訪問日:平成23年5月21日(土)
出 発:阪急バス「能勢の郷」
到 着:阪急バス「歌垣山登山口」
温泉とアウトドアレジャー施設の「能勢の郷」から数々の寺社、能勢の中心地である宿野の「浄るりシアター」などを経て、田植え間もない「水田」を見ながら暮坂峠・篠口峠を越えて倉垣の集落へ。リス・キジ・野鹿そして「ヘビ」。自然とともに日本の原風景を楽しみながらひたすら歩く。
全般的には舗装された平坦な農道・里道を歩く。途中、大路次川の橋から「暮坂峠」までは15分ほどの上りになるが、舗装道路であり勾配も急ではない。「篠口峠」は完全な山道だが、距離にして約400メートル。時間にして約10分。あっという間に越えてしまう。
中間地点の「浄るりシアター」には自販機とトイレがあるが、それ以外は寺社の参拝者用簡易トイレがあるくらい。涌泉寺の駐車場に湧き水がある。(歩行距離19キロ)
能勢電車「山下駅」から阪急バスで約40分(590円)。終点の「能勢の郷」に到着。かつての「かんぽの宿」が郵政民営化の後は「能勢温泉」という民間宿泊施設になったが、ここは昔からキャンプ場やバーベキュー場、テニスコート、フィールドアスレチックなどの野外活動施設が広がるレジャー施設として有名である。
バスを降り、キャンプ場の林間道を過ぎると行者山への登山道に出る。私は山には登らないので右に曲がり坂を下りながら歩く。先ほどバスで一緒だった登山グループとすれ違いながら歩くと右手にお寺が見えてきた。「高野山真言宗玉泉寺」。ここはユースホステルやテニスコートも併設されている。
脇道にそれ、田植えが終わったばかりの水田の間をとおり山沿いに歩いて行くと鎮守の森に出る。「山辺神社」である。宗教施設という感じがしない、こういう神社の風景が私は大好きだ。さっそくお参りをした。
鳥居まで戻りふと山手を見ると何か大きな瓦葺きの建物が目に入ったので行ってみた。インターネットの下調べでは気がつかなかった建物である。その建物に到着する直前7~80センチくらいのシマヘビが道を横切った。「いきなりかよ。」ヘビは大嫌いなんだよ。能勢は本当にヘビが多いところだ。
建物は、大きな木造の一棟建ちで前に広場があり、おばちゃんたちがゲートボールを楽しんでいた。「この建物は何ですか?」と尋ねてみた。すると「昔の小学校やで。」と教えてくれた。グランドの片隅に「山辺小学校跡」という石碑があった。帰宅後にネットで調べると昔の山辺小学校でその後一時、町立保育所として使われていたようだが、今は空き家となり音楽グループが時折野外コンサートなどに使用しているらしい。「山の小学校」という雰囲気がいい。予定外だっただけに何か得をした気分だ。
山辺小学校跡を出て集落を通り抜け、少し山手に上がったところにある「高野山真言宗大泉寺」を訪ねる。小さな雰囲気の良いお寺だった。
お寺から少し下りたところに、大きな茅葺き屋根の農家を発見。やはり能勢まで来ると茅葺き家屋との遭遇率は高い。
引き続き山辺の集落を歩く。小さな神社も
石の橋も
ため池も何でもないものだが、日本の原風景には欠かせない。
小さな新興住宅街を抜けると戦没者の霊を慰める忠霊塔に出た。立派な施設である。この村からも多くの若者が出征し、お国のために戦死していったのだろう。
しばらく歩くと広大な寺域に入る。「高野山真言宗月峯寺」。
このお寺は、かつて剣尾山の頂上付近にあったが、その後、現在の場所に移された。山頂付近には今も寺跡が残るという。戦時中は、多くの学童疎開児童を受け入れたらしい。
本堂横の宝篋印塔の後ろには、室町時代前期の作と伝わる「六体阿弥陀仏」が並んでいる。
月峯寺を出て府道沿いに歩いて行くと右奥に鉄筋の立派な建物と車がたくさん止まった駐車場が見えてきた。ここは、能勢の中心地「宿野」の町だ。町役場や小学校、消防署、商工会館など町の主要な施設が集まっている。手前の田んぼの真ん中に一服するのにちょうど良い木が見えた。農作業の合間にここで弁当を食べるのだろう。
