『今日もみんなで良いモノつくります!』

『経営について』の考え方と従業員の『究極のモノづくり』に挑戦する姿を伝えたいと思います。

『トヨタ生産方式(TPS)』について

2007年01月06日 | 経営の事
新 年 明 け ま し て お め で と う ご ざ い ま す!
本 年 も 宜 し く お 願 い 致 し ま す。

新しい年が始まりました。
本年も、皆様方のこの新しい一年が実り多き年で有りますよう祈願しています。

弊社は、昨年、将来に向けての事業展開の仕込みが出来た充実した一年でした。
今年は、それを成果に結び付けて、一つ一つ引き出して行く一年として、みんなで力を合わせて頑張って行きたいと思います。

今回久しぶりの‘ブログ’になり、新年も明けましたので、私達ち‘モノづくり’の企業にとって‘モノづくりのシステムとその精神’が結実しているトヨタのモノづくりの‘生産方式’について、新春を祈念して書きたいと思います。

私は、モノづくりの全てが『‘トヨタの生産方式(TPS)』の中に、その‘システム’と‘モノづくり精神’がある様な強い印象を抱いています。妥協をしない『トヨタのモノづくり』は、その‘生産方式’が脚光を浴びていますが、私は‘トヨタのモノづくり精神’の源流そのものに関心があり、その‘精神’が生まれる‘動機’‘瞬間’を見たいと思っています。

‘個人’でも‘企業’に於いても‘相手’に対して、あるいは‘市場’‘顧客’に対しての行動に、はっきりとした強い「メッセージ」が込められているかどうかが、常に問われていると思います。そして、その「メッセージ」の精神の発露(あらわれ出ること)する衝動が大切ではないかと思います。それをトヨタは大企業でありながら「モノづくり」に於いて、経営のトップから末端の現場の社員まで、そして系列の企業の現場まで、実際の‘モノづくり’の面からも、そして、その‘精神的活動’の面からも(書籍から知る限りですが)、完璧に表現、実行され、今現在も日々進化発展を続けています。それらを代表する言葉として‘ジャスト・イン・タイム’‘カンバン方式’‘現地現物主義(百聞は一見に如かず)’などが良く知られています。
今日は、このブログで‘トヨタの生産方式’それ自身について語るつもりはありません。先程申し上げました、このシステムが生まれる瞬間に、それでは、今日は立会って見たいと思います。

グローバル競争の中では、弊社の様な零細企業でも、この‘トヨタの精神と生産システム’を正しく、そしてその‘真の意味’を理解しておく必要があります。
なぜトヨタが‘最強のモノづくり企業’として、その地位を確立して来たのかを学ぶ必要があると言う事です。私がここで説明するまでも無い事かも知れませんが、私自信の確認のために少しだけ記述して置きたいと思います。

トヨタは、豊田佐吉翁の豊田自動織機製作所の自動車部として、豊田喜一郎氏が発足させます。

【早速、余談ですが、本田宗一郎氏はその下請けとしてピストンリングを納めていたそうです。後に豊田自動織機製作所にその会社を売却し、本田技研工業を興します。また、宗一郎氏の右腕だった藤沢武夫氏を紹介したのは、トヨタの中興の祖と呼ばれる石田退三氏だそうです。驚く事に、宗一郎氏は藤沢氏が本田技研に入社した日に、まだ1~2回しか会った事のない人間をその日から専務として迎え、会社の実印を渡して経営と経理面の一切を任せています。宗一郎氏は名目上の社長となり、藤沢氏が事実上の社長となります。宗一郎氏は世界に負けないモノづくりが出来る自信(技術)があり、一方、藤沢氏は売るモノさえあれば、世界を舞台に売ってみせる自身がありました。そして、これにも驚きますが、藤沢氏の入社の条件が、社長にしてくれるなら入社すると言う条件でした。それで、先に書きました実印を渡す事で、その約束を果たします。この時、藤沢氏は衝撃を覚えたと言っています。まさか本当に其処までしてくれるとは思っていなかったからです。本田氏も藤沢氏も、互いに一目ぼれしたんだと思いますが、それが確認された瞬間だったと思います。今のホンダがあるのは当然の事の様な気がして来ます。】

トヨタは、戦前、戦後を通して2度の経営危機に陥ります。これを、偶然にも戦争(日中戦争・朝鮮戦争)の特需で乗り切ります。この2度の経営危機の経験から「自分の城は自分で守る(自前主義)」と言う強いDNA(遺伝子)の基が生まれます。‘武士の一分’(映画見ました。シンプルでした。)の様な覚悟がここにはあります。ここは、事業をやって行く上で重要なポイントだと思います。

