「野里町歩紀 ~摂河泉をゆく~」

写真と簡単な文章で綴る大阪府内を歩いた足跡です。

ご挨拶

2011-06-05 11:51:02 | 日記
 私の趣味は「徒歩」です。

 ウォーキングといえば何かダイエットとか健康というイメージがあります。ハイキング ~自然や名所旧跡を求めて歩くことでしょうか~ これに若干の高低差が加われば軽(低山)登山。本格的に山に入るのが登山でしょう。

 私は基本的に「山」には入りません。体力的なことや本格的な装備を持たないこと。また、一人旅ですので何かあった場合、多くの人に迷惑をかけるおそれがあること。そしてヘビが嫌いなんです。

 また、写真撮影や寺社の参拝はしますが、博物館や庭園などがあってもあまり見学はしませんし、大きくコースを外れてまで名所等を訪ねることもありません。移動にはあまり交通機関は使いませんので、何でもない国道を黙々と歩くこともあります。グルメの旅でもないので、食事や休息でさえ最小限に済ませてひたすら歩くのです。そのため、あえて趣味をウォーキングやハイキングではなく「徒歩」としているのです。

 ちょっと講釈が長くなりましたね。私が歩いてきた道のりを写真紀行風にまとめて見ました。
    野歩き 里歩き 町歩き
それぞれの頭文字をとって「野里町歩紀(のざとまちあるき)」としました。

 また、副題に ~摂河泉をゆく~ とあるように、行き先を大阪府に限っています。それは、あまり遠いと「旅行」というジャンルに入ってしまうことや、身近な郷土 ~大阪~ を知ってもらおうと思ったからです。(もちろん摂津国の一部は兵庫県ですが…)理由は何でもいいです。歩くきっかけになればと思います。

             さあ、歩きましょう。

コースの説明

2011-06-05 11:50:41 | 日記
 大阪府は、摂津・河内・和泉の国からできていることから「摂河泉(せっかせん)」と呼ばれています。日本第二の都市であり、商業の都といわれる大阪ですが、実は平城京、平安京より前に都が置かれた古い歴史を持つ町です。それと同時に日本全国の町や村がそうであるように、情報・通信・交通が発達していなかった昔から脈々と今に続く町でもあります。そんな町を歩いてみました。

 このページでは、それぞれ「摂津」編、「河内」編、「和泉」編に分けていますが、特に「摂津」編だけは、私が住む「能勢」と摂津の中心地「大阪市」そしてそれ以外の地域に分け、「能勢」は「能勢路」と「豊能路」に分けています。
 また、大阪を歩いているうちに大阪市内に「渡し船」が現役で運航されていることや大阪府警の「警ら連絡所」という建物が結構レトロであることに気がつきましたので、それぞれ「番外」編として構成しています。
 それぞれのコースごとに「ちょっと気になった(気に入った)」事柄をコラムとして掲載しました。
  ※ 記事の内容(交通機関、料金、所要時間等)は、訪問当時のものです。

 目次は、次のとおりです。

   「摂津」編
    日本の原風景を求めて「能勢路」をゆく
     「能勢」
       1 大阪最北端の集落「天王」
       2 浄瑠璃の里を歩く
       3 日本棚田百選「長谷」
       4 能勢氏ゆかりの里をゆく
       5 能勢、3つの伝説を訪ねる
     「豊能」
       1 彼岸花とコスモスが咲く秋の棚田を訪ねる
       2 古城と古刹、そして猪鍋うどん「高代寺山」
       3 紅葉の里山と能勢妙見
       4 石の文化財「余野の石仏」
       5 隠れキリシタンの里「高山」から川尻石仏群
          コラム「地酒・地サイダー」「のせ電」

    浪速・難波・浪花 ~なにわ~
       1 石の館「大大阪浪漫」
       2 陰陽師ゆかりの地「阿倍野」
       3 みなとOsaka
       4 中崎界隈から日本一長い商店街
       5 上町台地「歴史の散歩道」と真田幸村
       6 桜の大川に沿って
       7 第二の都市「地下街」
          コラム「チンチン電車」「筋を通す」          
          
    淀川右岸に沿って
       1 「西国街道」を山崎から高槻へ
       2 文豪のふるさと「茨木」
       3 織姫伝説の町「池田」
       4 箕面から豊中「てしま野」を歩く
          コラム「大阪モノレール」「日本万国博覧会」

