結~つなぐ、ひらく、つむぐ~

身近な自然や社会との関わりを通して、マイペースで、新たな自分探しに挑戦しながら、セカンドライフ、スローライフを楽しむ。

琉球の王朝の国劇・組踊の創始者「玉城朝薫」の墓

2014-01-21 | 文化

 浦添市前田にある、「玉城朝薫の墓(辺土名家)の墓」を訪ねました。「前田トンネル」のすぐ近くで、道向かいに、「沖縄国際センター JICA沖縄 (http://www.jica.go.jp/okinawa/)」があります。道路を作る際、丘陵上に文化財などがあると、トンネルを作り、文化財を保護するのです。以前から、「前田で、道を開くのに、丘を切り取らず、トンネルにしているのはなぜだろう?」と思っていましたが、「玉城朝薫の墓の墓」を訪ねることにより、「そうだったのか」と納得しました。

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前田トンネル

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トンネルを抜けると

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左手に「玉城朝薫の墓」が見える

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階段を上る

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「玉城朝薫(たまぐすくちょうくん)の墓(辺土名家の墓)…辺土名家は、玉城間切(まぎり)の総地頭職をつとめた家柄で、同家十代目の玉城朝薫は、琉球の王朝の国劇・組踊(くみおどり)の創始者として知られています。朝薫は、首里王府の踊奉行(おどりぶぎょう)をつとめ、琉球の故事(こじ)と江戸上(えどのぼ)りの際に見た能楽(のうがく)・狂言(きょうげん)・歌舞伎(かぶき)をもとに、組踊五番と呼ばれる『二童敵打(にどうてきうち)』『執心鐘入(しゅうしんかねいり)』『銘刈子(めかるしー)』『女物狂(おんなものぐるい)』『孝行(こうこう)の巻』を創作しました。この墓は、墓室の天井を四本の柱で支える形式で、墓の前庭の石垣は撥形(ばちがた)に開いています。十七世紀後半に造られたと推定されています。十七世紀後半から十八世紀前半に中国の影響を受けて亀甲墓(かめこうはか)が成立していく時期の特異な構造をしています。史跡指定 平成七年8月8日 浦添市教育委員会」

 下記のサイトは、「ようこそ組踊へ」「組踊の歴史」「組踊の演出」「演目鑑賞」「組踊を楽しもう」の5つのコンテンツで構成され、玉城朝薫や組踊についての理解を深めるのに役立ちます。

参照(組踊の歴史 http://www2.ntj.jac.go.jp/dglib/contents/learn/edc19/rekishi/index.html

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墓に向かう

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沖縄国際センター

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浦添警察署方面への道路

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丘陵に浦添グスクが見える

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浦添警察署方面への道路

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首里方面に向かう

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