浦添市伊祖の「浦添の高御墓」と「浦添貝塚」を訪ねました。「浦添の高御墓」は、英祖王の父、恵祖世主(えそよのぬし)と三人の按司が納骨されていると信じられている墓で、国道330号の伊祖トンネル上の崖の中腹にあります。崖下には、約3000年前の貝塚時代前期の遺跡である「浦添貝塚」があります。どちらも、「浦添大公園」の「入口広場」から行くことができます。
近くには、親子で楽しめる「遊び広場」があり、いろいろな遊具が設置され、楽しそうに走り回っている子どもの歓声が聞こえます。
0129-1651-01 入口広場
0129-1616-01 遊び広場
0129-1635-01 伊祖トンネル
参照(浦添大公園の紹介/沖縄県 http://www.pref.okinawa.jp/site/doboku/toshimono/koen/urasoedaikoen.html)
参照(浦添の文化財 http://www.city.urasoe.lg.jp/archive/8761234/bunka/bunka/bunka3.html)
浦添貝塚
0129-1619-01 浦添貝塚
0129-1619-02
「県指定史跡 浦添貝塚…この貝塚は今から3千余年前に住んでいた人々がのこしたものです。貝塚からは石斧(いしおの)、土器(どき)、貝の飾りやたくさんの貝がらなどが発見されています。その頃は山野や海の動植物だけを食料にして生活する原始社会でした。この貝塚から、九州の縄文時代にあたる市来式土器(いちきしきどき)が発見され、また、奄美諸島でよくみられる爪形の模様をもつ土器などもたくさん出土しています。この貝塚は、他の同じ時期の貝塚に比べて、とくに土器の形式が奄美の土器によく似ていることが特色です。このことから、この貝塚をのこした人々の時期や、奄美・九州など北とのつながりがあったことがわかります。なお、この地域において無断で現状を変更することは、条例で禁じられています。 昭和58年3月21日 沖縄県教育委員会 浦添市教育委員会」
伊祖の高御墓
0129-1620-01
0129-1621-01
「県指定有形文化財(建造物)伊祖(いそ)の高御墓(たかうはか)昭和四十七年二月二十五日指定…伊祖の高御墓は、伊祖の北東をほぼ東西に延びる浦添丘陵の石灰岩の中腹北側斜面にある。俗に「タカウファカ」と呼ばれ、英祖王(在位一二六〇~九九年)の父祖、恵祖世主(いそゆぬぬし)の墓として知られている。墓は岩の中腹にある洞穴を利用し、その前面を相方積(あいかたづ)み(亀甲乱れ積みともいう)で積み重ねて塞(ふさ)いだ崖葬(がいそう)墓である。墓口が広く、歴史的に古い形式に属するもので、沖縄における墓の変遷を知る上で極めて貴重な墓である。墓内には石厨子(いしずし)一基と甕棺(かめかん)二基が安置されている。なお、近くには浦添貝塚(うらそえかいづか)があり、貝塚期には岩陰住居(がいいんじゅうきょ)として利用されたと考えられている。昭和四十七年、国道三三〇号(バイパス)建設工事によって存亡の危機にさらされたが、県民の保存運動、関係者の努力によって浦添貝塚とともに保存された。昭和六十一年三月二十五日 沖縄県教育委員会 浦添市教育委員会」
0129-1620-01 伊祖の高御墓へ
0129-1624-01 伊祖の高御墓
0129-1626-01 伊祖の高御墓
0129-1628-02 伊祖の高御墓
1401291629-01 バイパス
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