   「河内」編
       1 王陵の谷「近つ飛鳥」と「河内源氏」ゆかりの地をゆく
       2 「富田林」「大ケ塚」二つの寺内町
       3 「古市古墳群」を歩く ~7つの天皇陵~
       4 三つの御坊を訪ねる「萱振」「八尾」「久宝寺」
          コラム「河内音頭」「河内ワイン」

   「和泉」編
       1 黄金の日々「堺」と巨大古墳群
       2 浜寺から「織物の町」「小栗街道」を経て「信太の森」へ
       3 だんじりの町「岸和田」から泉州路を訪ねる
       4 「海」を歩く ~泉南~
          コラム「だんじり」「大阪の漁港」

   「番外」編
       1 市民の足「川底トンネル」と「八つの渡し」
       2 愛しき警ら連絡所たち ~静かに街を守る赤い門灯~
          コラム「大阪の中のオキナワ」

大阪最北端の集落「天王」

2011-06-05 11:50:07 | 日記
訪問日:平成22年2月12日(金)
出 発:「天王トンネル」南口
到 着:「天王トンネル」南口

 かつては阪急バスが日に数本通っていたようだが、今では廃止され完全に陸の孤島となっている。標高500メートルの大阪最北端の集落を歩いてみた。はっきり言って観光的な要素は何もない静かな集落である。
 コースは、平坦な舗装道で「稲荷社」と「天王のアカガシ」は山に入る。途中、自販機や店、トイレは一切ない。(歩行距離5キロ)

 集落の中央を国道173号線が走っている。大阪方面からだと阪神高速池田線の終点、木部第二出口(能勢方面)から国道に下り、ひたすら篠山方面に走ることになる。


 ここは大阪の最北端、大阪府豊能郡能勢町天王。昭文社の地図「能勢・豊能町」版を開いてみたが、天王の集落は載っていなかった。地図からも忘れ去られた村なのか……(国道173号線の先にある天王は「図外」の文字が)


 天王の集落を抜け、天王峠で天王トンネルに入る手前左側に車が数台止められるくらいのスペースがあったので、そこにマイカーを止めた。少々吹雪いている。

 車を止め国道を渡ったところに「摂丹関」と彫られた大きな石碑があった。トンネルを抜けると「丹波」の国に入る。しかし、ここに「摂丹関」という関所があったわけではないらしい。裏の碑文を読むと昭和58年、この天王トンネルが開通したのを記念して建設省(当時)が建てたものらしい。


 再度、国道を渡り駐車場所まで戻ることとする。トンネルのすぐ上に鳥居がある。私は、鳥居に対して敬意と神秘性を感じる。そして「鳥居」こそが、われわれ日本人が持っている信仰心(宗教心ではない)の根源を表す「日本の原風景」だと思っている。鳥居を見るとどうしてもくぐりたくなる。


 参道と言うよりは「急な斜面」を登ると小さな社が鎮座していた。天王の村社であった稲荷社らしい。手を合わせ、滑り落ちるように(実際に尻餅をついてしまった)元の場所まで戻る。


 そこには教育委員会が設置した「天王のアカガシ」の説明板がある。稲荷社神域の樹木として崇められ、高さ22メートル、幹周り5.2メートルの巨木で、昭和58年、大阪府天然記念物に指定された。木自体は、鳥居の中ではなく鳥居の下の小さな道を簡易水道施設を左に見ながら進んだ森の中にある。特段、難路ではない。根元に小さな祠があり、ひときわ大きな幹なのですぐにわかる。巨木ファンには有名なところらしい。


 車のところまで戻り国道を渡って南に向かう。脇道にそれたり国道に出たりしながら時計周りに歩くことにした。


 能勢は湿気が多いので板塀の腐食を防ぐため漆で朱塗りされている板塀をよく目にする。


 ここは、以前酒屋だったと思うが、今は店を閉めてしまったのだろうか。


 少し進むと鉄筋コンクリート造の小さな小学校の前に出た。ここは、大阪で一番児童数が少ない(平成22年当時で9人)という「能勢町立天王小学校」だ。体育館から元気な子供たちの声が聞こえた。校舎の前に石灯籠と鳥居が見える。「高皇産霊神社」である。


 国道に出てさらに南に進む。屋敷越しに山の上に鳥居が見えたが、どうも個人宅の庭先を通らなければならないようだったのでそのまま進んだ。


 村はずれに着くと戦没者の忠霊塔や多くの石仏があった。田舎に行くとよく目にするものである。ここから国道を渡って北方向に逆戻りし、途中から村に入り国道の西側の集落を歩くこととする。


