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身近な自然や社会との関わりを通して、マイペースで、新たな自分探しに挑戦しながら、セカンドライフ、スローライフを楽しむ。

那覇の歴史・文化を学ぼう!…「ガジャンビラ」「落平」「ガーナー森」

2014-04-16 | 文化

 「ガジャンビラ」は、那覇市垣花町、国道331号線山下高架道わきの旧道、港側にあります。高架道向かいに、「沖縄通関社」などが見える場所です。説明板付近から、那覇港を見渡すことができました。

01-0311 ガジャンビラ

「ガジャンビラ…ガジャンは「蚊」、」ヒラは「坂」の方言です。昔、中国から持ち帰ったブンブンと歌う珍(めず)しい虫(蚊、か)をこの坂で逃(に)がしてしまったことからついたと言われています。」

02-0413 ガジャンビラ

03-0412 ガジャンビラ

「ガジャンビラ(那覇市垣花町3丁目)…那覇垣花(なはかきのはな)から小禄安次嶺(やろくあしみね)にいたる坂道の名称。付近一帯を指す地名にもなっている。琉球王国時代、中国からの使節(冊封使)は、この地をさして『儀間山(ぎまやま)』・『筆架山(ひつかざん)』と記しているが、1877年(明治10)刊行の『沖縄志』(伊地知貞馨著)の那覇港図には、『蚊坂(ガジャンビラ)』とあり、ガジャンビラと呼ばれていたことがわかる。 名称の由来は定かではないが、『南島風土記』(東恩納寛惇著)は、坂の付近に住む人名または屋号をとって、『我謝の坂(ガジャヌヒラ)』から転訛したものではないかと記している。一方、那覇の民話は『昔、中国から持ち帰ってきた蚊が、この坂の上で逃げてしまい、ここから琉球国中に広まった』と、伝えている。 1905年(明治38)に始まった垣花と糸満(いとまん)村を結ぶ県道工事により、ガジャンビラの坂道は整備され、1918年(大正7)には馬車軌道も敷設された。坂の両側や付近の丘陵には松が生い茂り、また、坂の頂上からのすばらしく、眼下に見下ろす那覇街並みは、絵画や絵ハガキの題材にもなっている。 沖縄戦の後、坂一帯は米軍基地となったが、1972年(昭和47)の日本復帰後、ガジャンビラを含む旧県道は、那覇糸満間の幹線道路国道331号線として整備された。1984年(昭和59)には国道331号線山下高架道開通により、ガジャンビラの一部は旧道となった。 設置 2003年3月 那覇市市民文化部歴史資料館」

04-0412 ガジャンビラ

05-0412 ガジャンビラ

06-0412 那覇港方面

07-0412那覇港方面

08-0412 国道331号線山下高架道

 「落平」は、那覇市山下町の「沖縄県住宅供給公社」入口右手、道路側にありました。道向かいには、「沖縄セルラースタジアム那覇」がある場所です。

09-0311 落平

「落平(ウティンダ)…『昔』は那覇の井戸(いど)は塩辛(しおから)水で飲料水には使えませんでした。そこで、対岸の落平(ウティンダ)より湧き出る水を、水桶(ハジ)を積んだ伝馬船(でんません)で那覇に運び売り、飲み水として歩く『水売り』が見られました。」

10-0413 落平

11-0413 落平

12-0413 沖縄県住宅供給公社

13-0413 沖縄セルラースタジアム那覇

 「ガーナー森」は、「沖縄県立小禄高等学校」のすぐ側にある丘です。「ゆいレール」奥武山公園駅の近くで、「焼肉屋の駐車場」に隣接しています。近くには、「鏡原保育園」「那覇市療育センター」などがあります。

14-0311 ガーナー森

「ガーナー森(ムイ)…『昔』は離(はな)れ小島だったガーナー森(ムイ)を中国から来た冊封使(さっぽうし)たちは、その形から『鶴頭山(かくとうざん)』とよび、周辺は漁舟夕照と詠まれ漁船が夕日に照らされ風景の美しい名勝地でした。ガーナー森の名は、その小島が、ガーガーとうるさい鵞鳥(がちょう)が棲(す)んでいたのでついたとか、タンコブ(ガーナー)のようだからついたなどといわれています。また、ナハキハギの群生(ぐんせい)する最北の地として那覇市の天然記念物に指定されています。」

15-0413 ガーナー森

16-0413 ガーナー森

「ガーナー森(ムイ)那覇市指定文化財 名勝・天然記念物 指定 1974年(昭和49)年12月2日…昔の写真を見るとガーナー森は、国場川河口(漫湖、まんこ)の中にある小さな島でした。現在の国場川(こくばがわ)河口周辺は大半が埋められてしまい、ガーナー森も地続きになっています。かつて、奥武山(おうのやま)からガーナー森にかけての景色は、名勝地として有名でした。 この森にはナハキハギが群落をなして生育しています。ナハキハギは、アフリカ・オーストラリア・インド・東南アジア・太平洋諸島・中国大陸・台湾などに分布するマメ科植物です。沖縄県では、西表島、石垣島、沖縄島などの海岸に生育しています。沖縄島はナハキハギの北限地になっています。 尚敬(しょうけい)王の冊封副使(さっぽうふくし)の徐保光(じょほこう、1719年来琉)は、那覇港から国場川河口にかけての景色の良さを『漁舟夕照(りょうしゅうせきしょう)』とほめています。また、尚温(しょうおん)王の冊封副使李鼎元(りていげん、1800年来琉)も、2度奥武山に遊びガーナー森を『鶴頭山(かくとうさん)』と詠んだ詩を残しています。 ガーナーとは、『たんこぶ』のことです。形が似ていませんか。また、ガチョウもガーナーというようです。このガーナー森と真玉橋(まだんばし)についての話も残っています。この森は歴史的にも名勝として知られ、ナハキハギの群落のある大切な記念物です。 那覇市教育委員会 平成14年3月設置」

17-0413 ガーナー森

18-0413 ガーナー森入口

19-0413 ガーナー森参道

20-0413 ??

21-0413 ガーナー森御嶽神

22-0413 周辺拝所

23-0413 隣接する焼肉屋駐車場

24-0413 小禄高等学校のすぐ側

25-0413 鏡原保育園、小禄高等学校

参照(沖縄県立小禄高等学校 http://www.oroku-h.open.ed.jp/

参照(鏡原保育園❘沖縄県那覇市 http://www.ans.co.jp/u/kakinohana/kyohara/index.html

参照(障害児通所支援事業所一覧  那覇市 Naha City http://www.city.naha.okinawa.jp/kakuka/kodmomirai/ryoiku/

26-0413 周辺道路


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