訪問日:平成23年8月16日(火)
出 発:JR「西九条駅」
到 着:JR「西九条駅」
「みなとOsaka」の歩紀をしているとき「天保山渡し」を利用した。大阪には現役で渡し船が運航されている。最初、コラムで紹介しようと思ったが、結構まとまった内容となったので番外編として1ページ作った。
「水の都」と呼ばれる大阪。明治以前より市内を縦横に掘られた水路には多くの橋が架けられ「なにわ八百八橋」と言われた。それと同時に多くの渡し船が橋とともに町人たちの重要な足となっていた。
しかし、時代とともに都市化が進み、多くの川は埋め立てられ当時の川や橋は道路や交差点の名前として残されるのみで、渡し船もその役目を終えていった。
そんな中、大阪市大正区周辺には全国でも珍しい「川底トンネル」と8つの「渡し船」が残っている。
JR西九条駅。ここには駅レンタならぬ「駅リンくん」と呼ばれるレンタサイクルがある。一日300円のレンタル料を払い、管理人さんのご厚意により管理人室で半パン・Tシャツに着替えさせていただき自転車番号「216号」で出発した。

駅前を南に250メートルほど進むと安治川に突き当たる。かつてここには「源兵衛渡」という渡し船が通っていたが、昭和19年より渡しに代わって全国でも珍しい川の底をくぐるトンネルが市民の足として活躍している。「安治川トンネル(隧道)」だ。

エレベーターで川底まで降りる。エレベーターは午前6時から深夜0時までの運転だが階段であれば24時間利用できる。このトンネルはもちろん8つの渡しはすべて歩行者と自転車の専用である。(原付不可)

大阪市此花区西九条1丁目から大阪市西区安治川2丁目間を幅2メートル長さ80メートルのトンネルが結ぶ。ここは、まだ大正区ではない。トンネル内はひんやりと涼しい。平日の昼間帯はトンネル内にガードマンが立っており、それ以外は24時間機械警備されている。

安治川をはさんで立つエレベーター塔。左が此花区(北)側、右が西区(南)側である。川面を遊覧船が走る。川を跨ぐのは、最近開通した阪神電車なんば線の鉄橋でトンネルとはまったく関係ない。

トンネルを出たところの交差点には、かつての渡し名が残る。後方は、南側エレベーター塔で管理事務所とトイレがある。

大阪市此花区桜島3丁目と大阪市港区築港3丁目を結ぶのが「天保山渡し」。実は、この渡しだけ「みなとOsaka」(平成22年6月)の時に撮影した。「天保山渡し」のみが安治川を渡り大正区を発着地としないため他の渡しと少しコースが外れているのだ。日本一低いと言われる「天保山」のすぐ北側に船着場がある。後方の高層ビルは「ユニバーサル・スタジオ・ジャパン(USJ)」のホテル群。

ここは安治川の最下流で川と言うより海だ。他の渡しは工場街や住宅地を結び、まさに市民の足となっているが、天保山は周辺に「海遊館」や「USJ」などがあり休日は観光客の利用も多い。天保山公園とハーバービレッジの大観覧車を望む。

此花区側の船着場から港区側を望む。上を走るのは阪神高速湾岸線の「天保山大橋」。

コースは8月16日に戻る。残りの7つの渡し船は、大阪市大正区内を発着地とする。地図でみれば分かるとおり、大正区は川と運河・港に囲まれた完全な「島」それも4つに分かれているので「諸島」だ。それぞれの運河は、重要な水路となっており結構大きな船が往来するため桁の高い橋しか架けられない。歩行者・自転車のために渡しが残る。

安治川トンネルをくぐり弁天町を過ぎて港区を縦断する。工場街を抜けたところで「尻無川」という運河に突き当たる。大阪市港区福崎1丁目と大阪市大正区泉尾7丁目を結ぶ「甚兵衛渡し」。対岸はすぐ目の前だ。「きよかぜ」「海桜」「すずかぜ」という3隻の渡し船が並んでいる。

