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廃墟賛歌ブログ

廃墟をはじめ軍艦島とか炭鉱とか廃線とか、産業廃墟作品制作ユニット<オープロジェクト>オフィシャル・ブログ

廃道リポート:うわごう道と茶平集落

2013-03-01 05:44:42 | プロダクション・ノート
オープロジェクト新作DVD『廃道クエスト』
そのロケを振り返りながら、
一つ一つの廃道を取り上げてアップしています。

前回アップした国道299号旧道と旧大滑隧道は、
それぞれ規模が小さい物件だったので、
ともに撮影はほどなく終了し、
当初から予定していたもうひとつの物件へ移動しました。
もうひとつの物件とは廃村とその中の道です。

うわごう道と茶平集落

秩父の南に水をたたえる浦山ダムの南端から、
少し入った所にある茶平集落です。
現行のウェブ地図にも建物の形が表示されますが、
実際には既に廃村となっています。
この付近の多くの集落はダム建設で、
湖底に水没したそうですが、
高台の山の中にあった幾つかの集落は水没をまぬがれ、
存続したそうです。
茶平集落はその中のひとつ。





うわごう道と茶平集落

浦山ダム沿いにしばらく南下すると、
まるで映画のセットのようなトンネルの坑門が現れます。
寄国土と書いて「ゆすくど」と読むトンネルです。
最初は龍かとも思いますが、獅子ですね。
ともあれ獅子の体内へ入って行った先にある廃村です。
劇的な演出効果です。





うわごう道と茶平集落

地図の三叉路になっている所から北へ進みます。
この付近は舗装されていますが、
ほどなく自然土の道にかわります。





うわごう道と茶平集落

小川にかけられた木橋。
竹製の欄干と草が繁茂した路面。
とてもいい雰囲気です。





うわごう道と茶平集落

家は正確には数えませんでしたが
(数えようと思えば数えられる規模)
十数軒の家は、おおまかにいって、
古めのものと新しめのものの2タイプがあるようです。
こうして古いタイプの家が立つ光景を木立越しに見ると、
昭和を越えて、
もっと古い時代にタイムスリップした印象すら受けます。





うわごう道と茶平集落

土壁に木製の引戸や窓枠、
紅葉が悠久の時間を越えた木造家屋とマッチして、
日本の原風景を演出します。





うわごう道と茶平集落

天井は勿論、細かいさんの引戸も壁も、
みんないい色になった木製。
家具調テレビもこういう部屋ならバッチリですね。
床は板張りになってしまってますが、
猫がまどろむ飴色の畳がとても似合いそうです。





うわごう道と茶平集落

この物干し(たぶん)は相当年季が入っています。
使い方もよくわかりませんが、
そこはかとなく木の壁と良く合います。





うわごう道と茶平集落


手前は物置とかでしょうか?
ちょっと傾いてしまってますが、
その奥に立つ母屋は古めながら、
時代を感じさせてくれる趣のある木造家屋です。





うわごう道と茶平集落

かつて住人の方がお使いになっていた時は、
手前にちゃんと壁があったのだと思いますが、
壁がなくなってしまったので、
お風呂と厠がまるみえです。
お風呂は五右衛門風呂をコンクリで固めたもの。
左奥に写る木を張り合わせた丸い蓋状のものは、
五右衛門風呂用の足乗せでしょうか。





うわごう道と茶平集落

回転式脱水機付き一槽洗濯機。
その上にはこし網籠。
時間が止まった光景です。





うわごう道と茶平集落

こちらのお宅も趣のある木造。
古めの家はおおむね二階を低く造ってあるので、
かなり古い時代のものではないかと思います。





うわごう道と茶平集落

こちらのお宅は五右衛門風呂ではなく檜風呂。
でも土台が作ってあるところをみると、
離れの風呂部屋の造り。
幼少の頃、
離れの風呂小屋にある五右衛門風呂を経験したことがありますが、
子供にとっては、ちょっと怖い思い出ですね。





うわごう道と茶平集落

集落を離れて、
北上しながら次の集落へ行こうと思いましたが、
日も傾き始めたので、
集落を見下ろす高台にあるお地蔵様のところで、
撮影を終了することに。

ここからうわごう道と呼ばれる古道が、
途切れ途切れながら、
一応この丘の上にある集落を繋いでいるようですが、
他の集落はまた別の機会に訪れようと思います。

当初、廃村の古道もDVDに収録する予定でしたが、
廃村は廃村で、また純粋な廃道とは意味が違うなと感じ、
今回のDVDに収録するのはやめました。
※っていうか、道、歩いてないじゃん(^.^ゞ)

勿論、平沼さんも一緒でしたが、
この廃村と古道は初めての訪問で、
特にこのお地蔵さんに感動してたのが、
印象にのこっています。

うわごう道と茶平集落

そしてオープロジェクト恒例、
ご当地ものを食べて帰ろう!です。
今回はグルメであるオープロ大西さんお薦めの、
蕎麦 いんなみ
お店のお薦め、天せいろを注文。
特に印象深く残るほどではないですが、
美味しい蕎麦と天ぷらに満足。
※探索でお腹空いてたのかな。。。



