図書室の外への進展はついに一度もなかったのだが、夏休みが終わっても僕と加藤香澄のささやかな密談は続いた。むしろ二学期が始まってもこうして顔を合わせているかぎり、チャンスはまだ4ヶ月間残っているとも考えられる。加藤香澄の得意げな笑みに惹かれている僕だけだから時間的駆け引きの猶予は最大限に使用できるはずだ。出不精の加藤香澄を外に誘うのはもう少し涼しくなってからでも遅くはあるまい。
「三田紀房『クロカン』全27巻、日本文芸社、ニチブンコミックスでは、高校球児たちを引っ張っていく監督という達観した立場が描かれているんだけど、そのガキどもを気持ちを惹き付けるために引いたり押したりするやり方が強引でおもしろいわけね」
『クロカン』の劇中で使用されている通りに、加藤香澄は、ガキども、と忠実に言った。そうしなければ気がすまない性質なのだろう。
「時には“マシーンになれ”と盲信を強要したり、時には“パンツまで濡らせ”と意味不明な発言をして自立を促したり。で、それはやがて対戦する他校との思想対立に発展するわけ。マンガってのは得てして観念的な勝負になるもんなんだけど、実際に試合をしているのは高校生なのにこのマンガで勝敗を別けるのは、どちらかの監督の強い意志!に行き着く。「ちがう・・・完璧さの到達点にしか勝利はあり得ないんだ」「試合中にミスは必ずある 要はいかにそいつを取り返して倍にして結果を出すかだ・・・」「ちがう・・・ちがう! 最初からミスを容認する姿勢は間違ってる!運任せのギャンブルに頼っていては高いレベルでは絶対に勝てない!」「運だけじゃねえ! そこには必ず選手の気持ちが込められているんだ!」「気持ちにも確実な技術の裏付けがあってのことだ!」「技術を引き出すには自信を心の中に持つのが先だ!」といった感じで野球哲学問答に勝利した監督のチームが勝つって寸法」
「あー、いや、加藤さん、悪いんだけど、まだ途中までしか読んでないんだよね。第二部途中からちょっと辛くて」
「な、そ、そんな」
加藤香澄は、一度言葉を詰まらせて、
「読書百遍義自らあらわる!でしょうが!」
と言っている意味はわからないが頭から湯気を立てる勢いだ。
「それでちょっと裏切られた気分んんんんんんん」
「悪い悪い」
僕は軽口を叩きながらも、ちょっと嬉しい気もした。いや、怒られることが嬉しいのではなくて、怒り出すくらいこの共有した時間に熱心なことが。なんちゃって。
「じゃあ、新刊のひぐちアサ『おおきく振りかぶって』2巻、講談社、アフタヌーンKCの方は読んできたわけ? これは、観念的野球を極めた『クロカン』以降の作品、っていうことをわかってて読むとまたおもしろいと思うんだ。こっちは、同じ高校野球でも、ピッチャーとキャッチャーの夫婦関係がメインなんだけど、『クロカン』同様、ピッチャーのモチベーションを引き締めるために引いたり押したりするシーケンスが小気味いいわけなの。まあ、そこら辺も『クロカン』を引き継いでいるんだけど、さらに『クロカン』の核の部分である“観念的野球”も継承している。とはいえ、そのまま受け継いでいるんじゃなくて作者の中で新しく解釈してるんだけど、わかるかな?」
と問いかけながら、当然僕の応答を待つまでも無く間髪居れず、
「そのものズバリ、愛! 心に愛がなければ、の愛ってやつ。『クロカン』では教育論や人生哲学による問答が勝敗を決していたんだけど、それに対して『おおきく振りかぶって』では、愛。ピッチャーへの愛が深い方が勝つ世界律なんだなあ」
自分で答えを先に言っておいて、わかる?わかる?と目配せしてくる。
「まあ、それも一つの読み方だとは思うけど」
「2巻を読んでみなさいっって。あまりいい思い出のないピッチャーの母校との練習試合が始まるのが2巻ね。いよいよ愛は試される。まず前巻から引き続き主人公側のバッテリーの愛の駆け引きがおもしろい。それは、かつての母校の連中よりもピッチャーを愛しているという攻撃なんだね。おまえを捨てた男に見せつけてやろうぜ、って。だから、一時は主人公側の愛が勝っている。そして、途中、相手チームもまたピッチャーに愛を高らかに歌い上げ奮起する。「お前は三橋より上だ! 今日勝てばそういうことになるんだな!」と疑心の念を断つまでのチーム内の葛藤がいいんだなあ。これは愛なんだなあ。この巻の最後では、今度はキャッチャーのかつての恋人、じゃなくて、投手が現れ、新たな愛の試練がフフフフフ」
