今回は、地方における「真面目」な人々の功罪について考えて見たいと思います。
地域を活性化しようとして結局「数々の失敗プロジェクト」の山ができてしまうのは、なぜでしょうか。この連載で明らかにしているように、人口拡大社会で成果が出た方法を、そのまま人口縮小社会となった現在も実施しているからです。
■ 「常識」と「真面目」な業務が招く、地方の衰退
そのような構造を支えているのは、地域内での主要な組織において、過去作られてきた常識を守り、日々淡々と業務を進める「真面目」な人々です。
多くの日本人は、集団内での常識を守り、日々与えられた業務を生真面目に遂行することが仕事だと教わってきました。これは地方だけの話ではありません。
しかし「真面目に遂行する」だけでは、与えられてきたルールを根本から疑い、それを自ら周囲を巻き込みながら、組織的にも修正をかけていくということがなかなかできません。
結果として、散々失敗しているにもかかわらず、過去とほとんど同じ取り組みを続けてしまい、衰退が加速していきます。
今、全国の自治体が策定している地方創生総合戦略も、「手が足りない」という理由で、自分たちの将来を委ねる計画にもかかわらず、従来どおり「名ばかりコンサルタント」に外注し、どこかで見たような事業ばかりが並んだ議論が行われています。
■ 人口急減社会では「真面目」が大失敗につながる
常識とは、皆が知っている方法・制度です。真面目とは、記憶したプロセスを余計なこと言わずに早く処理できることです。多くの地方はこの2つを未だに徹底していますが、それでは成果はえられないのです。
そもそも拡大社会においては、地方は、中央で定められた制度をもとにして、コンサルに外注して計画をたて、地元の要望を聞き、決められた予算を取りに行き、地元で執行し、中央へ報告をしていればよかったわけです。それが常識的で真面目な仕事であり、一定の成果が見込めたわけです。
しかし、人口急増社会から、人口急減社会へと全ての前提が変化しています。過去の常識を真面目に実行するからこそ、とんでもない失敗を繰り返すようになっています。
多額の税金を投入したにもかかわらず廃墟と化した再開発施設、整地されたものの放置された工業団地、まち全体がゴースト化した区画整理、使われない立派な農業生産加工所。これらは、まさに過去の常識的な方法を真面目に業務遂行してしまった結果の典型と言えます。活性化を目的に膨大な税金を投入したにもかかわらず、活性化するどころか、むしろ地元経済・財政の重荷となり、衰退を加速することになってしまっています。
地方活性化のプロジェクトの失敗は、非常識で、不真面目にプロジェクトを推進した結果ではありません。むしろ過去の制度・政策などの常識に沿って、日々真面目に皆が業務を遂行した結果、引き起こされています。
だからこそ、この問題の根は深いのです。
ではどうすればいいのでしょうか。地方がしなくてはいけないことは
以下の3つです。
(1)他と異なることに取り組み、需要を開拓する
人口縮小社会にある、今の地方を活性化させるのに必要なのは、他と異なることに取り組み、「需要を開拓する(創造する)」事業です。
人口増加社会では、ものが足りなかったため、単に「供給を迅速に行う」ことが課題でした。しかし、今は人口減少になり、過剰なインフラや不動産が残り、減らすことさえ議論されています。需要が問題である時代と、供給が問題である時代。需給関係の前提が変わってしまったのに、過去の常識を用いてしまえば、失敗するという当たり前な話です。
(2) 真面目重視だけの「プロセス評価」はやめよ
真面目に業務をこなす人は非難されにくかったりします。「あの人は真面目にやっている」「一生懸命にやっている」というだけで、組織内での評価が高まります。
もちろん不真面目よりは良いかもしれません。しかし、結果を問わず、分業された業務を皆で真面目に執行し、不正などがなけれぱ評価されるという形では、厳しい状況にある地方において活性化の成果をあげることはできません。
結果に対する評価を問わない、「なあなあの関係」によるプロセス評価体制が、プロジェクトの失敗を放置させ、反省を促さず、次なる失敗を招いています。ただ、このような「相互依存評価モデル」で仕事をしてきた人たちにとって、これを破り、成果を重視して業務方法を変えるという裏切りはなかなかできないのです。
このような「プロセス一流、結果三流」が放置されることで、地方はますます衰退しているわけです。
(3) 変化を「非常識」で「不真面目」とみなし、つぶすな
新しい活性化事業において、過去の常識ではないこと、業務のやり方も変えなくてはならないものについては、特に常識を重んじ、真面目に業務を遂行する人ほど、過剰に反応します。
そのような新たな取組みや進め方を「非常識」で「不真面目」だとみなし、一方で「できない理由」を並べ立てることが現実主義者であるかのように勘違いをして発言をする人が必ずいます。そして、組織の内外で新たなことに挑戦する人の邪魔を集団で行い、つぶしていってしまうことが多くあります。
せっかくの地域での新たな取り組みがつぶされるとどうなるでしょうか。結局、過去の常識に囚われた取り組みを真面目に進める人だけが残っていってしまうという悲しい構造があります。そして、衰退は続いていってしまいます。
■ 「静かなる改革者」と「実践者」の連携が重要
過去の常識を変え、単に真面目に業務をやることから脱却するには、組織のトップの大いなる決断と、現場での小さな実績の積み上げが必要になります。
時折、改革派を謳い、マスコミに取り上げる派手なことをする割に、最終的な成果に対する責任を果たさないワンマン改革者もいます。しかし、そのような取り組みはあまり長続きしません。これは企業、行政のいずれにも言えることです。
変化というものは、最初は一部から始まるものの、最終的には地域内・組織内で理解され、多くの人に広がることが重要になります。だからこそ、トップはつねに説明を続け手続きを踏まえて修正をしていく必要があり、実践者は変化を皆が実感できるように実例を一つ一つ作っていく必要があります。
そうすれば、最初は非常識と思われていたことも、説明を通じて理解が深まり、そこに小さな成功事例が積み上がると新たな常識となり、最初は手順として不真面目にみられることもまた、繰り返されることで理解されていきます。そうしてそれが、本当の変化につながっていきます。
静かなる改革者と、小さな積み上げを進める実践者の連携が、過去の常識を打破します。これこそが、単に真面目に取り組むだけで成果の伴わないやり方を一新する上で必要なのです。
今、地方に必要なのは過去の常識と真面目さを単に引き継ぐことではありません。単なる派手なワンマン改革者による一過性の変化でもありません。過去にとらわない、新たな時代に則した「常識」を作り出し、しっかり成果を出す「真面目」さを確立すること、これが地方に求められている
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