結~つなぐ、ひらく、つむぐ~

身近な自然や社会との関わりを通して、マイペースで、新たな自分探しに挑戦しながら、セカンドライフ、スローライフを楽しむ。

宮森小学校「仲よし地蔵」「平和の鐘の塔」…うるま市石川

2014-03-11 | 平和

 うるまし石川の「宮森小学校」を訪ねました。事務室で来校趣旨を説明し、教頭先生の許可を得て、校内に設置されている「仲よし地蔵」などを参拝し、撮影しました。石川で生まれ育った私は城前小学校出身で、隣の「宮森小学校」は、戦後、石川学園(現城前小学校)での分校式、命名式後、宮森初等学校として誕生した学校です。

 「ジェット機墜落事故」が起きたのは、小学校6年の時です。給食時間に、廊下にいた数人の生徒が、大声で、「アーッ、落ちる、落ちる」と叫んでいました。ジェット機が、城前小学校の校舎すれすれに飛び、隣の宮森小学校に落ちたのです。墜落直後に、ものすごい音とともに、炎が空高く上り、教科書で見た「原爆」のキノコ雲のようでした。

 しばらくの間は、とんでもないことが起きたということ以外、何が起きたのか全く分からず、ただ、ものすごく不安な状況に包まれていました。そのうちに、いろいろな情報が入ってくるようになり…小学校3年の級友で、宮森小学校に転校したI君も、犠牲になったことが分かりました。

 私たちが小学生、中学生の頃は、少女暴行致死事件等、米軍が関与した事件事故がいくつも起き、納得のいく結論が得られない状況が続いていました。そのような中で、ジェット機墜落事故が起きたのです。

01-0310 校門

02-0310 仲よし地蔵

03-0310 5仲よし地蔵

04-0310 仲よし地蔵

05-0310 仲よし地蔵

06-0310 仲よし地蔵(実篤と書かれています)

07-0310 仲よし地蔵

08-0310仲 よし地蔵

09-0310 ジェット機被災者慰霊像(贈:地蔵像、武者小路実篤)

10-0310 ジェット機墜落事故概況

「概況…1959年(昭和34年)6月30日午前10時40分、嘉手納空軍所属のF100ジェット戦闘機が2時限目終了後の楽しいミルク給食時間に、ここ宮森小学校に墜落、死者は小学生11名、一般の人6名、合計17名、重傷者220名余、住宅27棟、公民館1棟、3教室を全焼、住宅8棟、2教室を半焼させた。 10時36分に整備終了後のテスト飛行で嘉手納を飛び立った飛行機は、一旦東シナ海に向かうが真栄田岬上空でエンジン異常が発生、パイロットは嘉手納に引き返そうとするが、太平洋に向かえとの指示に従い、具志川上空でパラシュートで脱出救助、無人の飛行機はくしくも石川へ向かうことになる。わずか4分間の飛行であった。沖縄においては、第2次大戦後の基地災害では最も大きい事故で、世界の航空史上、まれな大惨事として国内外に大きく報道された。1999年(平成11年)6月30日」

参照(うるま市立宮森小学校_jp- http://miyamori-sho.edu.city.uruma.okinawa.jp/

参照(宮森小学校米軍ジェット機墜落事故 - 公文書館通信 - 沖縄県公文書館 http://www.archives.pref.okinawa.jp/publication/2009/06/post-218.html

参照(映画「ひまわり~沖縄は忘れない あの日の空を~」公式ホームページ http://www.ggvp.net/himawari/) 

11-0310 折り鶴

12-0310 掲示板、平和の鐘の塔

13-0310 平和の鐘の塔

14-0310 平和の鐘の塔

15-0310 平和の鐘の塔

「創立六十周年記念事業 平和の鐘の塔…宮森小学校(みやもりしょうがっこう)は、一九四五(昭和二十)年十月二十二日、石川学園(がくえん)(現城前小学校、しろまえしょうがっこう)における分校式(ぶんこうしき)、命名式(めいめいしき)の後、宮森初等(しょとう)学校としてこの地(ち)に誕生(たんじょう)しました。 設立当初(せつりつとうしょ)から、教育愛(きょういくあい)に燃(も)える保護者(ほごしゃ)、地域(ちいき)そして情熱的(じょうねつてき)な教師達(きょうしたち)により、幾多(いくた)の困難(こんなん)を乗(の)り越(こ)えて、輝(かがや)かしい伝統(でんとう)と校風(こうふう)の樹立(じゅりつ)に努力(どりょく)してきました。 一九五〇(昭和二十五)年七月、石川地区教育委員会(いしかわちくきょういくいいんかい)(当時)主催(しゅさい)による野球大会整備作業中(やきゅうたいかいせいびさぎょうちゅう)の土砂崩(どしゃくず)れ事故(じこ)(児童五名死亡)。一九五九(昭和三十四)年六月、米軍整備不良(べいぐんせいびふりょう)ジェット機墜落事故(ジェットきついらくじこ)(児童十一名死亡、教師二名、児童百五十六名負傷)という二度にわたる悲(かな)しい出来事(できごと)がありました。 あのときから幾年経(いくとせへ)た今(いま)でも悲(かな)しみは癒(いや)されることなく、亡(な)くなった子(こ)ども達(たち)の時間(じかん)は止(と)まったままです。 このたび、創立(そうりつ)六十周年(しゅうねん)という節目(ふしめ)の年(とし)にあたり、宮森小学校のさらなる飛躍(ひやく)と子どもたちの健(すこ)やかな成長(せいちょう)を願(ねが)い、そして、あのような悲(かな)しい事故(じこ)が二度(ど)と起きないよう祈(いの)るとともに、平和(へいわ)の鐘(かね)を打(う)ち鳴(な)らして全世界(ぜんせかい)に恒久平和(こうきゅうへいわ)を呼(よ)びかけるため、平和(へいわ)の鐘(かね)の塔(とう)を建設(けんせつ)しました。 二〇〇五(平成十七)年十月二十二日 うるま市立 宮森小学校 創立六十周年記念事業実行委員会」

16-0310 平和の鐘の塔

17-0310 平和の鐘の塔

18-0310 平和の鐘の塔

19-0310 平和の鐘の塔

20-0310 平和の鐘の塔

21-0310 平和の鐘の塔

22-0310 校舎

23-0310 校舎

24-0310 校舎

25-0310 2mの標識

26-0310 運動場

27-0310 庭園

28-0310 花壇

29-0310 花壇

30-0310 花壇

31-0310 花壇

32-0310 花壇

33-0310 花壇

34-0310 花壇

35-0310 花壇


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