那覇市泊、「沖縄県立泊高等学校」(那覇市泊3丁目19番地の2)の近くに、「泊外人墓地」があります。古くから、中国人、アメリカ人、イギリス人、フランス人、スウェーデン人などの外国人の墓があった所です。墓以外に、「ペルリ提督の記念碑」などもあります。墓地は現在も利用され、主に米国人が葬られています。墓地の一角には、「ゲットウ」が植栽されていました。
01-0504 泊外人墓地
02-0504 泊外人墓地
「泊外人墓地 那覇市指定文化財 指定:1987年(昭和62)年8月10日…ここには古くから22基の外国人の墓があったので、『ウランダー墓』などと呼ばれていた。その内訳は、中国人(清人)6人、アメリカ人10人、イキリス人2人、フランス・スウェーデン人各1人、不明2人となっている。このうち最も古いのは、中国人(漂流民)のもので墓碑から1718年(康煕57年)~1785年(乾隆50年)の年号が読みとれる。 その後、欧米船の来航があいつぎ、1853年~1854年にかけて5度したペリー提督の従者や、1908年当時沖縄県立中学校の英語教師ヘンリー・モアなど、この地で亡くなった外国人が葬られている。なかでも英国の水兵ウィリアム・ヘアーズの葬儀には、泊住民が惜しみなく協力した。それ故この地は、18世紀以降の沖縄の歴史とその人類愛を地上に印す記念すべき場所である。 なお、この墓地は現在も利用されており、主に米国人が葬られている。その数300余にのぼる。 那覇市教育委員会 平成12年3月 設置」
03-0504 TOMARI FOREIGN CEMETERY
04-0504 泊外人墓地
05-0504 泊外人墓地
06-0504 泊外人墓地
07-0504 泊外人墓地
08-0504 泊外人墓地
09-0504 泊外人墓地
10-0504 泊外人墓地
11-0504 泊外人墓地
12-0504 泊外人墓地
13-0504 泊外人墓地
14-0504 泊外人墓地
15-0504 1853年六月六日ペルリ提督上陸之地
16-0504 1853年六月六日ペルリ提督上陸之地
17-0504 ペルリ提督挨拶
「琉球人の繁栄を祈り且つ琉球人とアメリカ人とが常に友人たらんことを望む 一八五三年六月六日 大美御殿における招宴席上のペルリ提督挨拶」
18-0504 ペルリ提督記念碑
19-0504 ペルリ提督記念碑
20-0504 ゲットウ
21-0504 ゲットウ
22-0504 泊高等学校
参照(沖縄県立泊高等学校トップページ http://www.tomari-h.open.ed.jp/)
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