首里桃原町の松山御殿跡の一部は、尚家の敷地、マンション、レストラン「ラ・フォンテ」などとなっています。
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「松山御殿跡(まつやまウドゥンあと)…琉球王国最後の国王尚泰の四男である松山王子尚順の屋敷跡。「御殿」とは王族クラスの家柄のことをいう。尚順氏は、廃藩置県以降、貴族院議員の傍ら、さまざまな事業を経営し、教養人、趣味人としても知られ、特に書については沖縄の名筆とされた人物。1924年(大正13)、広大な屋敷内に桃原農園が設立され、沖縄の温暖な気候を活用した熱帯果樹や香辛料、観葉植物の栽培が行われた。松山御殿の屋敷は沖縄戦で焼失したが、戦後は庭園部分が首里トロピカルガーデンとして一般に開園されていた。現在、敷地の一部はレストラン「ラ・フォンテ」として、御殿の雰囲気を味わいながら食事を楽しむことができる。 NPO法人 首里まちづくり研究会」
「尚家」の敷地内にある「佐司笠樋川」は、どんな干ばつのときでも水を絶やさず、地域の貴重な水源でした。現在でも、井戸拝み(カーおがみ)に訪れる人がたえません。樋川の上から、ガジュマルの気根が伸びています。
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「佐司笠樋川(サシカサヒージャー)…尚家敷地内にある樋川。第二尚氏王統三代国王尚真王の長女・佐司笠按司加那志(サツカサアジガナシー)が、福木の大木にいつも鷺(さぎ)がとまるのを見て掘り当てたとの由来がある樋川(ヒージャー)で、鷺泉(ろせん)とも呼ばれている。泉は琉球石灰岩の石垣で囲まれ、どんなときにも枯れずに人々を助けた桃原村の貴重な飲料水だった。現在でも水量も多く、井戸拝み(カーおがみ)に訪れる人がたえない。見学自由。 NPO法人首里まちづくり研究会」
佐司笠樋川の向かいに、「昔石道(ンカシいしみち)」があり、石段を下りていくと、小さなトンネルから、「世果報御井小(ユガフウウカグワー)」へ続いていました。
木々の緑に囲まれ、小鳥のさえずりが聞こえ、古い石畳が残る佐司笠樋川は、町の中で、ほっと一息つくことができる、「パワースポット」のような場所でした。
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