廃道クエスト




◆廃道サイトの決定板『山さ行がねが』◆



廃道リポート:国道299号旧道と旧大滑隧道

2013-02-28 01:36:56 | プロダクション・ノート
オープロジェクト新作DVD『廃道クエスト』
そのロケを振り返りながら、
一つ一つの廃道を取り上げてアップしています。

SA

画像は前回までアップした、
萬世大路の撮影に行く前に車中泊したサービスエリア。
撮影が関東近郊だったので、
当初は早朝出発で行ってましたが、
だんだん日が短くなるにつれ、
それでは撮影時間が足らないということになり、
結局、萬世大路以降何度か、
現地付近で車中泊になりました。

午前3時頃、
サービスエリアに出入りする大型トラックを肴に、
手持ちのワインを飲みながら眠りにつくのも、またいいもの。
廃道探索は、
この車中泊から始まっているのかもしれないと思います。

廃道・国道299号旧道

萬世大路の次に撮影したのは、
奥秩父にある国道299号旧道の廃道でした。
廃道の世界では殆ど知名度もなく、
それほど重要でもないといわれる廃道ですが、
以前の記事でお伝えしたように、
今回廃道のDVDを制作するきっかけが、
この国道299号の旧道だったので、
どうしてもはずすわけにはいきませんでした。

地図でいうと現道の国道299号が、
2カ所で川を渡っていますが、それを渡らずに、
川沿いに北へ膨らんでやがて現道と合流する、
ほんの短い区間の廃道です。

廃道・国道299号旧道

画像は全行程の1/3くらいのところでしょうか。
左に見える岩肌はそそり立つ谷。
かなり深いんですが、
この画像だけではその規模がわかりませんね。

廃道・国道299号旧道

画像の右上の枠に囲んだ所に注目して下さい。
人影が見えると思いますが、

廃道・国道299号旧道

遥か先を歩く平沼さんです。
をいをい、道かよー (((;゜ Д ゜)))
もちろんズルッといったら奈落。
でも、まだここは歩き易い方でした。





廃道・国道299号旧道

その行程で2カ所、
崖崩れで完全に道が無くなっている所があります。
最初の崖崩れはなんとか越えましたが、
画像は2番目の崖崩れ。
手前に写るのが崖を越える平沼さん、
で奥に、反対側から先回りしていたオープロの二人。
この崖崩れは、足場は砂利でずるずる、
つかむ所もなにもなく、
平沼さんは一気に走り抜けてましたが、私は断念。

廃道が与える過酷な試練
でも、これは画像では伝わりませんね。
是非、映像でご覧になってくださいませ。



日窒鉱山

国道299号旧道は、距離は短いので、
2時間ほどで撮影を終え、
奥秩父経由で平沼さんお薦めの隧道へ行く事に。
途中、道沿いにあった日窒鉱山で、
ちょっと一休み。



廃道・大滑隧道

お薦めの廃隧道は、
奥秩父の南寄り、県道210号沿いにあります。
大滑トンネルという現役のトンネルの、
南側の出口付近が少し洞門状態になっているのですが、
その洞門の所から川沿いに短い廃道があります。





廃道・大滑隧道

道幅もそこそこあり、
ガードレールも新しめな印象をうけるので、
近年まで使われていた道なのではないかと思います。
そして画像の中央奥、
左側の崖が堆積した葉とともに斜めになっている位置で、
道は急カーブして左折していたようです。





廃道・大滑隧道

左折ポイントから先を見た光景。
一見、ただの山肌で、
この正面に隧道があると平沼さんに言われても、
最初は全くわかりません。
近づいて見ると、
左からせり出している岩肌が中央上部で途切れる付近に、
確かに人一人がやっと這い入れる隙間があります。
これまでアップして来た越所隧道や須花隧道も、
けっこう入口が狭くなっていましたが、
その中では、最も入口が狭い隧道でした。

なんとか隧道内に入ると、
暫くは崩落でほぼ埋まりそうになっている区間が続き、
やがてそれが終わると、
今度はぬかるんだ地面に足を取られる区間、
そして入口から約100m位の所に、





廃道・大滑隧道

なんと廃トラックが一台ポツン…
しかもトラックの後ろ半分は、
崩落した土砂に埋没していて、
その奥は完全に崩落し、隧道は閉塞しています。

果たしてこのトラックは、
どうやってこの隧道に入ったのでしょうか。
当然Uターンはできないから、
崩落した奥から崩落前に走って来て、
たまたま停めたところで崩落したのか、
それとも最初に入った閉塞寸前の入口が、
まだ閉塞していないときに進入し、
わざわざバックしてここまで来たのか。

謎です………

尚、この大滑隧道は、当初DVDに収録予定でしたが、
時間の都合上カットしてしまいました。
もし次回続編を作る事になったら、
是非収録したいと思います。

殆ど真っ暗な隧道なので、
撮影では赤外線暗視カメラでも撮影しています。
いわゆる緑色の画面のアレですな。



廃道クエスト




◆廃道サイトの決定板『山さ行がねが』◆



廃道リポート:萬世大路~後編

2013-02-27 02:37:08 | プロダクション・ノート
オープロジェクト新作DVD『廃道クエスト』
そのロケを振り返りながら、
一つ一つの廃道を取り上げてアップしています。