 しばらく進むと大きな茅葺きの屋敷があった。門もなかなか立派である。うっすらと雪をかぶった屋根越しに天王小学校の校舎が見える。


 地図からも忘れ去られたと書いたが、立派な旧家が多くそれなりに裕福な農村地帯なのだろうか。


 道脇に石灯籠が見えると、そのすぐ前に立派な石垣が組まれた寺がある。「臨済宗妙心寺派長杉寺」だ。


 江戸時代中期に作庭された枯山水の庭園が有名らしい。


 村を抜け田園地帯に出ると車を止めている天王トンネル方面の山が見えてくる。道沿いに「天王川」が流れるが、明らかに大阪平野とは逆の方向に流れている(ただし、日本海に注ぐのではなく、途中で水を集めながら武庫川に合流し大阪湾に流れる)。


 車に戻った。およそ1時間20分ほどの「歩紀」だった。私の「歩紀」としては、最短のコースである。天王トンネルから籠坊温泉に向かう府道を川沿いに車で2~3分走ると「女郎ケ渕」という瀬があるので立ち寄ってみた。
 昔、大蛇が棲み人々を困らせたらしいが、高僧の法力により石塊にされ、先ほどお参りした高皇産霊神社に祀られているらしい。


 ここから一路、国道173号線を南下して帰宅する。途中「山辺口」という交差点の角に「観光センターくるす」というレストランがある。この辺ではちょっと名の知れた店で「猪・雉子・鴨・鹿・熊」といった牛・豚以外の肉料理のメニューが豊富である。大きな天狗と提灯が目印だ。


 昼ご飯がまだだったので「しし丼定食(1600円)」をいただいた。
 

浄瑠璃の里を歩く

2011-06-05 11:49:33 | 日記
訪問日:平成23年5月21日(土)
出 発:阪急バス「能勢の郷」
到 着:阪急バス「歌垣山登山口」

 温泉とアウトドアレジャー施設の「能勢の郷」から数々の寺社、能勢の中心地である宿野の「浄るりシアター」などを経て、田植え間もない「水田」を見ながら暮坂峠・篠口峠を越えて倉垣の集落へ。リス・キジ・野鹿そして「ヘビ」。自然とともに日本の原風景を楽しみながらひたすら歩く。

 全般的には舗装された平坦な農道・里道を歩く。途中、大路次川の橋から「暮坂峠」までは15分ほどの上りになるが、舗装道路であり勾配も急ではない。「篠口峠」は完全な山道だが、距離にして約400メートル。時間にして約10分。あっという間に越えてしまう。

 中間地点の「浄るりシアター」には自販機とトイレがあるが、それ以外は寺社の参拝者用簡易トイレがあるくらい。涌泉寺の駐車場に湧き水がある。(歩行距離19キロ)

 能勢電車「山下駅」から阪急バスで約40分(590円)。終点の「能勢の郷」に到着。かつての「かんぽの宿」が郵政民営化の後は「能勢温泉」という民間宿泊施設になったが、ここは昔からキャンプ場やバーベキュー場、テニスコート、フィールドアスレチックなどの野外活動施設が広がるレジャー施設として有名である。


 バスを降り、キャンプ場の林間道を過ぎると行者山への登山道に出る。私は山には登らないので右に曲がり坂を下りながら歩く。先ほどバスで一緒だった登山グループとすれ違いながら歩くと右手にお寺が見えてきた。「高野山真言宗玉泉寺」。ここはユースホステルやテニスコートも併設されている。


 脇道にそれ、田植えが終わったばかりの水田の間をとおり山沿いに歩いて行くと鎮守の森に出る。「山辺神社」である。宗教施設という感じがしない、こういう神社の風景が私は大好きだ。さっそくお参りをした。


 鳥居まで戻りふと山手を見ると何か大きな瓦葺きの建物が目に入ったので行ってみた。インターネットの下調べでは気がつかなかった建物である。その建物に到着する直前7~80センチくらいのシマヘビが道を横切った。「いきなりかよ。」ヘビは大嫌いなんだよ。能勢は本当にヘビが多いところだ。

 建物は、大きな木造の一棟建ちで前に広場があり、おばちゃんたちがゲートボールを楽しんでいた。「この建物は何ですか?」と尋ねてみた。すると「昔の小学校やで。」と教えてくれた。グランドの片隅に「山辺小学校跡」という石碑があった。帰宅後にネットで調べると昔の山辺小学校でその後一時、町立保育所として使われていたようだが、今は空き家となり音楽グループが時折野外コンサートなどに使用しているらしい。「山の小学校」という雰囲気がいい。予定外だっただけに何か得をした気分だ。