石田退三氏は、トヨタの経営危機の際に累積赤字がさらに蓄積し、銀行に融資を断られたと言う苦しい思い出があり「自分の城は自分で守る」ために、内部留保をとことん増やして自前資金で必要なモノを調達するやり方をして行きます。石田氏はムダを嫌い、無駄なお金は一切使わなかったそうです。経営危機の際、東海銀行と三井銀行が支援してくれた反面、住友銀行は真っ先に融資の回収に走ったため、石田氏は住銀との取引を終生(現在はどうなっているんでしょうか?)許さなかったそうです。これが、徹底的に‘ムダ’を取り除いて行く‘トヨタ生産方式’の精神的な‘DNA’が出来上がった時期ではないかと思います。
本当に苦しい思いをしなければ‘徹底的’‘妥協しない’と言う強い‘DNA’は育まれない、継承されて行かないと思います。システムではなく、精神そのものを理解し、学ばなければ、自然に何処かで‘ほころび’が生じ、形骸化したルールだけが残ってしまうのではないかと考えます。そして、その‘理念’がどうして生まれるのか、その発露する瞬間を確認する事が大切なのではないかと思います。ここでトヨタの‘モノづくりの理念’を見たいと思います。

トヨタの‘モノづくりの理念’は、自動車部そのものが発足する時に既にあります。創業者の豊田喜一郎氏は「大衆の足」「庶民の足」としての自動車を世に出し、自動車社会の到来を夢見たと言います。まだ当時の自動車は一部上流階級の娯楽的な要素もありました。これを「大衆の足」として自動車を解放させたかったと言う‘理念’が、ここで‘DNA’として発露します。しかし、喜一郎氏が存命中は実現しませんでした。これは「夢」を共有した石田退三氏に、強い意志・使命として受け継がれて、彼がトヨタの再建を成し遂げた後に、「大衆車」の開発に情熱を注ぎます。石田氏は性能を維持しながら小型化、低価格化を目指した開発を精力的に指示します。そして石田氏は社長を退き、喜一郎氏の長男・章一郎氏にバトンを渡したその年の1961年に「パブリカ(PublicとCarを掛け合せた造語)=まさに大衆車と言う意味」を販売します。販売的には成功はしませんでしたが、「大衆(庶民)の足」としての、トヨタの車づくりの方向性・ベクトルが明確に示されました。この5年後に「パブリカ」の発想を焼き直した新しい車、「カローラ」を世に送り出します。ご存知の様に、日本史上もっとも売れた車となります。

ここに、豊田喜一郎氏の‘夢’が石田氏、そして章一郎氏を通して結実し、戦前の1936年に日本初の本格的な乗用車・AA型を発売してから30年の歳月を要した事になります。喜一郎氏の『自動車に本当に必要な性能は何か!』と問い続け求めたものがここに実現しました。喜一郎氏のこの‘思い’と言うのは、‘ヘンリー・フォードのフォードT型’‘フェルディナンド・ポルシェのフォルックスワーゲン・ビートル(かぶと虫)’も大衆の足として開発された車で、これらに相通じる理念と言われてるそうです。この頃、アメリカのデトロイトではビッグ・スリーが毎年モデルチェンジを繰り返して、「大きさ」「速さ」「パワー」「派手さ」「真新しさ」「無駄な装飾」を競っていました。喜一郎氏が『自動車に必要な性能は何か』と問い続けた車とは正反対の大型化へと向かい、「理念なき経済」を競い合っていました。
一方、トヨタは‘小型化’‘低価格’を目指しました。
この成果は、今の「プリウス」に見事なまでに結実しました。今のプリウスは初代プリウスと比較して、性能で35%アップ、エンジンの大きさは2分の1に小さくなり、製造コストは何と3分の1になっているそうです。ハイブリッド車を発売するだけでも、大変な事ですが、外見はあまり変化していない様にしか見えない「プリウス」の中身が、こんなに劇的な変化をしているなどとは知る由もありません。
本を読んでみて分かった事なんですが、『トヨタ』とはそんな企業だと言う事です。この劇的な進化を誰に強調する訳でもなく、平然と何事も無い様に世の中に送り出しています。

ここ最近、新聞等のマスメディアでは、GMを抜いて世界一の車メーカーになると盛んに囃す様になりましたが、これは目標としてではなく「理念」を「ビジネス・コンダクト・ガイドライン(企業行動倫理基準)」を追求して来た過程での、トヨタにとって、一つの出来事にしか過ぎない様に思えて来ます。こうして「トヨタ」と言う会社を考察すると、まるで偉大なる零細企業の様に見えて来ます。彼らが実行している事は、弱者の様な泥臭い‘モノづくり’を合理的に管理し、徹底している事です。トヨタ生産方式は‘ベスト・プラクティス(最良の事例)’を吸収して進化しています。