「すずかぜ」がやってきた。こちらに向かって来たかと思うと、すぐに船尾を左に振り、左舷を向けたまま接岸した。この後、11:00発の便で対岸に渡る。

1分ほどの船旅。大正区に「上陸」し、大浪通という大きな通りを右に曲がり海方向へ。すぐ前に巨大な「千歳橋」が見えてくる。この橋には自転車道・歩道もあるが、とても渡ろうとは思わない。橋脚には、渡しの案内板が。

そのためにあるのが「千歳渡し」。遠くに見えるのは、有料の「なみはや大橋」と阪神高速湾岸線が走る「港大橋」。

この渡しは、川ではなく「大正内港」という港内を頭上に千歳橋を眺めながら、大阪市大正区北恩加島2丁目から大阪市大正区鶴町4丁目を結ぶ。直線約340メートル。11:20発「ちづる」で渡る。渡し船では最長距離であるが数分で到着する。

鶴町には市営住宅もあり結構多くの人が渡しを利用する。鶴町の町を南下し「木津川運河」という運河まで走る。大阪市大正区鶴町1丁目から大阪市大正区船町1丁目を結ぶ「船町渡し」。渡しでは最短距離の約60メートル。すぐ目の前に対岸の船着場が見える。

11:40発「八坂丸」で渡るが、運河の航跡が消える前にエンジン音が停止。あっという間に到着した。

「船町」は、完全な埋立地で大部分を「中山製鋼所」と「日立造船」で占められる。「工場萌え」という人たちにとっては魅力的な風景が広がる。

大阪市大正区船町1丁目から大阪市住之江区平林北1丁目を結ぶのが「木津川渡し」。この船だけが建設局ではなく「港湾局」の管理となる。12:00発「松丸」に乗る。

渡しのすぐ上に「新木津川大橋」が架かる。北側はループ状になっており、ループ部分を除いた直線距離だけでも1.5キロを越えるが歩道も設置されている。この橋を自転車や歩いて渡りますか?

木津川沿いに工場街を進み大阪市西成区に入る。両側がループ状になった「瀬戸の音戸大橋」のような橋が木津川に架かる「千本松大橋」。

この下を大阪市西成区南津守5丁目から大阪市大正区南恩加島1丁目まで結ぶのが「千本松渡し」。橋の下をくぐるように運航されている。12:30発「はるかぜ」で渡る。

大正区に戻り北上。船の旅も終わりに近づいてきた。木津川は、重要な水路となっており結構大きな船が往来し造船所もある。私の亡父は、かつて木津川の造船所で工員として働いており、幼いころ木津川に進水するタンカーの写真を見せてもらったことがある。

大阪市大正区平尾1丁目から大阪市西成区津守2丁目を結ぶ「落合下渡し」。対岸から「みどり丸」がやってくる。

ここも川幅が狭いので、途中で船尾を左に振り、そのまま横になって接岸した。13:15発「みどり丸」に乗る。すべての渡し船の側面には、大阪市の市章である「澪標(みおつくし)」が描かれている。

大阪市西成区に着き堤防沿いを北に。次の信号を左に折れると本日最後の「落合上渡し」の船着場に着く。他の渡しの船員たちは薄ブルー色の大阪市職員の作業服を着用しているが、ここだけは白の上下と海軍風の白の帽子をかぶっている。

13:30発「福崎丸」に乗る。大阪市西成区北津守3丁目から大阪市大正区千鳥1丁目を結ぶ。渡しの船頭(運転士)さんは若い女性だった。洪水調整用の大きな水門を見ながら桟橋に着く。

大阪市の渡しは、すべて道の延長と見なされている。だから交通局ではなく建設局や港湾局が管理する。乗船料もいらない。つまり人は乗客ではなく通行人なのだ。
道路と川の間にへばりつく様に作られた「落合上渡し」の船着場。市民の重要な足としていつまでも続くことを願っています。

