結~つなぐ、ひらく、つむぐ~

身近な自然や社会との関わりを通して、マイペースで、新たな自分探しに挑戦しながら、セカンドライフ、スローライフを楽しむ。

琉球開びゃくの祖神「アマミチュー」「シルミチュー」…「浜比嘉島」

2014-04-01 | 文化

 「浜比嘉大橋」を渡ると、前方に標識があり、左方が「比嘉」、右方が「浜」となっています。左折して、比嘉方面に向かいました。「ハマガー」「ノロ墓」を廻り、坂道を上って、「比嘉小学校跡」に向かいました。校門は閉じられ、校門わきに「比嘉小学校閉校記念碑」がありました。学校統廃合により、「彩橋小中学校」に統合されたのです。

01-0321 海中道路周辺名所案内

02-0321 標識

05-0321 ハマガー

「ハマガー…このカーは、字比嘉のウブガーで、正月元旦の若水を汲む井泉です。 うるま市教育委員会」

08-0321 ノロ墓

09-0321 比嘉小学校跡

10-0321 比嘉小学校閉校記念碑

参照(うるま市立 比嘉小学校_php http://higa-sho.edu.city.uruma.okinawa.jp/

参照(学校統廃合 http://www.city.uruma.lg.jp/5/4577.html

 「比嘉グスク」「アマミチューの墓」「ソージガー」「シルミチュー」と、見所がいっぱいです。「高江洲製塩所」では、「流下式塩田」により塩を作っており、見学、体験学習ができます。「竜宮神」「前ヌカー」「慰霊碑、記念碑」「シーローガー(イーヌカー)」「西の御嶽(イリヌウタキ)」「地頭代火の神」「東の御嶽」と、たくさんの箇所を参拝・見学して、浜比嘉島を後にしました。

13-0321 比嘉グスク

15-0321 アマミチューの墓

16-0321 アマミチューの墓

「アマミチューの墓(はか) 記念物(史跡)…字比嘉の東方海岸にアマンジと呼ばれる岩屋(いわや)の小島があり、そこに洞穴(どうけつ)を囲(かこ)い込(こ)んだ墓(はか)がある。地元では琉球開(かい)びゃく伝説で有名なアマミチュー、シルミチューの男女二神及び他の神が祀(まつ)られていると伝えられている。毎年、念頭拝み(ニントゥウグワン)には比嘉のノロ(祝女)が中心となって島の人々多数が参加して、豊饒(ほうじょう)・無病息災(むびょうそくさい)・子孫繁昌(しそんはんじょう)を祈願(きがん)している。 また、古くから各地からの参拝者(さんぱいしゃ)が絶(た)えない、信仰圏(しんこうけん)の広い貴重(きちょう)な霊場(れいじょう)である。 文化財保護条例により、勝連町文化財に指定します。 平成7年2月20日 勝連町教育委員会」

17-0321 アマミチューの墓

20-0321 ソージガー

21-0321 シルミチュー

22-0321 シルミチュー

「シルミチュー 民族資料(無形民俗文化財)…字比嘉の南々東端の森の中に大きな洞穴(どうけつ)がある。地元では琉球開(かい)びゃく祖神(そしん)、アマミチュー、シルミチューの居住(きょじゅう)したところと伝えられている。 毎年、念頭拝み(ニントゥウグワン)には比嘉のノロ(祝女)が中心となって、海浜(かいひん)から小石一個を拾って来て、洞穴内に安置(あんち)された壷(つぼ)に入れて拝(おが)んでいる。また洞穴内には鍾乳石(しょぅにゅうせき)の陰石(いんせき)があり、子宝(こだから)の授(さず)かる霊石(れいせき)として崇拝(すうはい)され、信仰圏(しんこうけん)の広い貴重(きちょう)な霊場(れいじょう)である。 文化財保護条例により、勝連町文化財に指定します。 平成7年2月20日 勝連町教育委員会」

23-0321 参道

24-0321 2シルミチュー

26-0321 高江洲製塩所

27-0321 流下式塩田

30-0321 竜宮神

32-0321 前ヌカー

34-0321 慰霊碑、記念碑

「贈呈…シェリー大佐の浜比嘉住民に対する貢献により記念として、マリン将校婦人会より贈る。」

36-0321 浜中学校跡

参照(浜中学校_jp- http://hama-chu.edu.city.uruma.okinawa.jp/

39-0321 シーローガー(イーヌカー)

43-0321 西の御嶽(イリヌウタキ)

「西の御嶽(イリヌウタキ)…この御嶽は、琉球国由来記に勝連間切の拝所として、「マサゴロヨリアゲ嶽」と記録されています。民話では、「メーベーヌタキ」と呼ばれ、金武王子のウナイがノロとして来たことから「チンヌウタキ」と呼ばれ、このノロの子がチンダカ屋の先祖と伝えられています。 うるま市教育委員会」

45-0321 浜地区学習等供用施設

46-0321 地頭代火の神

「地頭代火の神(ジトウデーヒヌカン) 民族資料(無形民俗文化財)…字浜の公民館敷地内に、コンクリート製の小祠(しょうし)があり、その中に火の神の依り代(よりしろ)として、三個の霊石(れいせき)を祀(まつ)った拝所(はいしょ)である。 琉球王府時代、浜には地頭代のおえか地(役地、えきち)があり、地頭代となるには先ず浜地頭を務めなければならなかったという。『地頭代火の神』が奉安(ほうあん)されたのはこの為(ため)とされ、貴重(きちょう)な歴史・民族文化財(みんぞくぶんかざい)である。尚現在の小祠には、『琉球国由来記(りゅうきゅうこくゆらいき)』に記される『殿(浜里主所)』と合祀(ごうし)されている。 今でも、立身出世(りっしんしゅっせ)の神として、進学、旅立ちに際し祈願(きがん)する慣(なら)わしになっている。 文化財保護条例により、勝連町文化財に指定します。 平成7年2月20日 勝連町教育委員会」

47-0321 地頭代火の神

48-0321 東の御嶽

50-1104 浜比嘉島


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