ち良さそう。
対岸には「きたみふれあい広場」へ上る階段が見える。
やはり人工的な小川の仙川に比べると、野川は爽快だ。
神明橋を渡り、今度は右岸を下る。
やがて小田急線の高架が見え、「きたみふれあい広場」の西の出入口に到着。
次太夫堀公園や喜多見駅への、道路標識があった。
小田急線高架を潜ってしばらく行くと、世田谷通りにぶつかり、野川の両岸とも付近に横断歩道が見当たらず、野川を離れて左岸側の世田谷通りを横断できる所まで進み、ようやく「雁追橋」で野川戻れた。
右手の次太夫堀公園を通り過ぎ、更に進んで東名高速の高架を潜る。
ここで野川を離れ、多摩堤通りを横切って、地図で気になった大蔵5丁目「田直(たなおし)公園」へ寄る。
行ってみたら昔、猫を連れて散歩したことのある児童公園だった。
永安寺前の道を仙川と、丸子川(次太夫堀)のスタート地点の「丸子川親水公園」へ。
今日はここに自転車を置いて、岡本の急坂を上ることに。
ステッキを頼りに、岡本3丁目の急坂の階段状の歩道を1歩ずつ上る。
梅雨入り前の蒸し暑い日とあって、非常に苦しい思いをして上り切ったが、坂の上の標識・説明書きによると、「富士見坂」という坂だそうだ。
いわゆる「岡本3丁目の坂」は、ここなのだろうか?
今日の目標は、岡本1丁目の東名高速道の側の「第六天の森」の名残の木・または切株なので、更に坂道を進む。
江戸時代に幕府の命令で森の木を伐採したところ、木を切る村人たちが次々に怪我をしたので、幕府もこの森には手を付けなかったという伝説があり、昭和になって東名高速が造られた際の道路整備で、御神木を残すためにカーブした道路になったとか。
苦労して上った坂を、今度は谷戸川に向かって下り、更にその先は東名高速高架まで上り坂。
やっと着いた「第六天の森」跡は、Googleストリートビューで見たのと変わらない。
それにしても、この途中で寸胴切りにされている木と、側にある切り株が、かつての「第六天の森」、謂わば「禁断の森」の成れの果てなのだろうか?
触れると祟りがあったという御神木にしては、何とも情けない姿だと思う。
この木と切株だけを取り巻いて、確かに道路は半円形に迂回している。
それなのに半円形の周辺に、何の説明書きも見当たらないのも不思議な気がする。
念のため、疲れた足腰に鞭打って周囲を一回りして見たが、他には「森」も「御神木」らしい物も見当たらない。
やはりここが「第六天の森」のあった場所なのだろう。
せっかくなので、東名高架を潜って「砧公園」に入ってみる。
と言っても、東名高架から10~20メートルしか離れていない場所で車の騒音はひどいのだが、中にいるとまるで樹海のようだ。
どこかで「砧公園は世田谷の樹海だ」と読んだが、入口でさえこれなら、確かに樹海かも知れない。
しばらく樹海のベンチで休み、帰りの坂の上り下りのために思い腰を上げる。
ちなみに岡本は、思いのほか畑が多く、どの畑にも作業中の人影があった。
豪邸に混じって豪農らしい屋敷も見られ、野菜や花の直販所やロッカー式販売所も。