オープロジェクト新作DVD『廃道クエスト』
そのロケを振り返りながら、
一つ一つの廃道を取り上げてアップしています。
前編、中編とアップしてきた萬世大路。
その道程でもっとも旧道と現道のルートが異なるのが、
栗子山を越えるルートです。
![廃道・萬世大路](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6b/94/6e7fad877d5392770531130271daa449.png?random=58f5d18cc4a8ee8735cf9cb95985e62b)
地図で言うと、
右側の国道13号マークから少し西へ移動した地点と、
米沢スキー場と書かれた辺りを、
現道はV字型に通っていますが、
かつての萬世大路は、
ほぼ直線で結ぶ様に造られていました。
そしてその最も標高の高い所にあったのが、
国内初の近代隧道であり当時国内最長だった、
栗子山の中腹を貫通する栗子隧道です。
その隧道を目指して、
本来右の国道13号マークの付近から旧道に入る予定でしたが、
あいにく旧道への進入路付近が工事中だったため、
急遽米沢側から旧道に進入し、
隧道へアプローチすることにしました。
![廃道・萬世大路](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/67/a7/7a2e903225cf0e9bbc3d398989000561.jpg?random=15f0010a7510c2799060516dd10d7092)
かつての萬世大路は、舗装こそされていないものの、
かなり高い標高まで、ちゃんと道としての機能を残しています。
しかも轍があるのを見ると、車の走行もあるようですね。
と言っても現役の車道ではないので、
ほどなく道幅が狭くなり、車での走行はできなくなり、
途中からは徒歩で栗子隧道を目指します。
![廃道・萬世大路](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2a/30/df7586378bca80d12965079ee34473aa.jpg?random=8bbf73370f2b5a655fd29d691e6e6a94)
徒歩で隧道を目指す途中の林の切れ目から、
栗子山を抱く奥羽山脈が見えます。
平沼さん曰く、
国内に隧道あまたあれど、
分水嶺を貫通するトンネルは少なく、
しかもそれが明治中期に造られたことは、
とても驚くべき事だそうです。
今回平沼さんと3ヶ月に渡って
いろいろな廃道を撮影して来ましたが、
その中で平沼さんが最も興奮していたのが、
この光景を目にした時でした。
![廃道・萬世大路](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/35/b6/8258fb7cf7be7d6fa14eaa6044cd05dc.jpg?random=a41c9cf267ced520c9b4c20e1b6075bd)
だんだんと細くなる萬世大路を歩くこと小一時間。
遂に栗子隧道が薮のむこうに見えて来ました。
![廃道・萬世大路](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/50/9d/748973641cdcd8c81b107fb2bce88e07.jpg?random=2d466f3df707b121fd38e6eaf31a9377)
目の前に来ると、
昭和の隧道(左)と明治の隧道の、
2つの入口がある異様な光景に圧倒されます。
![廃道・萬世大路](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7e/00/139a44beda85942ea3dd09c807a7b194.jpg?random=95a56d2d662985c5594f5d2c9ee6fae3)
昭和の隧道の上には、今も扁額が残っています。
当時の有力者による書でしょうか、
バランスも悪く決して上手とは言えませんが、
その筆致から、隧道への強い想いは伝わります。
下には昭和十年三月竣工と彫られています。
![廃道・萬世大路](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6c/6f/c6634a2a393494c2e8e0fc05620298cb.jpg?random=a6686d126325cceb72ca3eb0801caa25)
平沼さんの提案で、隧道の上へ登ってみました。
間近でみる隧道入口の表面は、
あたかも古代遺跡の壁面の様相ですが、
実はこれ、石ではなくブロック・コンクリートだそうです。
長年の風雪にこれだけ変質してしまったということでした。
![廃道・萬世大路](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/49/06/31ca57432b6ee69eb628b14b09c7534b.jpg?random=94ecc76c02ac2e9facbd5a4850475121)
隧道の上からの光景。
手前が広くなっていますが、
かつて明治時代に隧道が竣工した際には、
この広場に明治天皇も陣取って、
その落成を祝ったそうです。
![廃道・萬世大路](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3d/4e/584b6c497530dac26e5d3280a36ec8b5.jpg?random=8f7854dec74a940b3f9810a1771f1178)
陽が沈み、あたりには夕闇が迫り出しましたが、
せっかくなので隧道内も少し探索。
まずは明治隧道から。
隧道は20~30m程進むと行き止まりになります。
行き止まり付近から入口方向を見た光景。
地面に積もる瓦礫は、崩落というよりは、
むしろ昭和隧道を掘削した時の不容石ではないでしょうか。
というのも、明治隧道の突き当たりは、
崩落や人工に閉塞したものではなく、
昭和隧道の外壁によって行き止まりになっているからです。
![廃道・萬世大路](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/00/4e/2363f83681eb19a25a59e471835764f0.jpg?random=f8473564262ee0d80da6c52d6d9f4613)
左に見えるのが昭和隧道の外壁。
明治隧道は入口から数十メートルだけクランク状に造られ、
あとは一直線の隧道でしたが、
昭和の隧道はその殆どを再利用しながら、
入口部分をクランク状にせず、
そのまま直線状に造った為に、
明治隧道の中に昭和隧道の外壁が現れ、
こういった極めて奇妙な光景が生まれたわけです。
明治隧道が何故入口部分をクランク状にしたかは、
定説としては、猛吹雪の隧道内への進入回避だそうですが、
前回の記事の殉職之碑のところで触れた様に、
やはりこの道路にとって雪との戦いは、
過酷なものだったんだと思います。
![廃道・萬世大路](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6d/3d/44b9f19946f66df8bbd2babd5c4b1a51.jpg?random=4a4f39d002e70312ab5849775a2bebcb)
そしてこちらが昭和隧道の入口から数十メートル付近。
この付近だけ天井が崩落し、瓦礫が積もっていますが、
その奥は、見える限り、崩落の様子もなく、
現役でも使えそうな程奇麗な状態でした。
ただし、平沼さんにうかがうと、
かなり奥で大きな崩落があり、
福島側へ抜ける事は殆ど無理な状態だという事でした。
![廃道・萬世大路](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/62/07/f0aae2dc13e7eb071ef191ba3a63746e.jpg?random=668353d0f25bf0fa395cf4a191ec1d76)
天井の崩落部分を見ると、
なんと剥落したコンクリートの中に、
木柱状のものがいくつも見えます。
かつては木柱を補強材として使っていたのでしょうか?