今回、初めて大阪市内を自転車で走ったが、結構、走りやすいと感じた。大きな通りや交差点の歩道橋・地下道には大抵「自転車専用通行帯」があるし、自転車置き場も完備され自販機やトイレがあったりする。何よりも東京や神戸、横浜と違って坂道がほとんどない。水郷のような情緒ある渡し船ではないが、日帰りの「船旅」を楽しんでみた。
出 発:JR「西九条駅」
到 着:JR「西九条駅」
「みなとOsaka」の歩紀をしているとき「天保山渡し」を利用した。大阪には現役で渡し船が運航されている。最初、コラムで紹介しようと思ったが、結構まとまった内容となったので番外編として1ページ作った。
「水の都」と呼ばれる大阪。明治以前より市内を縦横に掘られた水路には多くの橋が架けられ「なにわ八百八橋」と言われた。それと同時に多くの渡し船が橋とともに町人たちの重要な足となっていた。
しかし、時代とともに都市化が進み、多くの川は埋め立てられ当時の川や橋は道路や交差点の名前として残されるのみで、渡し船もその役目を終えていった。
そんな中、大阪市大正区周辺には全国でも珍しい「川底トンネル」と8つの「渡し船」が残っている。
JR西九条駅。ここには駅レンタならぬ「駅リンくん」と呼ばれるレンタサイクルがある。一日300円のレンタル料を払い、管理人さんのご厚意により管理人室で半パン・Tシャツに着替えさせていただき自転車番号「216号」で出発した。

駅前を南に250メートルほど進むと安治川に突き当たる。かつてここには「源兵衛渡」という渡し船が通っていたが、昭和19年より渡しに代わって全国でも珍しい川の底をくぐるトンネルが市民の足として活躍している。「安治川トンネル(隧道)」だ。

エレベーターで川底まで降りる。エレベーターは午前6時から深夜0時までの運転だが階段であれば24時間利用できる。このトンネルはもちろん8つの渡しはすべて歩行者と自転車の専用である。(原付不可)

大阪市此花区西九条1丁目から大阪市西区安治川2丁目間を幅2メートル長さ80メートルのトンネルが結ぶ。ここは、まだ大正区ではない。トンネル内はひんやりと涼しい。平日の昼間帯はトンネル内にガードマンが立っており、それ以外は24時間機械警備されている。

安治川をはさんで立つエレベーター塔。左が此花区(北)側、右が西区(南)側である。川面を遊覧船が走る。川を跨ぐのは、最近開通した阪神電車なんば線の鉄橋でトンネルとはまったく関係ない。

トンネルを出たところの交差点には、かつての渡し名が残る。後方は、南側エレベーター塔で管理事務所とトイレがある。

大阪市此花区桜島3丁目と大阪市港区築港3丁目を結ぶのが「天保山渡し」。実は、この渡しだけ「みなとOsaka」(平成22年6月)の時に撮影した。「天保山渡し」のみが安治川を渡り大正区を発着地としないため他の渡しと少しコースが外れているのだ。日本一低いと言われる「天保山」のすぐ北側に船着場がある。後方の高層ビルは「ユニバーサル・スタジオ・ジャパン(USJ)」のホテル群。

ここは安治川の最下流で川と言うより海だ。他の渡しは工場街や住宅地を結び、まさに市民の足となっているが、天保山は周辺に「海遊館」や「USJ」などがあり休日は観光客の利用も多い。天保山公園とハーバービレッジの大観覧車を望む。

此花区側の船着場から港区側を望む。上を走るのは阪神高速湾岸線の「天保山大橋」。

コースは8月16日に戻る。残りの7つの渡し船は、大阪市大正区内を発着地とする。地図でみれば分かるとおり、大正区は川と運河・港に囲まれた完全な「島」それも4つに分かれているので「諸島」だ。それぞれの運河は、重要な水路となっており結構大きな船が往来するため桁の高い橋しか架けられない。歩行者・自転車のために渡しが残る。

安治川トンネルをくぐり弁天町を過ぎて港区を縦断する。工場街を抜けたところで「尻無川」という運河に突き当たる。大阪市港区福崎1丁目と大阪市大正区泉尾7丁目を結ぶ「甚兵衛渡し」。対岸はすぐ目の前だ。「きよかぜ」「海桜」「すずかぜ」という3隻の渡し船が並んでいる。

