2月5日

2008-01-31 19:59:33 | Weblog
磐石のどの深さまで凍ゆるむ     谷野予志
 
磐石は、例えば山にあるものと解してもよいだろう。山にあって芯の芯まで凍ててしまった磐石だが、春の兆しも見えるので、そろそろ凍てもゆるむだろう。だが、あれほどの凍ては、今、一体、どの深さまでゆるんのだろうかとの思い。ゆるぎないものが、ゆるみ始めるのが春。

2月4日

2008-01-31 19:58:44 | Weblog
春が来て電柱の体鳴りこもる     西東三鬼

「春が来て」は、「立春」と明確に感じるのがよいだろう。道端に立つ電柱さえも春の胎動に「体鳴りこもる」のである。春が来たと聞くだけで、それまでの寒さから開放され、力がみなぎるのを覚える。電柱は、樹木に樹液がとうとうと廻るように、その音をさせて鳴るのである。春の胎動が力強く詠まれている。

2月3日

2008-01-31 19:57:48 | Weblog
節分の宵の小門をくゞりけり     杉田久女

節分の宵は、どの家庭でも鬼やらいの豆撒きをする。小門は、庶民の家のつつましやかな門である。その門をくぐれば、明るく灯をともして豆撒き準備をした家庭がある。鬼を払い、福を招きいれて、この日かぎりに冬と別れる。宵のどこかにも春が生まれる気配が感じられる。

2月2日

2008-01-31 19:47:47 | Weblog
遠山に日の当りたる枯野かな      高濱虚子

虚子の句の中でも代表的な句である。大きな景色で、温かみがある。枯野の続きにある遠い山。その山に日が当って、冬山は赤みを帯びている。「遠山に日の当りたる」であるが、「日の当たりたる枯野」と続いて、遠山に当る日は、枯野にも当っているよう感じ取れる。それが枯野を温かく感じさせている。

2月1日

2008-01-31 19:47:00 | Weblog
中庭へ深く落ち来て雪積もる      川本臥風

空間は区切れば、深くなることもできる。中庭に、見えぬ空より雪が届く。静けさの極みに、積もる雪音だけが聞こえている。

1月31日

2008-01-21 18:20:19 | Weblog
しんしんと寒さがたのし歩みゆく       星野立子

しんしんと迫る寒さの中を、初めは寒さを厭いながらも歩いていると、そのうちその寒さにも慣れて、その寒さこそがたのしくなる。寒さをたのしさに変えるおおらかな句。

1月30日

2008-01-21 18:19:42 | Weblog
身にまとふ黒きショールも古りにけり     杉田久女

防寒にショールをまとう。ショールは、防寒の用だけでなく、気に入ったお洒落なものをまとう楽しみもある。久女がまとうのは黒いショール。買ったときは艶やかに身を包んでくれた黒いショールも、年々使って古びてしまった。ショールが古くなることは、つまり自身から、若さや華やかさが失せることでもある。田舎教師の妻として、境遇を思うさみしさがある。

1月29日

2008-01-21 18:19:03 | Weblog
病む六人一寒燈を消すとき来      石田波郷

波郷は結核で長い療養生活を送ったが、このときは六人が一部屋であった。長期の療養では、同じ病室のものは長い間、起居をともにすることになる。同じ病であることもあって、互いに長所短所をよく知るようにもなる。病院では、当然ながら、消灯時間が決められているので、その時間がくると、分かちあって本を読んだり、話をしたりしていた灯を消すのであるが、「消すとき来」は、そういった時間も終わりだというのだ。それからは、個々の思いに寒夜を過ごすことになる。(高橋正子)

1月28日

2008-01-21 18:18:30 | Weblog
餅のかびけづりをり大切な時間     細見綾子

七草も過ぎると、餅にかびが生えてくる。青かびがほとんどであって、食して差し支えないものであるから、このかびを丹念にけずって食べれるようにする。餅かびが生えるころは、正月のものも一通り片付いて、主婦も自分の時間を得ることができる。餅かびをけずる時間を得たことこそが、「大切な時間」なのである。

1月27日

2008-01-21 18:17:49 | Weblog
寒暁といふ刻過ぎて海青し       谷野予志

寒暁の暗い刻を過ぎると、海は、研ぎ澄まされたように青い。寒暁の厳しさが、海の色を研ぎ澄ましたのである。むしろ、人間の目を研ぎすましたのである。「寒暁の刻」という現象時間を、「青」という色に対比させ際立たせた。安易な(意思のない)配合や取り合わせではない、真実を浮かびあがらす対比がある。

1月26日

2008-01-21 18:17:02 | Weblog
寒椿つひに一日のふところ手      石田波郷

寒椿は、春の花である椿としては早咲きの椿のことである。寒中や冬の間に咲く。寒中の花の少ないときには、ほっと心があたたまるような花は喜ばれる。「つひに一日」は、やるべきこともあったのだろうかが、あまり事をせず、とうとう一日をふところ手をして過ごしてしまったというのである。寒椿になぐさめられた一日であったろう。(高橋正子)

1月25日

2008-01-21 18:15:14 | Weblog
厳寒や一と日の手順あやまたず      中村汀女

厳寒と言えども、主婦にとってしなければならない家事は、増えることはあっても減ることはない。掃除、洗濯、食後の片付け、買い物、食事の支度、アイロンかけなど。寒いからと言って、食器洗いを後にしたりして手順を狂わすと、日々の日常はつまずく。几帳面な主婦の生活を詠んで、その主婦たることへの自負がある。

1月24日

2008-01-21 18:14:24 | Weblog
急行の速度に入れば枯れふかし     西垣 脩

西垣脩は大阪の船場に生まれ、旧制松山高校時代は「星丘」に参加し、川本臥風に俳句の指導を受けている。俳人としてだけでなく、現代詩人としての活躍も目覚しかったが、五十九歳の若さで急逝した。川本臥風の大学での最後の教え子となった私は、そんないきさつもあって、氏の不在をしみじみ淋しく思う。もう前のことになるが、この句に出会った私は、郷里を離れ松山に暮らす私の心情そのままの句という思いがし、ひたすら驚いたのを思い出す。清冽な句風で知られる氏のあたたかなさびしさが胸を満たす。市街地の駅を出た急行が本来のスピードになるころは、車窓の景色もますます枯れを深めている。内に向かう精神は深くあたたかい。目に映るのは、茎折れ、ところどころに空を映す蓮田、風にさらされた田、すすきや千千の草草の枯れ、寒さを纏う山々。それらは細やかにことさらに鮮明である。こうしたすばらしい日本人の心を世界の人々に知ってほしいと願い「水煙」のホームページに氏の句を載せている。

1月23日

2008-01-21 18:13:11 | Weblog
土堤(どて)を外(そ)れ枯野の犬となりゆけり      山口誓子

野良犬であろうが、土手に沿って歩いている。行くあてがあろうはずもなく、土手に沿って歩いていたが、その土手を外れて枯野のなかへと入っていった。草も枯れ果てた蕭条とした枯野の犬となって、犬はますますさびしい犬となり、やがて枯野の魂と化すような気配である。

1月22日

2008-01-21 18:12:06 | Weblog
雪残る頂き一つ国境           正岡子規

国境は、この句のみからは、どこの場所とも特定しがたいが、それが、却ってどこだろうかと知りたくなる好奇心を湧かせるから不思議だ。国境に屹立して見える雪の残る頂。ここより他国に入るんだという思いで振り仰ぐと、雪の頂が燦然と輝いて見えるが、国境のさびしさも隠しえない。