 山辺小学校跡を出て集落を通り抜け、少し山手に上がったところにある「高野山真言宗大泉寺」を訪ねる。小さな雰囲気の良いお寺だった。


 お寺から少し下りたところに、大きな茅葺き屋根の農家を発見。やはり能勢まで来ると茅葺き家屋との遭遇率は高い。


 引き続き山辺の集落を歩く。小さな神社も


 石の橋も


 ため池も何でもないものだが、日本の原風景には欠かせない。


 小さな新興住宅街を抜けると戦没者の霊を慰める忠霊塔に出た。立派な施設である。この村からも多くの若者が出征し、お国のために戦死していったのだろう。


 しばらく歩くと広大な寺域に入る。「高野山真言宗月峯寺」。


 このお寺は、かつて剣尾山の頂上付近にあったが、その後、現在の場所に移された。山頂付近には今も寺跡が残るという。戦時中は、多くの学童疎開児童を受け入れたらしい。


 本堂横の宝篋印塔の後ろには、室町時代前期の作と伝わる「六体阿弥陀仏」が並んでいる。


 月峯寺を出て府道沿いに歩いて行くと右奥に鉄筋の立派な建物と車がたくさん止まった駐車場が見えてきた。ここは、能勢の中心地「宿野」の町だ。町役場や小学校、消防署、商工会館など町の主要な施設が集まっている。手前の田んぼの真ん中に一服するのにちょうど良い木が見えた。農作業の合間にここで弁当を食べるのだろう。


 田んぼを抜けると「浄るりシアター」という立派な施設に着く。能勢は「浄瑠璃」が盛んで、今でも約200人の語り部たちが200年以上の伝統を引き継ぎ、国の「無形民俗文化財」に指定されている。丁度お昼時で建物の前に木のベンチがあったので昼食をとることにした。


 館内は、浄瑠璃に関する展示場や多目的ホールになっている。いわゆる「町民ホール」というやつだ。

 
 食事を終えしばらく歩くと「久佐々神社」という神社に出る。このあたりでは一番大きな神社で賀茂別雷神を御祭神とする。
 

 大路次川沿いを水田の景色を楽しみながら歩く。


 毘沙門天。 


 薬師堂。きれいに手入れがされ、村の人々の手により守られている。


 途中、府道との分岐点に出るが、そこに「おおさか環状自然歩道」の暮坂峠方面への案内板があるので、案内に従い進んでいくとすぐに大路次川にかかる橋に出る。


 ここからダラダラとした上り坂が続くが舗装されているし坂もさほど急ではない。途中、車1台とすれ違ったが、人とは一人も会わなかった。


 15分ほどで「暮坂峠」に着く。


 峠の下には「府立能勢高校」の農場が広がり羊が草を食んでいた。


 農場の上の高台には、能勢の名を「ダイオキシン」で全国に知らしめた焼却施設の跡がある。焼却場用に作られた立派な道路を歩いて行くと、すぐ前をリスが走っていく。その後「ギャーギャー」という鳴き声とともに、つがいのキジが飛んでいった。雄はきれいな極彩色だった。


 道路が「国体記念スポーツセンター」の上で大きくカーブする手前に「篠口峠」を経て倉垣の集落に到るとの案内板が立つ。


 入り口はコンクリート舗装だがすぐに山道となる。ヘビは出ないだろうな。5分も歩いただろうか、ふと前を見ると一匹の野鹿が草を食んでいた。シャッターチャンスと思いカメラを構えた瞬間目が合った。よほど怖かったのだろう、大きな音をたてて一目散に藪の中へと逃げていった。そして野鹿がいたところがまさに「篠口峠」。こんな自然が一杯のところに焼却施設があったのか。単なる感情論ではなく、人間と自然の共存の難しさを教えられた。


 ここから下り坂が続く。時間にして5分程度だったがかなりの急坂。逆のコースであれば息が上がっただろう。


 山道から舗装された農道に出る。「倉垣」の集落だ。小さな祠がある。良い風景だ。


 前方に何か見える。木の枝か?違う。1メートルほどのシマヘビだ。今回、いろいろな生き物に出会ったが、写真に納めることができたのは君だけだ。


 農道を進むと小さな鳥居が見える。ヘビはいないだろうなと、恐る恐る境内に入りお参りをする。倉垣の村社「子守神社」だ。


 途中、土壁の農小屋や消防団倉庫など原風景を楽しみながら倉垣の水田地帯へと向かう。




 田んぼの水面に「七面山」と「釈迦ケ嶽」が美しい。この山は、その名前からも分かるとおり、昔からの信仰の山で道々に町石が見られる。今でも日蓮宗七寶寺というお寺が山の大部分を占めている。このお寺はネットで下調べをしたところ修行の場ということで観光やハイキング目的の者はあまり歓迎されないらしい。たくさんの石仏があるらしく、遠目で見ただけでも石造りの大仏や黄金に輝く観音像などが見える。また、左に見える建物は「能勢の高灯籠」と呼ばれるある宗教団体の施設である。「能勢氏ゆかりの里をゆく」ではこの道を反対に歩く。