前編、中編とアップしてきた萬世大路。
その道程でもっとも旧道と現道のルートが異なるのが、
栗子山を越えるルートです。

廃道・萬世大路

地図で言うと、
右側の国道13号マークから少し西へ移動した地点と、
米沢スキー場と書かれた辺りを、
現道はV字型に通っていますが、
かつての萬世大路は、
ほぼ直線で結ぶ様に造られていました。

そしてその最も標高の高い所にあったのが、
国内初の近代隧道であり当時国内最長だった、
栗子山の中腹を貫通する栗子隧道です。
その隧道を目指して、
本来右の国道13号マークの付近から旧道に入る予定でしたが、
あいにく旧道への進入路付近が工事中だったため、
急遽米沢側から旧道に進入し、
隧道へアプローチすることにしました。





廃道・萬世大路

かつての萬世大路は、舗装こそされていないものの、
かなり高い標高まで、ちゃんと道としての機能を残しています。
しかも轍があるのを見ると、車の走行もあるようですね。
と言っても現役の車道ではないので、
ほどなく道幅が狭くなり、車での走行はできなくなり、
途中からは徒歩で栗子隧道を目指します。





廃道・萬世大路

徒歩で隧道を目指す途中の林の切れ目から、
栗子山を抱く奥羽山脈が見えます。

平沼さん曰く、
国内に隧道あまたあれど、
分水嶺を貫通するトンネルは少なく、
しかもそれが明治中期に造られたことは、
とても驚くべき事だそうです。
今回平沼さんと3ヶ月に渡って
いろいろな廃道を撮影して来ましたが、
その中で平沼さんが最も興奮していたのが、
この光景を目にした時でした。





廃道・萬世大路

だんだんと細くなる萬世大路を歩くこと小一時間。
遂に栗子隧道が薮のむこうに見えて来ました。





廃道・萬世大路

目の前に来ると、
昭和の隧道(左)と明治の隧道の、
2つの入口がある異様な光景に圧倒されます。





廃道・萬世大路

昭和の隧道の上には、今も扁額が残っています。
当時の有力者による書でしょうか、
バランスも悪く決して上手とは言えませんが、
その筆致から、隧道への強い想いは伝わります。
下には昭和十年三月竣工と彫られています。





廃道・萬世大路

平沼さんの提案で、隧道の上へ登ってみました。
間近でみる隧道入口の表面は、
あたかも古代遺跡の壁面の様相ですが、
実はこれ、石ではなくブロック・コンクリートだそうです。
長年の風雪にこれだけ変質してしまったということでした。





廃道・萬世大路

隧道の上からの光景。
手前が広くなっていますが、
かつて明治時代に隧道が竣工した際には、
この広場に明治天皇も陣取って、
その落成を祝ったそうです。





廃道・萬世大路

陽が沈み、あたりには夕闇が迫り出しましたが、
せっかくなので隧道内も少し探索。
まずは明治隧道から。
隧道は20~30m程進むと行き止まりになります。
行き止まり付近から入口方向を見た光景。
地面に積もる瓦礫は、崩落というよりは、
むしろ昭和隧道を掘削した時の不容石ではないでしょうか。
というのも、明治隧道の突き当たりは、
崩落や人工に閉塞したものではなく、
昭和隧道の外壁によって行き止まりになっているからです。





廃道・萬世大路

左に見えるのが昭和隧道の外壁。
明治隧道は入口から数十メートルだけクランク状に造られ、
あとは一直線の隧道でしたが、
昭和の隧道はその殆どを再利用しながら、
入口部分をクランク状にせず、
そのまま直線状に造った為に、
明治隧道の中に昭和隧道の外壁が現れ、
こういった極めて奇妙な光景が生まれたわけです。

明治隧道が何故入口部分をクランク状にしたかは、
定説としては、猛吹雪の隧道内への進入回避だそうですが、
前回の記事の殉職之碑のところで触れた様に、
やはりこの道路にとって雪との戦いは、
過酷なものだったんだと思います。





廃道・萬世大路

そしてこちらが昭和隧道の入口から数十メートル付近。
この付近だけ天井が崩落し、瓦礫が積もっていますが、
その奥は、見える限り、崩落の様子もなく、
現役でも使えそうな程奇麗な状態でした。
ただし、平沼さんにうかがうと、
かなり奥で大きな崩落があり、
福島側へ抜ける事は殆ど無理な状態だという事でした。





廃道・萬世大路

天井の崩落部分を見ると、
なんと剥落したコンクリートの中に、
木柱状のものがいくつも見えます。
かつては木柱を補強材として使っていたのでしょうか?





