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も う だ め ぽ

限界を迎えました。

もうやめてくれ

2005-02-15 19:00:34 | Weblog
生きたいという願望のない人間を死なせないのは、最大の厳罰なのではないだろうか。
自らの望みで楽に死ぬことも認められないのだろう。

苦しみながら死ぬことを選ぶか、恥辱にまみれて生きるのか。

また

2005-01-28 18:24:09 | Weblog
死にたい指数が急騰しています。
今月半ばに一回沈静化したんですが、また月末になるにつれて上がってきました。

3月までに1週間の休暇があります。
そこで実行にうつすことを考えてしまっています。

それくらいのわがままも許してもらえないのでしょうか・・・

無題

2005-01-27 19:10:24 | Weblog
同じ世界を生きるのがつらくなりました。

最初から違っていると考えれば、今の境遇は当たり前の事と考えられます。
そう、人より劣っているのに、人並みに社会生活を送らせてもらった分、
それ以外のところでに無理が生じるのは当然ですよね。

そんなものを切り捨てれば生きていけるかもしれませんが、
自分本人が生きる希望、生きる願望を失っているのに、生きろというのは
耐え難い痛みとなります。

求めているものに求められないのは、ひとえに自らが原因と言えるでしょう。
もう、無理なのです。

どうせならはっきり捨ててほしい

2005-01-24 11:42:59 | Weblog
『いい人だからきっとよい出会いがあると思います。』

そんなんばっかり。
本当に「いい人」だと思ってるんだったら、こんなこと言わない。
どうせならボロクソに言われたほうがむしろすっきりする。


年明け

2005-01-01 13:34:29 | Weblog
今年は帰省しなかった。

親の顔を見るのもイヤだから。
自分の子供のくせに、まるで他人に情けをかけるみたいに
接するのがとってもイヤだったから。

自分たちが育てた子供はこんなのになっちゃった。
後悔させてやる。

年賀状が来ていた。
やたらつがいや子供の写真入りが多くなった。
考えてみたら、送ってきた奴、全員既婚者(うち一名は予定)だった。
一人は俺だけだった。

もういいよ、どうでも。

今年も

2004-12-24 15:01:33 | Weblog
「給与所得者の扶養控除等(異動)申告書」に判子押して返すだけでした。
下の欄に何か書くことは永遠にないんだろうね。

そもそも、来年はこれ書くかどうかすら・・・

電話

2004-12-20 18:23:27 | Weblog
友人に電話してしまった。

ものすごい、叱咤された。
そりゃ甘いと思うし、逃げてるってのも分かってる。

でも、生に対する執着がない状態で、どうして生きようと思えてくるのか。
それがわからない。

ゆーつな気分

2004-12-15 15:03:25 | Weblog
いろんなセルフチェックを見ると
・朝会社に行くのが憂鬱で起きれない
・夕方くらいから調子が出てくる
というのが、どうも鬱の一般的症状らしい。

自分はどちらかといえば逆なんだなぁ。
・朝は起きるのが遅い(単純に夜遅いだけ)
・会社に来ること自体にはあまり抵抗がない
・逆に帰宅時になぜか抵抗感がある。
・駅で電車を降りて、大通りから自宅前の細い道に入ったあたりで、
 とても憂鬱な気分になる。

多分そう思っているだけだろう。

ココロの寿命

2004-12-07 22:25:12 | Weblog
自殺ってのは、ココロの寿命が尽きたときに起きるんじゃないだろうか。

人間をはじめ、生物が死を迎えるとき、その多くは体の寿命を
迎えるということと同じだ。病気だったとしてもそう。
不摂生だったとしたら、やっぱり自分で寿命を縮めているだけだ。

怪我や事故は、そうでないともいえるけど...

自殺は、一般には逃避行動の終着駅のように思われているけど、
実はココロが燃え尽きたから、死んでしまうのかもしれないと
考えたほうが、なんとなく説明がつく気がする。

体は生きているけど、ココロはもう死んでいる。
そういう感じがする。

自分もココロの寿命が尽きかけているのかも知れない...