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身近な自然や社会との関わりを通して、マイペースで、新たな自分探しに挑戦しながら、セカンドライフ、スローライフを楽しむ。

大角座、首里支庁跡、龍潭…首里地域の史跡・旧跡

2014-04-21 | 文化

 那覇市首里赤田交差点にある「大角座」は、県道82号線に4本の道が交叉する六叉路の交差点で、方言の「大きな顎」から名付けられた(「大角座」は当て字)といわれています。王国時代、大角座は、首里から与那原、弁ケ嶽方面に向かう三叉路であり、近くには、「東御廻」などに出かけた際の「坂迎」の場所「赤田御待所」がありました。

01-0421 大角座

02-0421 大角座

03-0421 大角座

04-0421 大角座

05-0421 大角座

06-0421 大角座

「大角座(ウフカクジャー)…この地の交差点の通称名称。道が大きくカーブした形状を、大きく張った顎(あご、方言でカクジ)にみたて、『大きな顎(ウフカクジャー)と名付けられたというが、詳細は不明。『大角座(おおかくざ)』はその当て字。 王国時代、大角座は、首里(しゅり)から与那原(よなばる)、弁ケ嶽(べんがだけ)方面に向かう道が分かれる三叉路(さんさろ)であった。大角座からわずかな所に『赤田御待所(あかたウマチドゥクル)』があり、『東御廻(アガリウマーイ)』など遠方に出かけた際の『坂迎(サカンケー)』(迎接、げいせつ)の場所であった。 1879年(明治12)の沖縄県設置(琉球処分)以降に、与那原方面の里道(りどう、現市道鳥堀南線)が開かれ、1933年(昭和8)頃、大角座から汀良(てら)・石嶺町(いしみねちょう)へ伸びる首里2号線(現市道鳥堀石嶺線)が開通した。 1945年(昭和20)の沖縄戦後、米軍により大角座周辺の道が開かれ、その後、県道82号線として整備された。現在、大角座の交差点は82号線に4本の道が交叉する六叉路(ろくさろ)の交差点となっている。 設置 2014年3月 那覇市歴史博物館」

 沖縄県立芸術大学の第二キャンバス入口に、旧首里の行政を担った役所跡「首里支庁跡」があります。琉球王国時代、王都として栄えた首里の役所は、沖縄県設置(琉球処分)後、何度かの変遷を経て、現在は、首里久場川町にあります。

07-0421 県立芸大通り

08-0421 沖縄県立芸術大学

09-0421 沖縄県立芸術大学周辺案内図

参照(トップページ  沖縄県立芸術大学_jp- http://www.okigei.ac.jp/

10-0421 第二キャンバス

11-0421 第二キャンバス

12-0421 第二キャンバス

13-0421 第二キャンバス

14-0421 首里支庁跡

15-0421 首里支庁跡

16-0421 首里支庁跡

「首里支庁跡(シュリシチョウアト)…旧首里の行政を担った役所跡。 琉球王国時代、王都として栄えた首里は、真和志平等(まわしぬひら)、南風平等(はえぬひら)、西平等(にしぬひら)の『首里三平等(しゅりみひら)』と呼ばれる3つの行政区域の総称で、それぞれの平等に役所が置かれていた。 1879年(明治12)の沖縄県設置(琉球処分)により、王家の別邸であった大美御殿(ウフミウドゥン、現首里高校敷地の一部)に首里の仮役所が置かれ、三平等の役所は廃止された。1886年(明治19)頃、首里役所は、円覚寺(えんかくじ)の隣接地(現在地)に移転した。 1896年(明治29)、首里と那覇(なは)に区制がしかれ、1921年(大正10)5月20日、那覇区とともに、沖縄県で初めて市制が施行された。 この間、県庁所在地として政治・経済的に発展した那覇に対し、王国解体後、人口流出が続いた首里では、区域拡張が図られ、隣接する西原間切(にしはらまぎり、現西原町)から平良(たいら)・石嶺(いしみね)・末吉村(すえよしむら)などを編入した。その後も、首里城など王国時代の建造物の国宝指定や、郷土博物館・市立図書館の設置など、首里市は、文教都市としての発展を図り、昭和10年代には、役所名も首里支庁と改めた。しかし、沖縄戦において、首里城地下に日本軍の司令部壕が置かれたため、壊滅的な被害を被った。 沖縄戦後の首里市の復興は、1945年(昭和20)12月14日の首里建設先発隊の派遣に始まり、翌年市役所も再開された(現首里中学校隣接地)。1950年(昭和25)年2月、市役所は中城御殿(ナカグスクウドゥン)跡地南西隅に移転、1954年(昭和29)9月には、那覇市との合併により那覇市に編入され、市役所は、那覇市役所首里支所となった。1966年(昭和41)に首里支所は首里当蔵町(とうのくらちょう、現首里公民館隣接地)へ移転し、2010年(平成22)12月、首里久場川町(くばがわちょう)へ移転した。 戦前の首里支庁跡地は、1950年に開学した琉球大学の体育館敷地となり、琉球大学移転後、1986年(昭和61)に開学した沖縄県立芸術大学附属図書館の敷地となった。 なお、那覇市との合併後、首里の名を残そうと、元の首里地域の町は、首里を冠した住所表示となった。 設置 2014年3月 那覇市歴史博物館」

17-0421 県立芸大通り

18-0421 県立芸大通りの食事処

 「龍潭」のほとりに、「祝第17回こいのぼり大会 主催 首里文化祭実行委員会」の横幕があり、池の上にロープを張り、「こいのぼり」がセットされていました。すぐ近くに「城西小学校・城西幼稚園」があります。こいのぼりは、幼稚園児が創ったものと思われますが……。

参照(那覇市立城西小学校 http://www.nahaken-okn.ed.jp/jouse-es/

19-0421 龍潭-こいのぼり大会

20-0421 龍潭-こいのぼり大会

21-0421 龍潭-こいのぼり大会

22-0421 龍潭-こいのぼり大会

23-0421 龍潭-こいのぼり大会

24-0421 龍潭-こいのぼり大会

25-0309 城西小学校


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