廃道・萬世大路

DVD『廃道クエスト』は、廃道の魅力を
<美しさ><奇妙さ><歴史性><冒険性>
の4つに分けてまとめています。
廃道リポートの最初にアップした越床峠は<美しい>廃道、
そしてこの萬世大路は<歴史性>のある廃道です。
DVDの順番では3番目に収録してますが、
実際は越床峠の次に訪れた廃道。
少し、廃道の魅力がわかって来た頃です。



廃道クエスト




◆廃道サイトの決定板『山さ行がねが』◆



廃道リポート:萬世大路~中編

2013-02-26 03:40:22 | プロダクション・ノート
オープロジェクト新作DVD『廃道クエスト』
そのロケを振り返りながら、
一つ一つの廃道を取り上げてアップしています。

廃道・萬世大路

前回アップした大滝宿/長老沢から現道に戻り、
少し米沢方面へ進んだところに、
かつての遺構が幾つか残っている場所があります。
全体地図はクリックでご確認ください。
その場所の地図があまりにもシンプルすぎたので、
今回の記事に関連するアイテムを記入してみました。
まず一番下の道が現道の万世大路、
その上のゆるやかなカーブが一つ前の世代の万世大路、
更に沢に沿って北へ大きく迂回しているのが、
明治時代に使われていた万世大路のルートです。

なお進入路の都合上、
左寄りの3つの道が交わった付近から、
右へ戻る形で撮影を行いました。





廃道・萬世大路

まずは矢印で指し示した「警察官殉職之碑」
表には太い文字で殉職之碑の文字が掘られていますが、
裏を見るとその経緯が克明に記録されています。
明治22年に囚人を護送した警察官が、
その帰りに吹雪に遇い、
あえなく命を落としてしまったことを追悼し、
たてられた鎮魂碑です。

撮影の日は紅葉が美しい穏やかな天気でしたが、
この地域に降る雪がどれだけ強烈なものかを実感できます。





廃道・萬世大路

地図でいうと殉職之碑から少し右に移動した新沢橋。
かつての萬世大路の現存遺構では、最大の橋だそうで、
東京/御茶ノ水にある聖橋にも似た美しいアーチ橋です。

そしてこの橋を渡ると、
明治時代に使われていたルートと交わります。
明治時代にはこの新沢橋はなく、
沢を挟んで北の奥まで道が続いていました。





廃道・萬世大路

明治時代の道も、道と分かる形で現存しています。
右側の岩が道の為に削岩した跡。
そして中央の多少平場に見える所が道の跡です。
ところどころ道の中央まで木が繁殖しているものの、
通行に支障をきたす程ではなく、
明治時代に馬車や着物姿の人が往来した、
その道を歩くのは感動を覚えます。





廃道・萬世大路

そして暫く明治道を進むと、
やがて明治時代に沢を渡っていた旧新沢橋に辿り着きます。
といっても新沢橋のように橋桁はありませんが、
それでも橋脚はしっかりと残っています。
今回の取材のために、
前もって平沼さんから画像データはもらっていましたが、
小さな橋脚だろうと勝手な思い込みに反して、
実際に見る旧新沢橋の橋脚はかなり大きく、
目算ですが8m位の高さがあります。

平沼さん曰く、
萬世大路の中で、明治時代にだけ使われた道が、
もっとも長い区間残っている所だそうです。



廃道クエスト




◆廃道サイトの決定板『山さ行がねが』◆



廃道リポート:萬世大路~前編

2013-02-25 06:11:46 | プロダクション・ノート
オープロジェクト新作DVD『廃道クエスト』
そのロケを振り返りながら、
一つ一つの廃道を取り上げてアップしています。

廃道の中では超有名物件(だそうです)の萬世大路。
明治時代に、
山形の米沢から福島の福島へ、そして福島から東京へと、
不便だった裏日本の産業発展の為に造られた道路。
当時山形の県令(知事)だった三島通庸によって建設され、
落成時に訪れた明治天皇によって命名された道路だそうです。
と基礎知識はこのぐらいにして、

廃道・萬世大路

実は右下の福島と左上の米沢を結ぶ国道13号が、
現在も萬世大路の名で呼ばれています。

実際、開通当時のルートと付かず離れず、
かなり同じルートを進んでいるのですが、
二ヶ所だけ大きくルートが違う所があります。

一ヶ所は福島を出て北に向かって膨らんでる場所。
当時はここまで膨らまずに一直線で進んでいました。
そしてもう一カ所は、地図中央に表記された栗子山付近。
現在のルートは栗子山の南をV字型に進んでいますが、
当時は逆に北に少し膨らむ様に進んでいました。

廃道・萬世大路

まず福島を出て一直線に進んでいた道路を体感すべく、
藍亀神社、通称塩竈神社へ。
勿論、この神社の訪問は平沼さんのご提案で、
私たちは何故そこへ行くのかもわからず、
ただただ付いて行くばかりです。
階段の下に天然木の杖が用意されていますが、
結構階段がきつい神社です。

廃道・萬世大路

そして神社の拝殿があるスペースから福島市を見ると、
なんと一直線の道が奇麗にみえます!
福島市をでて一直線に進んでいたかつての萬世大路は、
現在でも現道として残っているんですね。
平沼さん曰く、
明治時代にこれだけの土木工事をしていることから、
この萬世大路の重要性がよくわかる、と。
また、直接廃道になった道へ行く前に、
こうして萬世大路の素晴らしさを体感してから、
実際に廃道へ行くと、
より萬世大路の素晴らしさが分かる、のだそうです。
なるほど、なるほど。





