8月31日

2006-08-31 23:35:11 | Weblog
人の手に触るることより新豆腐     野田ゆたか

この句は、「より」の解釈に重点がある。冷たい水から掬 う、あるいは、掌にのせることによって、今年の大豆で作 られた豆腐は、できたばかりのほのかな匂い、柔らかな白 い色、水に触れていた切り口などが、生き生きとしてくる 。新豆腐を感覚的に捉えた作者の新境地といえる句。

8月30日

2006-08-30 23:34:11 | Weblog
葡萄房剪りて重みを手に移す      霧野萬地郎

みずみずしい葡萄を剪りとって、その重みを、そっくりそ のまま手にしたときの感動が、素直に詠まれている。

8月29日

2006-08-29 23:33:16 | Weblog
石ころも露けきものの一つかな     高濱虚子

早朝の静かさのなか、眼にするものにみな露が降りている 。転がっている無生物の石ころさえも、露けきものとなっ ている。何一つ残ることなく露けきものとなる澄明な朝が ひんやりと伝わってくる。  
  

8月28日

2006-08-28 23:32:21 | Weblog
ふるさとは山路がかりに秋の暮     臼田亜浪

亜浪のふるさとは、信州小諸である。山路がかる道を行け ば、秋の暮れが迫っている。そうでなくても早い秋の日暮 れに、山路がかりの道の秋の暮は早い。ふるさとの地を踏 んだ懐かしさが、思いを深いものにしている。

8月27日

2006-08-27 23:31:23 | Weblog
夜更けて米とぐ音やきりぎりす     正岡子規

その日の仕事をしまい終えた家人が夜更けに、明日朝炊く 米をカシャカシャと磨いでいる。その音に交じってきりぎ りすの声が間を置いて聞こえる。秋の夜更けの静かさと質 素な生活が偲べる。

8月26日

2006-08-26 23:28:16 | Weblog
稲の花一両列車の速度増す        野仁志水音

旅を続け、一両列車の加速を体によく感じるほどになって いる。列車から見える稲の花が、目に生きいきと新鮮に映 っている。秋口の田園風景がのどか。

8月25日

2006-08-25 23:27:12 | Weblog
赤蜻蛉筑波に雲もなかりけり        正岡子規

筑波山の向こうから、東北が始まるといってもいいだろう 。池袋のサンシャインシティホテルから関東平野を見渡す とそう思える。関東平野の果てまで来ると、筑波の嶺には 、一片の雲もなく晴れて、明るい空を赤とんぼがすいすい と飛んでいる。澄んだ空気を感じさせて、鄙びた明るさの ある句である。

8月24日

2006-08-24 23:26:16 | Weblog
はたはたのゆくてのくらくなるばかり    谷野予志

はたはたが飛び過ぎて行ったが、その行く手は日暮れでは っきりと掴めない。飛んで行ったのは草むらか。夕暮れの 早さと、日暮れと共に深まる静寂を「くらくなるばかり」 と、空間を凝視して捉えた。

8月23日

2006-08-23 23:24:32 | Weblog
新涼や重ねし絹に鋏音           河ひろこ

新涼の爽やかな風のなかで、布を裁つよろこび。しなや かな絹を裁つ鋏の音は、また絹の音とも感じられる。重ね た絹に鋏を入れるには、よほど布に慣れた人でないと勇気 がいるものだが、それを自然にこなす腕のすばらしさも覗 える。

8月22日

2006-08-22 23:23:14 | Weblog
葡萄園影にまみれて幹並ぶ         谷野予志

葡萄園に秋の日が差して、ちらちらと影と日向の斑ら模様 ができているが、幹は影の部分となって立ち並んでいる。 「影にまみれて」は、葡萄棚の茂りを葡萄の確固とした幹 に着目し、葡萄園に生まれる影の美しさを余すところなく 伝えている。

8月21日

2006-08-21 23:21:55 | Weblog
さやけくて妻とも知らずすれちがふ     西垣 脩

詩人脩のことだから、さやけさを喜び、心にもさやけきこ とを思いめぐらし歩いていると、妻が通り過ぎるのにも気 づかずにいたというのだ。妻と夫の距離がさやかな空気の ようなである。

8月20日

2006-08-20 23:20:26 | Weblog

青葡萄一粒ごとに陽の入りぬ        松本豊香

青葡萄の一粒一粒が育ってくると、透けるような緑となる 。一粒一粒に陽が届いて、葡萄は陽に慈しまれて育つ。そ れを静かな目で捉えた。


8月19日

2006-08-19 23:19:17 | Weblog
遮断機の降りしを蜻蛉越し行けり      原 順子

遮断機が降り、電車の通過を待っていると、うしろから来 た蜻蛉は、遮断機が降りていようといまいと、それはお構 いなしに、踏切を越えていった。とんぼのようにかろやか な自在さへの憧れがある。

8月18日

2006-08-18 23:18:05 | Weblog
雲は秋の禄剛岬萱ばかり           西垣 脩

昭和五十二年、能登への旅の句。禄剛岬は能登半島の最北 端。日本海を眺める禄剛岬にあるものは、風に靡く青い萱 ばかり。そこに佇つときの思いの深さは計り知れない。こ の一年後の死を誰が予感しただろう。

8月17日

2006-08-17 23:16:48 | Weblog
うまおいが来るパソコンの明るい部屋     吉田 晃

この状況は、本当にあかるくみずみずしい。現代の産物で あるパソコンのある部屋に飛びこんできたみずみずしいも の、うまおいがかがやいている。ふと思ったのだが、哲学 者や思想家が、人間のことをいろいろ言っているが、人間 にとって、一番大切なことは、「みずみずしい」ことでは ないかと。みんながみずみずしい心で暮らせたらいいと思 った。