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身近な自然や社会との関わりを通して、マイペースで、新たな自分探しに挑戦しながら、セカンドライフ、スローライフを楽しむ。

百名公民館、焚字炉、ザズンの殿、奥武島海岸…歴史と文化・観光の道

2014-09-21 | 観光

 南城市玉城垣花方面から奥武島に向かう途中、「百名総合交流拠点施設(百名公民館)」に立ち寄りました。入口に、「焚字炉」の案内板があります。

01-0921-1433 歴史と文化・観光の道

02-0921-1437 百名公民館

03-0921-1430 焚字炉

04-0921-1430 焚字炉

「焚字炉 南城市有形文化財(建造物)…フンジロウ(フンジルー)または惜字炉(セキジルルー)ともいいます。文字の書かれた不用紙を焼くための炉で、19世紀中頃に中国から敬惜字紙の風習が伝わったものです。一説によると、冊封使の「林鴻年(りんこうねん)」が字紙を路上に捨てずに敬うことを説き、この紙片を大切に扱わせるため炉を設置し、これに入れて焼くことから始まったといわれています。 字百名の焚字炉は明治自体に造られ、国道沿いにあったものが移転されたものです。高さが114cm、幅は72cmあって四枚の石灰岩の平石を組んで造られており、前に長方形の紙を入れるための穴と、後方には排煙のための円形をした穴が開けられています。 平成6年2月23日指定 沖縄県南城市教育委員会

 琉球石灰岩で造られた「焚字炉」の側に、「大城ガー」や「ちんたかー之御嶽」の祠がありました。公民館敷地内では、「東屋」で休憩することができます。東屋の近くに、「ザズンの殿」が建てられていました。公民館に隣接している「百名小学校」では運動会が行われているようでした。

参照(百名小学校 http://www.edu.city.nanjo.okinawa.jp/hyakuna/index.html

05-0921-1431 大城ガー

06-0921-1431 大城ガー

07-0921-1432 焚字炉

08-0921-1442 焚字炉

09-0921-1432 ちんたかー之御嶽

10-0921-1438 東屋、ザズンの殿

11-0921-1435 ザズンの殿

12-0921-1436 ザズンの殿

「ザズンの殿(どぅん) 一九九四年(平成六年)七月復元…この社殿(しゃでん)は玉城村百名の拝所(はいしょ)『ザズンの殿』です。古くは『ヂャチュンノ殿』『茶屯の殿』とも書かれました。殿は御嶽(うたき)の山に鎮座(ちんざ)する祖先神(そせんしん)を村落内にお招(まね)きしておもてなしをする祀(まつ)りの場所です。昔から毎年旧暦二月三日の麦のウマチー(穂祭、ほまつり)と五月六月の稲のウマチー(穂祭)に玉城ノロの主宰(しゅさい)で村人(むらびと)がうちそろって盛大な祭祀(さいし)を催(もよお)し、村建て(むらだて)の神様に感謝をささげ、農作物の豊作を祈願しました。社殿には火ヌ神(ひヌかん)が祀ってあります。この火ヌ神から各家庭に火種(ひだね)を分ける行事も行われたといわれます。大正・昭和時代になると国の一村一社の方針で、殿はお宮とか郷社(ごうしゃ)とか呼ばれるようになりましたが、おしくも去る大戦で破壊(はかい)されてしまいました。現在の殿社は、百名区民の心を一つに結ぶ聖地(せいち、シンボル)として大事に崇(あが)め区民の文化財として末永く受け継(つ)がれることを願って復元(ふくげん)されたものです。 玉城村字百名」

 公民館敷地内はきれいに整備され、「サンダンカ」「ハイビスカス」「リュウキュウコクタン」などが植栽されていました。敷地内の一角に、「石獅子(?)」らしいものがありました。

 公民館を後にして、奥武島に向かう途中、道路脇に、「拝所」を見つけました。

 奥武島沖は、台風接近の影響で、波が高くなっていました。島をぐるっと廻っているとき、絶景ポイントを見つけました。木々の間から、奥武島沖を眺めることができます。ゆっくり下りていくと、その先で、2人の男性が魚釣りをしていました。

13-0921-1439 石獅子(?)

14-0921-1444 リュウキュウコクタン

15-0921-1443 リュウキュウコクタンの実

16-0921-1441 ハイビスカス

17-0921-1443 ハイビスカス

18-0921-1448拝所?

19-0921-1521 奥武島海岸

20-0921-1521 奥武島海岸

21-0921-1526 奥武島海岸 絶景

22-0921-1527 奥武島海岸

23-0921-1531 奥武島海岸


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