廃道・萬世大路

藍亀神社をでてほどなくすると、
かつての萬世大路は現道をほぼ同じルートを進み出しますが、
それでも完全に同じではなく、
かつてのルートは現道から僅かにずれていた所も多く、
それらは画像の様な形で現在も残っています。

眼下に見える橋脚の跡がかつての萬世大路。
現道は相当高い位置を走っていることになります。

そして冒頭で触れた二カ所の大きくルートが違う所、
程はルートがずれていないながら、
現道と少しルートを異にする大滝宿/長老沢へ。
ほかにもルートがずれている所はそこかしこにありますが、
特にこの大滝を訪れるのにはわけがありました。

廃道・萬世大路

集落の入口にあたる場所に掛かる葭澤橋(よしざわばし)。
大滝の集落は、かつては萬世大路とともに栄えるも、
昭和40年代に過疎化が進み、昭和54年(1979)に廃村。
その後、業者による江戸時代風のテーマパークとして、
再生が試みられた時期もあったものの、
現在はその多くが撤退し、再び廃村となっています。
この鉄の朱塗りの欄干も、
おそらく業者時代に作り替えられたものでしょう。





廃道・萬世大路

橋を渡ると、既に店じまいした、
江戸茶屋風の店が軒を連ねます。
その中に、
廃道になった萬世大路の見学を促す案内板がありました。





廃道・萬世大路

果たしてこの集落にどれほどの人が訪れ、
萬世大路を見学に出かけていたのかは分かりませんが、
今はただ無人の静かな山村に残るあばら屋が、
かつての賑わいの跡を今に伝えるだけです。





廃道・萬世大路

あばら屋の向かいに山神神社と掘られた石柱がありました。
山神といえば炭鉱・鉱山の神様。
そういえば萬世大路の案内板のあった裏に、
坑道の跡らしき形をした横穴があったのを思い出します。





廃道・萬世大路

中に置かれた一輪車の大きさからも分かる通り、
それほど大きな坑道ではありませんが、
周囲の支柱の構造等、鉱山の通洞坑にそっくりです。
実は大滝には鉱山もあったそうです。





廃道・萬世大路

集落内には小さな川を渡る橋が幾つもありますが、
そのうちの一つ、いら沢橋。
上記の赤い欄干の橋も、
かつてはこういった素朴な橋だったんではないでしょうか。





廃道・萬世大路

いら沢橋を越えて暫く進むと、
長老沢の集落へ辿り着きます。
トタン屋根の腐食具合だけ見ると、
まだ人が住んでいてもおかしくないくらいですが、
どの家屋にも既に人影はありません。





廃道・萬世大路

そしてその一番奥に、
かつて萬世大路が竣工した際に巡幸された明治天皇が、
お休みになられた家屋があります。
しかも、お休みになられた当時の家屋だそうです。





廃道・萬世大路

平沼さんの話では、時々手入れが施されている、
ということでしたが、
明治天皇が訪れたのは、萬世大路竣工の明治14年(1881)。
木造の家屋が約130年も残っているのは驚きです。



廃道クエスト




◆廃道サイトの決定板『山さ行がねが』◆



廃道リポート:須花隧道

2013-02-24 02:42:37 | プロダクション・ノート
オープロジェクト新作DVD『廃道クエスト』
そのロケを振り返りながら、
一つ一つの廃道を取り上げてアップしています。

前回の記事の最後にお伝えした、
越床峠の取材の後に回った面白いトンネル。
それは、越床峠から北へ7、8キロ行った所にある、
須花トンネルです。

廃道・須花隧道

このトンネルも越床峠と同様、
足利市(左)と佐野市の境にあります。
県道208号線沿いに書かれているのが現役の須花トンネル。
そして北側に細い道と共に書かれているのが、
大正時代に建設された須花トンネル。
更に、現在のウェブ地図とかでは書かれていない、
南側に残る明治時代に造られたトンネルと、
時代をまたいで3つのトンネルが残る、
珍しい場所です。

廃道・須花隧道

まずは現役のトンネル。佐野市側の入口。
昭和55年(1980)に完成したRC造のトンネルで、全長約160m。
撮影のタイミングによる光のあたり具合もあると思いますが、
殆ど車が通行しない様子と相まって、
ちょっと異世界な印象を受けます。





廃道・須花隧道

次に明治時代の隧道跡を見ようと、
看板に従って側道へ入ります。
明治の隧道は佐野市の指定史跡になっているので、
見学が出来る様に案内板が設置されています。
路面は舗装されていますが、近年の整備でしょうか。
路肩に三角形の排水溝(だと思います)があります。
長崎県の高島にある三角溝は有名ですが、
こんなところで三角溝に出会うとは、
ちょっと驚きです。





廃道・須花隧道

暫く進むと、やがて立ちはだかる岩山の下を貫通する、
明治時代の須花隧道が見えて来ます。
隧道が造られる以前、この場所を通過するには、
険しい須花峠を越えなくてはならず、
その不便さを解消するべく造られた隧道だそうです。
明治14年(1881)に工事が始められるも、
手掘りでの掘削には思いのほか時間と資金がかかり、
最後には私財をなげうってまでして、
明治22年(1889)にやっと完成した隧道。