「すずかぜ」がやってきた。こちらに向かって来たかと思うと、すぐに船尾を左に振り、左舷を向けたまま接岸した。この後、11:00発の便で対岸に渡る。

1分ほどの船旅。大正区に「上陸」し、大浪通という大きな通りを右に曲がり海方向へ。すぐ前に巨大な「千歳橋」が見えてくる。この橋には自転車道・歩道もあるが、とても渡ろうとは思わない。橋脚には、渡しの案内板が。

そのためにあるのが「千歳渡し」。遠くに見えるのは、有料の「なみはや大橋」と阪神高速湾岸線が走る「港大橋」。

この渡しは、川ではなく「大正内港」という港内を頭上に千歳橋を眺めながら、大阪市大正区北恩加島2丁目から大阪市大正区鶴町4丁目を結ぶ。直線約340メートル。11:20発「ちづる」で渡る。渡し船では最長距離であるが数分で到着する。

鶴町には市営住宅もあり結構多くの人が渡しを利用する。鶴町の町を南下し「木津川運河」という運河まで走る。大阪市大正区鶴町1丁目から大阪市大正区船町1丁目を結ぶ「船町渡し」。渡しでは最短距離の約60メートル。すぐ目の前に対岸の船着場が見える。

11:40発「八坂丸」で渡るが、運河の航跡が消える前にエンジン音が停止。あっという間に到着した。

「船町」は、完全な埋立地で大部分を「中山製鋼所」と「日立造船」で占められる。「工場萌え」という人たちにとっては魅力的な風景が広がる。

大阪市大正区船町1丁目から大阪市住之江区平林北1丁目を結ぶのが「木津川渡し」。この船だけが建設局ではなく「港湾局」の管理となる。12:00発「松丸」に乗る。

渡しのすぐ上に「新木津川大橋」が架かる。北側はループ状になっており、ループ部分を除いた直線距離だけでも1.5キロを越えるが歩道も設置されている。この橋を自転車や歩いて渡りますか?

木津川沿いに工場街を進み大阪市西成区に入る。両側がループ状になった「瀬戸の音戸大橋」のような橋が木津川に架かる「千本松大橋」。

この下を大阪市西成区南津守5丁目から大阪市大正区南恩加島1丁目まで結ぶのが「千本松渡し」。橋の下をくぐるように運航されている。12:30発「はるかぜ」で渡る。

大正区に戻り北上。船の旅も終わりに近づいてきた。木津川は、重要な水路となっており結構大きな船が往来し造船所もある。私の亡父は、かつて木津川の造船所で工員として働いており、幼いころ木津川に進水するタンカーの写真を見せてもらったことがある。

大阪市大正区平尾1丁目から大阪市西成区津守2丁目を結ぶ「落合下渡し」。対岸から「みどり丸」がやってくる。

ここも川幅が狭いので、途中で船尾を左に振り、そのまま横になって接岸した。13:15発「みどり丸」に乗る。すべての渡し船の側面には、大阪市の市章である「澪標(みおつくし)」が描かれている。

大阪市西成区に着き堤防沿いを北に。次の信号を左に折れると本日最後の「落合上渡し」の船着場に着く。他の渡しの船員たちは薄ブルー色の大阪市職員の作業服を着用しているが、ここだけは白の上下と海軍風の白の帽子をかぶっている。

13:30発「福崎丸」に乗る。大阪市西成区北津守3丁目から大阪市大正区千鳥1丁目を結ぶ。渡しの船頭(運転士)さんは若い女性だった。洪水調整用の大きな水門を見ながら桟橋に着く。

大阪市の渡しは、すべて道の延長と見なされている。だから交通局ではなく建設局や港湾局が管理する。乗船料もいらない。つまり人は乗客ではなく通行人なのだ。

道路と川の間にへばりつく様に作られた「落合上渡し」の船着場。市民の重要な足としていつまでも続くことを願っています。

今回、初めて大阪市内を自転車で走ったが、結構、走りやすいと感じた。大きな通りや交差点の歩道橋・地下道には大抵「自転車専用通行帯」があるし、自転車置き場も完備され自販機やトイレがあったりする。何よりも東京や神戸、横浜と違って坂道がほとんどない。水郷のような情緒ある渡し船ではないが、日帰りの「船旅」を楽しんでみた。
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