![廃道・萬世大路](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/52/18/1ae47ccec17a6935f20d282b06652713.jpg?random=3f119689f45d153afb1ec68b7dde8e9e)
DVD『廃道クエスト』は、廃道の魅力を
<美しさ><奇妙さ><歴史性><冒険性>
の4つに分けてまとめています。
廃道リポートの最初にアップした越床峠は<美しい>廃道、
そしてこの萬世大路は<歴史性>のある廃道です。
DVDの順番では3番目に収録してますが、
実際は越床峠の次に訪れた廃道。
少し、廃道の魅力がわかって来た頃です。
◆
![廃道クエスト](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1c/11/37ca27010b7d6e4a0219b8aaa80d0323.jpg?random=7736613e18df05f64703841743b17d6c)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/08/7c/681eebbd9a1c6cb69aa85e29e373d7c9.png?random=491fefcb0e82ab94f5e30a2705a5b3dc)
◆廃道サイトの決定板『山さ行がねが』◆
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/23/ea/cf406d0b487029a0c4d0757292bd62cb.png?random=85d4e85fe11c35a8bfa75cfc0551f399)
そのロケを振り返りながら、
一つ一つの廃道を取り上げてアップしています。
前編、中編とアップしてきた萬世大路。
その道程でもっとも旧道と現道のルートが異なるのが、
栗子山を越えるルートです。
![廃道・萬世大路](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6b/94/6e7fad877d5392770531130271daa449.png?random=58f5d18cc4a8ee8735cf9cb95985e62b)
地図で言うと、
右側の国道13号マークから少し西へ移動した地点と、
米沢スキー場と書かれた辺りを、
現道はV字型に通っていますが、
かつての萬世大路は、
ほぼ直線で結ぶ様に造られていました。
そしてその最も標高の高い所にあったのが、
国内初の近代隧道であり当時国内最長だった、
栗子山の中腹を貫通する栗子隧道です。
その隧道を目指して、
本来右の国道13号マークの付近から旧道に入る予定でしたが、
あいにく旧道への進入路付近が工事中だったため、
急遽米沢側から旧道に進入し、
隧道へアプローチすることにしました。
![廃道・萬世大路](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/67/a7/7a2e903225cf0e9bbc3d398989000561.jpg?random=15f0010a7510c2799060516dd10d7092)
かつての萬世大路は、舗装こそされていないものの、
かなり高い標高まで、ちゃんと道としての機能を残しています。
しかも轍があるのを見ると、車の走行もあるようですね。
と言っても現役の車道ではないので、
ほどなく道幅が狭くなり、車での走行はできなくなり、
途中からは徒歩で栗子隧道を目指します。
![廃道・萬世大路](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2a/30/df7586378bca80d12965079ee34473aa.jpg?random=8bbf73370f2b5a655fd29d691e6e6a94)
徒歩で隧道を目指す途中の林の切れ目から、
栗子山を抱く奥羽山脈が見えます。
平沼さん曰く、
国内に隧道あまたあれど、
分水嶺を貫通するトンネルは少なく、
しかもそれが明治中期に造られたことは、
とても驚くべき事だそうです。
今回平沼さんと3ヶ月に渡って
いろいろな廃道を撮影して来ましたが、
その中で平沼さんが最も興奮していたのが、
この光景を目にした時でした。
![廃道・萬世大路](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/35/b6/8258fb7cf7be7d6fa14eaa6044cd05dc.jpg?random=a41c9cf267ced520c9b4c20e1b6075bd)
だんだんと細くなる萬世大路を歩くこと小一時間。
遂に栗子隧道が薮のむこうに見えて来ました。
![廃道・萬世大路](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/50/9d/748973641cdcd8c81b107fb2bce88e07.jpg?random=2d466f3df707b121fd38e6eaf31a9377)
目の前に来ると、
昭和の隧道(左)と明治の隧道の、
2つの入口がある異様な光景に圧倒されます。
![廃道・萬世大路](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7e/00/139a44beda85942ea3dd09c807a7b194.jpg?random=95a56d2d662985c5594f5d2c9ee6fae3)
昭和の隧道の上には、今も扁額が残っています。
当時の有力者による書でしょうか、
バランスも悪く決して上手とは言えませんが、
その筆致から、隧道への強い想いは伝わります。
下には昭和十年三月竣工と彫られています。