廃道・須花隧道

隧道内の壁面は激しく凸凹で、
決して奇麗とは言えないものですが、
それがかえって隧道掘削の苦労を伝えてくれます。
また崩落が殆どなく、
前回の記事でアップした越床峠の明治隧道に比べて、
この隧道の岩盤が強固なものだったことが分かりますが、
その分、掘削にも苦労したんではないかと思います。





廃道・須花隧道

足利市側の出口は、枯れ葉や土砂で埋没寸前。
もう少ししたら、閉塞してしまうかもしれません。
隧道の先はもはやどこに道があったのかすら、
わからない状態でした。





廃道・須花隧道

佐野市側の入口へ戻りながらの1枚。
隧道のシルエットが、
現代では考えられない形をしているのがよくわかります。





廃道・須花隧道

明治隧道の次は、
現道を挟んで反対側にある大正隧道へ移動。
明治隧道は現道からそこそこ距離がありますが、
大正隧道はほどなくして姿を現します。

明治隧道へ通じる道と隧道周囲の雰囲気も良かったですが、
この大正隧道の周囲の雰囲気ももまた、
そこはかとなくいい雰囲気を醸し出しています。





廃道・須花隧道

大正6年(1917)完成の須花隧道。
こちらは入口を石造りでかため、内部は煉瓦造りという、
明治隧道に比べると破格に進歩した隧道です。
きっと、この隧道が完成した時は、
この道を利用する人は喜んだんではないでしょうか。





廃道・須花隧道

煉瓦巻きの隧道は、
軍事施設とかではよく見かけますが、
一般道の隧道では初めて見たので、
これまた驚きです。

ところで、明治道の佐野市側(右)の入口は、
地図でいうと現道をはさんで大正道のほぼ対面にあり、
そこからかなり南へ進んで隧道を越え、
やがて、地図の左下の、
つずら折りの頂点の場所へと繋げています。

等高線を見てもわかる通り、
大正隧道は現道より楽な場所を貫通している反面、
明治隧道は、現道よりも険しい場所をぶち抜いています。

現代の様な掘削技術が無い時代に、
よくこの険しさに挑戦したものだと思います。
明治の人にとって、峠越えとは、
そんなにやっかいなものだったのかと思いますが、
前回の記事でアップした越床峠の明治道も、
やはりぐるっと迂回する峠を避けて、
ショートカットする場所に造られていました。

ともあれ、素彫り、煉瓦造、RC造と
三世代の隧道が併存して、
隧道の歴史を博物館の様に伝える様は、
とても楽しめます。

尚、須花隧道は、
今回のDVDには収録していませんが、
いずれ機会があったら収録出来ればと思います。



森田屋総本店

この日の撮影は午前10頃スタート、
越床峠と須花隧道を撮影し終えたのが4時頃。
まだ時間があったので、
せっかく佐野市に来ているし、
本場の佐野ラーメンを食べてから帰ることに。
立ち寄ったのは森田屋総本店

森田屋総本店

カップ麺とかでは食べたことがあるものの、
本場で食べるのは初めての佐野ラ~メン。
ワンタンの皮のような食感と味の麺、
シンプルな醤油ベースのスープ、
そして懐かしさを感じるチャーシュー。
素朴ながらとても美味ラ~メンでした。





東北自動車道

9月だったので日も長く、
帰りの東北自動車道は茜色に染まっていました。



廃道クエスト




◆廃道サイトの決定板『山さ行がねが』◆



廃道リポート:越床峠~後編

2013-02-23 02:55:12 | プロダクション・ノート
オープロジェクト新作DVD『廃道クエスト』
そのロケを振り返りながら、
一つ一つの廃道を取り上げてアップしています。

前回アップした、
栃木県の佐野市と足利市の堺にある越床峠。
その後編です。

地図をご覧になってもおわかりのように、
本来前回の探索で本来の越床峠は終わりですが、
廃墟探索の第一人者、平沼さんが一緒だったので、
それだけでは終わりません。

現在の地図では(最下部画像参照)、
V字型の道路しか描かれていませんが、
そのVの字のほぼ中央を横にシュートカットする、
明治時代に造られた道があるというのです。

古い地図を頼りに、
平沼さんがトライ&エラーで発見した、
知られざる道です。

廃道・越床峠旧道

と言っても道の素人の自分には、
この薮が道なのかどうかなど分かるわけもなく、
ただただ平沼さんの後を付いて行くばかりです。
平沼さんも最初は不安だったそうですが、





廃道・越床峠旧道

この画像の右に写る石垣を見た時に、
間違いなくかつて道だったと分かったそうです。
なるほど、これは自然の構造物じゃないですね。
とすると、この中央の窪みがかつての道。
しかし行く手を見ると、
倒木に阻まれた道は険しさを増してそうです。





