結~つなぐ、ひらく、つむぐ~

身近な自然や社会との関わりを通して、マイペースで、新たな自分探しに挑戦しながら、セカンドライフ、スローライフを楽しむ。

赤田のみるくウンケー…那覇市首里赤田町自治会

2018-09-04 | 文化

 8月19日(日)に催された「赤田のミルクウンケー」の様子です。

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首里殿内跡(シュンドゥンチアト)

 琉球王国時代の高級女神官の一人「首里大阿母志良礼(シュイウフアムシラレ)」の神殿及び住居跡。

 尚真(しょうしん)王代(1477~1526年)に琉球王国の神女組織が整備され、最高女神官「聞得大君(きこえおおきみ)」の下に首里(シュイ)・真壁(マカベ)・儀保(ジーブ)の3人の「大阿母志良礼(ウフアムシラレ)」が置かれた。3人の「大阿母志良礼」は、聞得大君を補佐して国王の長寿・国の繁栄・五穀豊穣(ごこくほうじょう)・航海安全を祈願するほか、琉球国中の御嶽(ウタキ)・神女(しんじょ)(ノロ)を3分割して所管した。

  「首里大阿母志良礼」は、首里の南風之平(フェーヌヒラ)等(現大中(おおなか)・桃原(とうばる)・当蔵(とうのくら)・赤田(あかた)・崎山(さきやま)・鳥堀(とりほり)町地域)をはじめ、斎場御嶽(セーファウタキ)や久高(くだか)島のある知念間切(ちねんまぎり)、尚円(しょうえん)王統初代の尚円ゆかりの伊是名(いぜな)島など、王国祭祀で重要な地域の御嶽や神女(しんじょ)(ノロ)を管轄した。

 1879年(明治12)の沖縄県設置後、首里・真壁・儀保の3つの殿内の神殿は天界寺(ティンケージ)跡の一角に移され、1つの建物にまとめられて「三殿内(ミトゥンチ)」と呼ばれた。首里殿内跡は大正初期に払い下げられ、敷地の一部は赤田倶楽部(くらぶ)(公民館)となり、1921年(大正10)に結成された首里三箇(サンカ)(赤田・崎山・鳥堀町)の中学生会「三星会(さんせいかい)」の集会所としても利用された。

 赤田町には旧暦7月16日に弥勒(みろく)神が町を練り歩く「ミルクウンケー」という行事が古くから伝えられ、この行事を歌ったわらべ歌「赤田首里殿内(アカタスンドゥンチ)」は広く親しまれている。

 那覇市首里赤田町2-16

2004年(平成16)3月設置。平成15年度世界遺産周辺整備事業。モノレール首里駅より徒歩約6分。赤田クラブ前。           

 那覇市歴史博物館(http://www.rekishi-archive.city.naha.okinawa.jp/archives/site/%E9%A6%96%E9%87%8C%E6%AE%BF%E5%86%85%E8%B7%A1

 赤田首里殿内(あかたすんどぅんち)は、現在の沖縄県那覇市首里赤田町において、琉球王朝時代から石川家を中心に行われてきた祭礼「弥勒御迎(みるくうんけー)」で唄われていた童歌。昭和初期に途絶えていたが、1994年(平成6年)に復興された。現在では沖縄民謡曲として三線と一緒に歌われたり、沖縄都市モノレール(ゆいレール)の首里駅の案内音声にオルゴール音に編曲されたものが用いられたりと、今なお沖縄県で親しまれている。八重山で歌い継がれている弥勒節の一つ。

 NHK教育テレビの子供向け番組『にほんごであそぼ』でも全国に伝わる童歌の一つとして放送されている。ちなみに、この歌のビデオのロケは歌の舞台となった首里ではなく石垣島で撮影された。

 沖縄地方に点在する「弥勒」信仰自体は、各地で独特の習わしに従い、行われているものであった。そしてそれは、本来的な弥勒信仰とは異なり、沖縄古来の土着の信仰である「ニライカナイ」や豊穣祭などといった様々な祭礼と弥勒信仰が混ざり合ったものであり、現在でも沖縄地方における弥勒信仰の体系だった研究は沖縄学の重要な分野の一つである。例えば以下に示す「だいこくの弥勒」を取り挙げると、首里地区における弥勒信仰がどこから伝わったもので、正確にどこを指すものなのかについては、幾多の説があり明らかとはいえない。更に、「弥勒の『世果報』」を期待することを歌い上げてはいるが、赤田町や他の沖縄地方の「弥勒迎け」においては「布袋」の仮面が使用されている。

 この「赤田首里殿内」の唄は、その各地で行われていた弥勒節の一つであり、首里城下町である赤田地区において、その祭礼において唄われていたものの一つである。旧暦の7月16日に行われていたが、現在は旧暦の7月16日に近い日曜に行われている。

赤田首里殿内 – Wikipedia

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B5%A4%E7%94%B0%E9%A6%96%E9%87%8C%E6%AE%BF%E5%86%85


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