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も う だ め ぽ

限界を迎えました。

避けられてる

2005-07-25 16:13:33 | Weblog
何か会社の後輩(♀)に避けられてる気がする。

必ず俺をすっ飛ばして俺の上司に話を振ってくる。
よっぽど俺と口をききたくないらしい。

基本的に冷たい女らしいから、余計にそう感じるのかも。
仕事やりにくいなぁ。胃が痛い。

電車とかmixiとか

2005-07-19 15:48:58 | Weblog
要は、その素材を生かせるフィールドにいただけの話。
ダメなヤツはどこで何をしてもダメってのは、
自分が証明していると思う。

2005-06-06 16:00:28 | Weblog
「死んだら何にもならないじゃないか!」
「生きてたら何とかなるのかよ!」

生きることを強要することは、人を殺すのと
同じくらいの悪であることを自覚するべし。

蜂は自分が飛べると信じている

2005-05-17 20:15:23 | Weblog
少しだけ自然科学の話をします。
(理系なので本来はこういう話は専門なのですが)

鳥や、昆虫で羽があるものは飛べるものが多いです。
しかしながら、鶏やペンギンなど、羽を持っていても飛べないものがいます。

これは、昆虫でも鳥でも体の大きさと羽根の大きさには比例関係が存在しており、
羽根を持っていても飛べないものは、羽根の大きさがこの相関関係以下で
あるそうです。
確かにペンギンの羽は、その体に対して小さい気はしますので、なんとなく
理解できます。

しかしながら、蜂は本来飛べないはずなのに唯一例外的に飛んでいるのだそうです。
結局何故飛べるのかは解明できていないようなのですが、長い議論の末学者たちが
出した結論が「蜂は自分が飛べると信じている」というものでした。
自分が飛べないなどとは微塵も思っていない、ということのようです。

この話は「信念や想い、夢は信じればかなう」ということに引っ掛けて
使われそうな話ですが、本当にそうなのだろうか。

信じていればかなう、というのはよく聞かれることではあるが、
信じたことによって物理法則が捻じ曲げられることはあるだろうか?
この場合は、その相関関係に穴があっただけで、蜂が不可能を可能にした
わけではないのではないだろうか。
世の中、信じてがんばれば報われるというのであれば、自分だってこんな目に
あっていないだろう。

努力が足りないことは認めるが、「絶対治る」と信じて治るのであれば、
世の中にはガンで命を落とす人はいなくなるだろうに。

奇跡というのは、起こせた(起きた)から奇跡なのであって、期待するべき
種類のものではないのだ。
ある奇跡の下には、それこそその何万倍もの努力と絶望と犠牲が埋まっているのだ。

死ぬ側の論理

2005-05-11 15:00:35 | Weblog
「死にたい」「自殺したい」というと、ほぼ確実に周囲に止められる。
これは何故だろうか?

実際に「では何故自殺してはいけないのか?」という問いに
論理的に答えられる人はほとんどいないのではないだろうか?
要するになんの考えもなく「死ぬことはいけないこと」と
すり込まれているに過ぎないのだ。

自殺は罪ではないが、自殺幇助は罪になっている。
これはおそらく「自殺」を偽装した他殺の抑止のためだとは思うが、
これにより、多くの人々がまったく余計な苦しみを受けているのも
また事実だろう。
これにより、人間には「生きる義務」が課せられているともいえよう。

さて、話を戻そう。
自殺をなくそうとか、自殺を止めようという人は多いし、
そういう社会的な動きもある。
だが、自殺をしようとしている人を止めたとしても、
それで終わり、一件落着、と思っている人がほとんどではないだろうか。
それではまったく意味がないことに気がついている人は少ない。

もしかすると「自分は人を救った」と大変に満足げだったりしないだろうか?
だとしたら大変な誤解である。逆に私にしてみればそんな奴は「殺人」なみの
大罪だとさえ思えてくる。

自殺を考える人は、なんらかの事情や考えがあってのことである。
病気や経済的な理由のほか、心の苦しみから逃れたくて人生の非常口を
出たいと考えている人なのだ。
たとえるなら、建物が火災になり、煙が充満しつつある、そんな状況だ。
自殺を止めた人は、その「非常口」をふさいでしまう人なのだ。
自分がそんなことをされたらどうだろうか。

本当にするべきなのは、建物の消火をすることではないのか?

もし、あなたの目の前に死のうとしている人がいたら、本当に止めるべき
なのだろうか?
その人の人生に関与する覚悟がないのであれば、社会的黙示的義務以上の
行動はするべきではないと考える。


こういう話をしたら、「(私が"うつ"のは)頭が良すぎるからなのかね」と言われた。
別に自分は頭がいいとは思っていないが、ここまで考えることはいけないのだろうか。


帰省

2005-05-04 01:30:28 | Weblog
親ともめて、結局帰省した。
はっきりと「もうかまわないでくれ」と言った。

うつなことも、何一つ楽しいことも夢もないと言ったら
「そんなんでどうする!」となじられ笑われた。

こいつらには理解されようとも思わないし、信用もしていない。
本籍抜いて帰ろうかと考えている。

RE: 親友へ

2005-04-26 21:22:23 | Weblog
気を使わせて申し訳ない。
決してお前のせいではない。これは俺の問題でしかない。

俺はお前のように強くはないし、何のとりえもない。
ただ毎日、この世の中のリソースを食いつぶしているだけの
非常にくだらない存在だ。
そういうやつは罰せられなければならない罪人なのだろう。
多分こうやってつらいと思いながらも生きているのは、
刑に服しているということなのだろう。
こうやって生きるということは、死ぬことよりもつらいこと
なのかもしれない。

俺はその罪が何なのかわからないから、いつまでたっても
刑期が終わらないのだと思う。
俺に残されたのは、人生の非常口から脱出することだけだ。

人間の能力には限界がある。
俺は、おそらく俺という存在に認められた以上の社会的優遇を受けた。
だから、それ以外の部分でバランスがとられただけなのかもしれない。
これも、自分のせいなのだろう。
甘んじて受け入れるしかないんだ。

もうこんなヤツのことは忘れて、幸せな家庭を築いてくれ。

気がついたら

2005-04-26 00:30:55 | Weblog
1年経ってたんだ。
決意も固まらずに無為な時間を過ごしてしまったんだな。

来年の今日を迎えることはないことにしたい