廃道・越床峠旧道

幾重にも折り重なった倒木を、
時にまたぎ、時にくぐりながら進んだ先に、
明治時代に造られた手掘りの隧道の入口が、
姿を現わしました。

入口上部の岩がかなり崩落し、閉塞寸前の状態ですが、
それでもかろうじて隧道とわかります。

この隧道は「越所隧道」と言って、
明治のショートカット道を造った時に、
同時に掘削されたそうですが、
岩盤の脆さから早々に崩落し、
結局短い間しか使われなかったようです。





廃道・越床峠旧道

内部へ入って見ると、10cm程水が溜まっていて、
約20mくらいで崩落閉塞しているようです。

天井からは水滴が沢山したたり、
溜まった水に波紋を描いては、
水滴の音が隧道内に木霊します。





廃道・越床峠旧道

隧道の天井に白いものが付着してますが、
平沼さんいわく、おそらく凝固した石灰だろう、と。

それにしてもこの天井の凸凹には驚かされます。
勿論崩落による削れとかもあるんでしょうが、
鑿と鏨だけでの手掘りの跡でもあるのかと思うと、
よくこんな作業をしたなと、気が遠くなる想いです。

隧道内はとてもヒンヤリとしていて気持ちよく、
天井の崩落の危険を感じなければ、
もっと留まっていたい感じです。





廃道・越床峠旧道

ちなみに隧道というからには、
かつては反対側に出口があった筈ですが、
ちょうど反対側にあたる位置の付近を探索するも、
隧道の入口らしきものは見つかりませんでした。
ただ、ちょっと窪んだ土地があって、
その周囲が、上記の隧道の入口と似た岩なので、
この付近にあったのかも知れない、
程度のことしか判断出来ないと平沼さんはおっしゃってました。





廃道・越床峠旧道

明治の古道から戻り、
再び越床峠を出口へ向かって進んでいると、
長年の時間経過の結果、表面に苔がびっしりと生えた、
大量のタイヤが放置されていました。
おそらく産廃の一種だと思いますが、
ここまで同化していると、
「人工はやがて自然へ還る」的なメッセージを持った、
現代美術の作品の様にも思えます。





廃道・越床峠旧道

タイヤのオブジェを越えると、
ほどなくして現道へ出ます。
現道の越床トンネルはわずか500m程度。
車で通過すればほんの一瞬、
歩いても10分とかかりません。
その横に、これだけ面白いものが眠っているとは、
この峠を知らなければ気がつかないと思います。





廃道・越床峠旧道

越床峠はとても気に入ったので、
その後2回通って撮影、
夜中の星降るインターバル撮影もしましたが、
そのシーンはDVDの最後のクレジットで使っています。

オリオン座が消えて、やがて月が昇り、
そして夜明けになって画面が真っ白になるまで、
車一台通らないアスファルトの道路は、
神秘的でもありました。

越床峠はこれでおしまいですが、
越床峠の最初の撮影の後に、
近くに面白い隧道があると平沼さんからうかがったので、
そこへ行ってみることにしました。
次回はその面白い隧道です。



廃道・越床峠旧道

廃道クエスト




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廃道リポート:越床峠~前編

2013-02-23 02:41:24 | プロダクション・ノート
前回の記事でもお伝えした、
オープロジェクト新作DVD『廃道クエスト』
そのロケを振り返りながら、
一つ一つの廃道を取り上げてアップして行きたいと思います。

とその前に、
廃道のDVDを制作することになったきっかけをちょっと。

廃道は、興味はあっても、
もともと探索していたわけではないのにもかかわらず、
今回廃道のDVDを制作することになったきっかけは、
いまから遡ること2010年、
お台場の東京カルチャーカルチャーで行なった、
『廃線×廃墟×廃道 廃祭り2010』→イベント・リポート
で知り合った廃道探索の第一人者、
ヨッキれんさんこと平沼さんとの出会いでした。

平沼さんの話はとても面白く、
特に今回のDVDにも収録している国道299号旧道の、
古地図から見つけて現地へ行き、
さらに現地では、ただの山の斜面を歩いているとしか思えないけど、
本人はガチで道を歩いているつもり、
という発表が印象に残りました。

逆にオープロジェクトはちょうど廃線のDVD
『鉄道廃線浪漫~風の声・時の音~』をリリースした後だったので、
DVDのダイジェストを会場で流したわけですが、
それを見た平沼さんが、イベント終了後に、
廃道もこんなDVDになったらいいなぁ~
と一言ポソっとつぶやいていました。

その言葉をずっと覚えていて、
いつもDVDをリリースさせて頂いている日活さんに、
次回作のプレゼンの時に廃道の話もしたところ、
あまた提出した企画書をさしおいて廃道が選ばれ、
こうして制作することになったわけです。



それからいろいろと時間がかかり、
結局制作をスタートしたのが昨年の夏。
廃墟や廃線は昔から行っているので、
ノリも接しかたもよくわかりますが、
廃道ってどう接すればいんだ?
と思いながらのスタートでした。

ロケは昨年の9月から11月にかけての約3ヶ月。
と言っても天候に恵まれた週末の5回くらいですが。
一番最初に行ったのが栃木県の国道293号、
足利市と佐野市の境にある越床トンネルの旧道です。

