少しだけ自然科学の話をします。
(理系なので本来はこういう話は専門なのですが)
鳥や、昆虫で羽があるものは飛べるものが多いです。
しかしながら、鶏やペンギンなど、羽を持っていても飛べないものがいます。
これは、昆虫でも鳥でも体の大きさと羽根の大きさには比例関係が存在しており、
羽根を持っていても飛べないものは、羽根の大きさがこの相関関係以下で
あるそうです。
確かにペンギンの羽は、その体に対して小さい気はしますので、なんとなく
理解できます。
しかしながら、蜂は本来飛べないはずなのに唯一例外的に飛んでいるのだそうです。
結局何故飛べるのかは解明できていないようなのですが、長い議論の末学者たちが
出した結論が「蜂は自分が飛べると信じている」というものでした。
自分が飛べないなどとは微塵も思っていない、ということのようです。
この話は「信念や想い、夢は信じればかなう」ということに引っ掛けて
使われそうな話ですが、本当にそうなのだろうか。
信じていればかなう、というのはよく聞かれることではあるが、
信じたことによって物理法則が捻じ曲げられることはあるだろうか?
この場合は、その相関関係に穴があっただけで、蜂が不可能を可能にした
わけではないのではないだろうか。
世の中、信じてがんばれば報われるというのであれば、自分だってこんな目に
あっていないだろう。
努力が足りないことは認めるが、「絶対治る」と信じて治るのであれば、
世の中にはガンで命を落とす人はいなくなるだろうに。
奇跡というのは、起こせた(起きた)から奇跡なのであって、期待するべき
種類のものではないのだ。
ある奇跡の下には、それこそその何万倍もの努力と絶望と犠牲が埋まっているのだ。