トヨタの基本理念は、‘豊田綱領’(昭和10年10月30日)から‘トヨタウエイ2001’(The Toyota WaY)へと受け継がれました。トヨタは‘モノづくり’の全ての面に於いて、先取りをしている様に見えて来ます。トヨタが最強である‘証’とでも言いましょうか、以下その事例です。

例えば、「コストダウン」「ムダ取り」「自工程保証」「オリジナリティの追求」「挑戦(チャレンジ)」「長期的視野」「多品種小量生産」「ジャスト・イン・タイム(見込み生産の排除)」「カンバン方式」「多能工化」「ジョブ・ローテーション」「U字レイアウト」「平準化生産」「タクトタイム」「アンドン」「カイゼン」「5S(整理・整頓・清掃・清潔・躾)」「革新」「人材尊重」「環境対応」「循環型社会対応」「安全」「安心」「現地現物主義」「モノづくりは人づくり」「ミックス生産(混流1個流し)」「標準化」「3R」「5R活動」「7大ロス削減」「5回のなぜ?」「ブラックボックスの排除」「設備第一主義」「フリー・キャッシュフローの追求」「本業第一主義」「見える化」「コア・コンピュタンス/Core Competence(競争力の中核の強化)の追求」「自前主義」「同時開発」「部門横断」「包括的コスト削減」「総原価低減活動」「調達ポリシーの確立」「世界最適調達(グローバルソーシング/WARPの構築)」「コーポレート・ガバナンス(Corporate Governance/企業統治)」「ダイバーシティ・プロゼクト」「プロダクト・イン」「マーケット・イン」「カスタマー・イン(顧客対応ジャスト・イン・タイム)」「デザイン・イン」「コンセプト・イン」等など、これ以外にトヨタが組織を挙げて取り組んでいる事例はまだまだ沢山あると思いますが、これ等は、如何に‘より良いモノ’を、早く安く、またムダなく作るかに繋がって行きます。既に、1938年に‘ジャスト・イン・タイム’は創設者の豊田喜一郎氏が提唱した思想だそうです。この柱は、大野耐一氏が精力的に展開した‘カンバン方式’(←後工程引き取り方式を実践するためにカンバンが道具として考案)で具現化され受け継がれて行きます。
【余談】当時、10年も先を行くと言われた米ビッグ・スリーに、3年で追いつけと言う‘ミッション’を豊田喜一郎氏から社長を引き継いだ石田退三氏は、現場の指揮を大野耐一氏に任せ、そこで生まれたのが、無駄を徹底的に排除する・無くする意識でした。ここに、トヨタ式「カイゼン」の哲学が・魂が生まれた瞬間でした。今も‘乾いた雑巾も時が経過すると湿って来る、だからまた更に絞る’と言う飽くなき‘カイゼン’が繰り返されています。

トヨタが最強である理由が誰でにも分かる事例を挙げて見ましたが、我々が「トヨタ生産方式」を導入すると言う事は、意を決して導入しなければなりません。システムだけを取り入れ様とすると失敗をし兼ねません。
先ずは、時間を掛けて‘モノづくりの精神’を従業員全員で勉強会を重ねながら、理解して、出来る事から始めて行ければ良いと思っています。要するに、全てに於いて‘理念’を良く理解してからでないと『取り扱い注意』と言う事です。組織が混乱する事になります。処方箋を良く読んでから薬を飲むか、医師の診察を受けてから飲まないと、自分勝手に間違って飲んでしまうと、逆に体調不良を起こしてしまう様なものだと思います。

トヨタは‘モノづくり’だけではなく、企業活動として全てに労力・コストを割いた上で、強い会社、尊敬される会社、良き企業市民として、今まさに、どっぷり和風企業のトヨタが来期GMを確実に抜いて、世界のトップに立とうとしています。
アメリカの企業でもなく、日本のモノづくりの企業が世界の製造業のシーンの中で、トップに立つ事を祝うと言う意味も、今回のブログにはありました。トヨタの‘モノづくりの精神’が発露する瞬間を記述出来たかどうかは分かりませんが、その思いが少しでも伝わってくれたら幸いです。

本年も‘応援’を下さいます様、宜しくお願い致します。
また、その期待に応えられるように頑張りたいと思います。

           ❝今年も従業員みんなで元気一杯に良いモノつくります❞

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