田んぼを抜けると「浄るりシアター」という立派な施設に着く。能勢は「浄瑠璃」が盛んで、今でも約200人の語り部たちが200年以上の伝統を引き継ぎ、国の「無形民俗文化財」に指定されている。丁度お昼時で建物の前に木のベンチがあったので昼食をとることにした。
館内は、浄瑠璃に関する展示場や多目的ホールになっている。いわゆる「町民ホール」というやつだ。
食事を終えしばらく歩くと「久佐々神社」という神社に出る。このあたりでは一番大きな神社で賀茂別雷神を御祭神とする。
大路次川沿いを水田の景色を楽しみながら歩く。
毘沙門天。
薬師堂。きれいに手入れがされ、村の人々の手により守られている。
途中、府道との分岐点に出るが、そこに「おおさか環状自然歩道」の暮坂峠方面への案内板があるので、案内に従い進んでいくとすぐに大路次川にかかる橋に出る。
ここからダラダラとした上り坂が続くが舗装されているし坂もさほど急ではない。途中、車1台とすれ違ったが、人とは一人も会わなかった。
15分ほどで「暮坂峠」に着く。
峠の下には「府立能勢高校」の農場が広がり羊が草を食んでいた。
農場の上の高台には、能勢の名を「ダイオキシン」で全国に知らしめた焼却施設の跡がある。焼却場用に作られた立派な道路を歩いて行くと、すぐ前をリスが走っていく。その後「ギャーギャー」という鳴き声とともに、つがいのキジが飛んでいった。雄はきれいな極彩色だった。
道路が「国体記念スポーツセンター」の上で大きくカーブする手前に「篠口峠」を経て倉垣の集落に到るとの案内板が立つ。
入り口はコンクリート舗装だがすぐに山道となる。ヘビは出ないだろうな。5分も歩いただろうか、ふと前を見ると一匹の野鹿が草を食んでいた。シャッターチャンスと思いカメラを構えた瞬間目が合った。よほど怖かったのだろう、大きな音をたてて一目散に藪の中へと逃げていった。そして野鹿がいたところがまさに「篠口峠」。こんな自然が一杯のところに焼却施設があったのか。単なる感情論ではなく、人間と自然の共存の難しさを教えられた。
ここから下り坂が続く。時間にして5分程度だったがかなりの急坂。逆のコースであれば息が上がっただろう。
山道から舗装された農道に出る。「倉垣」の集落だ。小さな祠がある。良い風景だ。
前方に何か見える。木の枝か?違う。1メートルほどのシマヘビだ。今回、いろいろな生き物に出会ったが、写真に納めることができたのは君だけだ。
農道を進むと小さな鳥居が見える。ヘビはいないだろうなと、恐る恐る境内に入りお参りをする。倉垣の村社「子守神社」だ。
途中、土壁の農小屋や消防団倉庫など原風景を楽しみながら倉垣の水田地帯へと向かう。
田んぼの水面に「七面山」と「釈迦ケ嶽」が美しい。この山は、その名前からも分かるとおり、昔からの信仰の山で道々に町石が見られる。今でも日蓮宗七寶寺というお寺が山の大部分を占めている。このお寺はネットで下調べをしたところ修行の場ということで観光やハイキング目的の者はあまり歓迎されないらしい。たくさんの石仏があるらしく、遠目で見ただけでも石造りの大仏や黄金に輝く観音像などが見える。また、左に見える建物は「能勢の高灯籠」と呼ばれるある宗教団体の施設である。「能勢氏ゆかりの里をゆく」ではこの道を反対に歩く。
山の麓には「日蓮宗涌泉寺」というお寺があった。お寺は何か「人の土地」という感じがして入りにくい。涌泉寺も入り口に受付のような建物があり、入りにくかったのでお参りは遠慮した。
涌泉寺の横には「歌垣神社」という社がある。人によっては神社の方が人を受け付けない雰囲気があるというが、私は何ら抵抗なく鳥居をくぐることができる。
さあ最終地点の歌垣山登山口に向かう。涌泉寺の駐車場脇に清水が湧いていた。もともと釈迦ケ嶽は昔から良い水が出るらしい。涌泉寺という名もそこから来たのだろう。
水田に「逆さ」歌垣山が美しい。
ゴールの「歌垣山登山口」バス停に着いた。バス停の後ろには映画のセットのような「消防団詰所」がある。「能勢氏ゆかりの里をゆく」でもここを通る。ここからバスで能勢電車「妙見口駅」まで約20分(530円)。およそ5時間の「歩紀」だった。