![廃道・萬世大路](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6c/6f/c6634a2a393494c2e8e0fc05620298cb.jpg?random=a6686d126325cceb72ca3eb0801caa25)
平沼さんの提案で、隧道の上へ登ってみました。
間近でみる隧道入口の表面は、
あたかも古代遺跡の壁面の様相ですが、
実はこれ、石ではなくブロック・コンクリートだそうです。
長年の風雪にこれだけ変質してしまったということでした。
![廃道・萬世大路](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/49/06/31ca57432b6ee69eb628b14b09c7534b.jpg?random=94ecc76c02ac2e9facbd5a4850475121)
隧道の上からの光景。
手前が広くなっていますが、
かつて明治時代に隧道が竣工した際には、
この広場に明治天皇も陣取って、
その落成を祝ったそうです。
![廃道・萬世大路](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3d/4e/584b6c497530dac26e5d3280a36ec8b5.jpg?random=8f7854dec74a940b3f9810a1771f1178)
陽が沈み、あたりには夕闇が迫り出しましたが、
せっかくなので隧道内も少し探索。
まずは明治隧道から。
隧道は20~30m程進むと行き止まりになります。
行き止まり付近から入口方向を見た光景。
地面に積もる瓦礫は、崩落というよりは、
むしろ昭和隧道を掘削した時の不容石ではないでしょうか。
というのも、明治隧道の突き当たりは、
崩落や人工に閉塞したものではなく、
昭和隧道の外壁によって行き止まりになっているからです。
![廃道・萬世大路](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/00/4e/2363f83681eb19a25a59e471835764f0.jpg?random=f8473564262ee0d80da6c52d6d9f4613)
左に見えるのが昭和隧道の外壁。
明治隧道は入口から数十メートルだけクランク状に造られ、
あとは一直線の隧道でしたが、
昭和の隧道はその殆どを再利用しながら、
入口部分をクランク状にせず、
そのまま直線状に造った為に、
明治隧道の中に昭和隧道の外壁が現れ、
こういった極めて奇妙な光景が生まれたわけです。
明治隧道が何故入口部分をクランク状にしたかは、
定説としては、猛吹雪の隧道内への進入回避だそうですが、
前回の記事の殉職之碑のところで触れた様に、
やはりこの道路にとって雪との戦いは、
過酷なものだったんだと思います。
![廃道・萬世大路](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6d/3d/44b9f19946f66df8bbd2babd5c4b1a51.jpg?random=4a4f39d002e70312ab5849775a2bebcb)
そしてこちらが昭和隧道の入口から数十メートル付近。
この付近だけ天井が崩落し、瓦礫が積もっていますが、
その奥は、見える限り、崩落の様子もなく、
現役でも使えそうな程奇麗な状態でした。
ただし、平沼さんにうかがうと、
かなり奥で大きな崩落があり、
福島側へ抜ける事は殆ど無理な状態だという事でした。
![廃道・萬世大路](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/62/07/f0aae2dc13e7eb071ef191ba3a63746e.jpg?random=668353d0f25bf0fa395cf4a191ec1d76)
天井の崩落部分を見ると、
なんと剥落したコンクリートの中に、
木柱状のものがいくつも見えます。
かつては木柱を補強材として使っていたのでしょうか?
![廃道・萬世大路](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/52/18/1ae47ccec17a6935f20d282b06652713.jpg?random=3f119689f45d153afb1ec68b7dde8e9e)
DVD『廃道クエスト』は、廃道の魅力を
<美しさ><奇妙さ><歴史性><冒険性>
の4つに分けてまとめています。
廃道リポートの最初にアップした越床峠は<美しい>廃道、
そしてこの萬世大路は<歴史性>のある廃道です。
DVDの順番では3番目に収録してますが、
実際は越床峠の次に訪れた廃道。
少し、廃道の魅力がわかって来た頃です。
◆
![廃道クエスト](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1c/11/37ca27010b7d6e4a0219b8aaa80d0323.jpg?random=7736613e18df05f64703841743b17d6c)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/08/7c/681eebbd9a1c6cb69aa85e29e373d7c9.png?random=491fefcb0e82ab94f5e30a2705a5b3dc)
◆廃道サイトの決定板『山さ行がねが』◆
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/23/ea/cf406d0b487029a0c4d0757292bd62cb.png?random=85d4e85fe11c35a8bfa75cfc0551f399)