廃道・越床峠旧道

地図上部のトンネルが現在の越床トンネル。
その下にV字形に表示されているのが、
トンネル完成前まで使われていた越床峠。
ちなみにこの漢字は「こしどこ」と読むそうです。

越床峠に関しての詳しい話は、
今回のDVDで沢山の廃道をご案内頂いた平沼さんのサイト
『山さ行がねが』の
越床峠のページをご覧になって頂ければと思います。
なお平沼さんに教えて頂いたポイントで撮影しているので、
かぶった画像も多いかと思います。

廃道・越床峠旧道

越床峠のスタートは今でも印象深く残っています。
現道と旧道が分岐する地点。
左にある現役道からガードレールで区切られ、
現道舗装の為の新しいコールタールがかぶさって、
センターラインが塗りつぶされている光景。

廃は廃でも渋すぎる!

廃墟、特に大規模廃墟のように、
全身を廃で包まれる廃墟が、
何百ページもの饒舌な小説だとすれば、
この僅かな痕跡に感じる廃は、まさに

廃の俳句





廃道・越床峠旧道

しばらく旧道を進むと、
現道とを結ぶ別の道の跡もあります。
平沼さんいわく、現道の建設の際の資材運搬用か、
あるいは一時的なバイパスとか。
とにかく現道と旧道の分岐付近には、
道に関心のない人間から見ると、
不思議な造りの道が入り交じっています。





廃道・越床峠旧道

やがて旧道の本格的な入口に到着。
その横に朽ちた標識が残っていました。
「その他の危険」という標識で、
落石注意とか熊注意などの特定の対象ではなく、
それ以外の漠然と全ての危険に対する注意を促す標識だそうです。
深い森を背にポツンと立ち尽くす錆び付いた標識は、
やはり分岐点同様、渋すぎます。

静けさや 朽ちた標識 深い森





廃道・越床峠旧道

旧道を少し歩き出して目に留まったのは、
センターライン上にある反射板が半分壊れて、
その隙間から草が生えている光景。
これ、いいね!
視線誘導施設、あるいはデリニエイターと言うそうですが、
センターラインのひびと装置の壊れっぷりが、
放置された時を感じさせてくれます。





廃道・越床峠旧道

地図でも分かる様に、
V字型道路の左側(西側)はつづら折れになっていて、
2つの大きなカーブがあります。
平沼さんいわく、こういった光景は、
道を視界の全部に感じられて嬉しい、と。

つづら折れ 誰一人来ない 夏の空





廃道・越床峠旧道

暫く進むと、
デリニエイターよりも草が多いセンターライン。
このあたりは日当りもよく、
草木もよく繁殖しています。

夏草や 走り屋たちの 夢の跡





廃道・越床峠旧道

つづら折れなので、当然「急カーブ注意」の標識も。
でも、もはや草に飲み込まれてなんの標識かも、
殆どわからない状態に。

廃道・越床峠旧道

落石注意の標識もほぼ<草没>。
ところで落石注意の標識くらいは見たことありますが、
こんなに手書き感全開のものって初めてなので、
なんかほっこりです。





廃道・越床峠旧道

つづら折れが終わると、
ゆるやかなカーブを描きながら少しずつ登って行きます。
左側の草が生えた壁面も、
一見ただの山肌ですが、
実は道を造る時に全部削り取った後の山肌。

元々は画像左上あたりと、
右下のガードレールのあたりが山肌として繋がっていたところを、
L字型に削り取って平場を道にしたと思うと、
道造りへの情熱を少しずつ感じ出したりして。





廃道・越床峠旧道

だんだん森も深くなってきました。
道になだれ込む両側の枝がいい感じで、
こんな中を小さな車で走ってみたいとは思いますが、
たぶん現役の頃は、もっとすっきりしてたんだとも思います。





廃道・越床峠旧道

やがて旧道の中で一番高いポイントへ到着。
この位置は西側の足利市と東側の佐野市との市境にもなっていて、
中央に写る黄色いのは何ていうのか知りませんが、
車が通行が出来ない様になっています。
しかしこの旧道は、現在ハイキングコースになっていて、
歩行で探索はオッケーです。

廃道・越床峠旧道

当然反対側へまわると、これより足利市の看板。
一番高く、そして一番森の中だけあって、
この付近は緑も相当深くなって来ます。





廃道・越床峠旧道

そして佐野市に入ると、
日照の影響もあるのでしょうが、
足利市側と比べて、ずっと深い森に包まれた道が続きます。
アスファルトに散りばめられた積もる落ち葉。
そしてその間に見え隠れするセンターライン。
越床峠の佐野市側は、美しすぎる光景が広がります。





廃道・越床峠旧道

峠道の中で最も美しかった場所。
廃道になる頃は自動車道でしたが、
遥か明治や江戸時代に歩いた人たちは、
恐らくこれに近い光景を見ながら、
歩いていたんではないでしょうか。





廃道・越床峠旧道

道はやがて揺るやかな下り坂になり、
足利市側と同様、樹木に切れ目がでてくると、
道の中央に横たわる倒木などを除けば、
普通の道路の光景に戻って行きます。

越床峠は後半へ続きます。

廃道クエスト




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