語尾を笑み曲げてニンマリ。人によってはちょっと嫌な感じに思えるかもしれないが、最近の僕はそうでもなかった。
「三田紀房『クロカン』全27巻、日本文芸社、ニチブンコミックスでは、高校球児たちを引っ張っていく監督という達観した立場が描かれているんだけど、そのガキどもを気持ちを惹き付けるために引いたり押したりするやり方が強引でおもしろいわけね」
『クロカン』の劇中で使用されている通りに、加藤香澄は、ガキども、と忠実に言った。そうしなければ気がすまない性質なのだろう。
「時には“マシーンになれ”と盲信を強要したり、時には“パンツまで濡らせ”と意味不明な発言をして自立を促したり。で、それはやがて対戦する他校との思想対立に発展するわけ。マンガってのは得てして観念的な勝負になるもんなんだけど、実際に試合をしているのは高校生なのにこのマンガで勝敗を別けるのは、どちらかの監督の強い意志!に行き着く。「ちがう・・・完璧さの到達点にしか勝利はあり得ないんだ」「試合中にミスは必ずある 要はいかにそいつを取り返して倍にして結果を出すかだ・・・」「ちがう・・・ちがう! 最初からミスを容認する姿勢は間違ってる!運任せのギャンブルに頼っていては高いレベルでは絶対に勝てない!」「運だけじゃねえ! そこには必ず選手の気持ちが込められているんだ!」「気持ちにも確実な技術の裏付けがあってのことだ!」「技術を引き出すには自信を心の中に持つのが先だ!」といった感じで野球哲学問答に勝利した監督のチームが勝つって寸法」
「あー、いや、加藤さん、悪いんだけど、まだ途中までしか読んでないんだよね。第二部途中からちょっと辛くて」
「な、そ、そんな」
加藤香澄は、一度言葉を詰まらせて、
「読書百遍義自らあらわる!でしょうが!」
と言っている意味はわからないが頭から湯気を立てる勢いだ。
「それでちょっと裏切られた気分んんんんんんん」
「悪い悪い」
僕は軽口を叩きながらも、ちょっと嬉しい気もした。いや、怒られることが嬉しいのではなくて、怒り出すくらいこの共有した時間に熱心なことが。なんちゃって。
「じゃあ、新刊のひぐちアサ『おおきく振りかぶって』2巻、講談社、アフタヌーンKCの方は読んできたわけ? これは、観念的野球を極めた『クロカン』以降の作品、っていうことをわかってて読むとまたおもしろいと思うんだ。こっちは、同じ高校野球でも、ピッチャーとキャッチャーの夫婦関係がメインなんだけど、『クロカン』同様、ピッチャーのモチベーションを引き締めるために引いたり押したりするシーケンスが小気味いいわけなの。まあ、そこら辺も『クロカン』を引き継いでいるんだけど、さらに『クロカン』の核の部分である“観念的野球”も継承している。とはいえ、そのまま受け継いでいるんじゃなくて作者の中で新しく解釈してるんだけど、わかるかな?」
と問いかけながら、当然僕の応答を待つまでも無く間髪居れず、
「そのものズバリ、愛! 心に愛がなければ、の愛ってやつ。『クロカン』では教育論や人生哲学による問答が勝敗を決していたんだけど、それに対して『おおきく振りかぶって』では、愛。ピッチャーへの愛が深い方が勝つ世界律なんだなあ」
自分で答えを先に言っておいて、わかる?わかる?と目配せしてくる。
「まあ、それも一つの読み方だとは思うけど」
「2巻を読んでみなさいっって。あまりいい思い出のないピッチャーの母校との練習試合が始まるのが2巻ね。いよいよ愛は試される。まず前巻から引き続き主人公側のバッテリーの愛の駆け引きがおもしろい。それは、かつての母校の連中よりもピッチャーを愛しているという攻撃なんだね。おまえを捨てた男に見せつけてやろうぜ、って。だから、一時は主人公側の愛が勝っている。そして、途中、相手チームもまたピッチャーに愛を高らかに歌い上げ奮起する。「お前は三橋より上だ! 今日勝てばそういうことになるんだな!」と疑心の念を断つまでのチーム内の葛藤がいいんだなあ。これは愛なんだなあ。この巻の最後では、今度はキャッチャーのかつての恋人、じゃなくて、投手が現れ、新たな愛の試練がフフフフフ」
語尾を笑み曲げてニンマリ。人によってはちょっと嫌な感じに思えるかもしれないが、最近の僕はそうでもなかった。