バスを待ち大路の春をうたがはず 石田波郷
『鶴の眼』(昭和十四年)所収。バスが通る大通り。バスを待ちながら降り注ぐ春の日や、春の装いの人たち、並木や家々の輝きを見ると、ここにまさに春があることを確信する。「大路」という言葉の重さに、大路以外の印象はむしろ沈み、麗らかにふりそそぐ春の日の印象が強まる。「春をうたがはず」は、麗らかに照る日に実感を得たものであろう。
『鶴の眼』(昭和十四年)所収。バスが通る大通り。バスを待ちながら降り注ぐ春の日や、春の装いの人たち、並木や家々の輝きを見ると、ここにまさに春があることを確信する。「大路」という言葉の重さに、大路以外の印象はむしろ沈み、麗らかにふりそそぐ春の日の印象が強まる。「春をうたがはず」は、麗らかに照る日に実感を得たものであろう。