 山の麓には「日蓮宗涌泉寺」というお寺があった。お寺は何か「人の土地」という感じがして入りにくい。涌泉寺も入り口に受付のような建物があり、入りにくかったのでお参りは遠慮した。


 涌泉寺の横には「歌垣神社」という社がある。人によっては神社の方が人を受け付けない雰囲気があるというが、私は何ら抵抗なく鳥居をくぐることができる。
 

 さあ最終地点の歌垣山登山口に向かう。涌泉寺の駐車場脇に清水が湧いていた。もともと釈迦ケ嶽は昔から良い水が出るらしい。涌泉寺という名もそこから来たのだろう。


 水田に「逆さ」歌垣山が美しい。


 ゴールの「歌垣山登山口」バス停に着いた。バス停の後ろには映画のセットのような「消防団詰所」がある。「能勢氏ゆかりの里をゆく」でもここを通る。ここからバスで能勢電車「妙見口駅」まで約20分(530円)。およそ5時間の「歩紀」だった。 

 


 

日本棚田百選「長谷」

2011-06-05 11:49:09 | 日記
訪問日:平成22年7月19日(月)~海の日~
出 発:阪急バス「森上」
到 着:阪急バス「森上」


 日本棚田百選に選ばれた「長谷(ながたに)」を訪ねる。ここは、テレビ番組「田舎に泊まろう」で元プロボクサーの具志堅用高氏が訪れたところ。同番組で放映された唯一の大阪府である。茅葺きの農家も多く田舎度は満点であるが、地元の方々の生活の場でもある。マナーを持って歩こう。

 舗装された農道・里道を歩く。棚田のてっぺんを目指して歩くが、ゆっくりと高さを稼ぐのでさほど高度差は感じない。出発地点の「森上」バス停の前に小さなスーパー(開店は10時)と自販機、公衆トイレがあるが、途中には店やトイレは一切ない。自販機も公衆電話もない。本当に何もない。(歩行距離14キロ)

 能勢電車「山下駅」から約30分(400円)。阪急バス「森上」停留所。具志堅用高氏もここからスタートした。

 
 突き当たりの交差点を左に曲がるとすぐに「岐尼神社」に出る。道中の無事を祈願してお参りをする。


 そのまま進み左に折れると小さな橋がある。橋を渡って右に曲がり川沿いに歩く。ほどよく育った稲が美しい。

 
 しばらく歩くと垂水の集落に入る。「新宮神社」という小さな神社があるので鳥居の前を進んでいく。


 大きな茅葺きの旧家が見えた。この建物は農家を利用した創作和風料理の店らしい。


 店で突き当たりとなるので元に戻り、少し山手に上がると「大日堂」に着く。

 
 そこから元来た道に戻り時計と反対回りに長谷の集落へと向かう。やはり能勢は日蓮宗の影響が強いのか日蓮宗独特のひげ文字で書かれた法界石塔が迎えてくれた。

 
 小さな田舎道であるが、昔はバスが通っていたという。今はバスも通わない。左手には「三草山」に向かってせり上がる棚田が見える。

 
 よく見ると茅葺きの農家が点在している。もうこのあたりは「長谷」の集落だ。

 
 道が突き当たったところに「土祖神旧跡」と書かれた小さな祠が祀られていた。

 
 これより坂道を登る。下から見えていた茅葺きの農家のすぐ横を通る。立派な建物だ。

 
 通り過ぎて振り返ると茅葺き屋根と棚田の素晴らしい風景が広がる。この景色は写真やスケッチでよく紹介されている。

 
 坂を登りきり、地図を頼りに妙見神社へと向かう。大きな茅葺き屋根の農家横の道を進んで行く。

 
 山の中に「妙見神社」はあった。

 
 元来た道を戻りさらに長谷の集落に進んでいく。小さな石塔と茅葺きが美しい。

 
 脇道を進み「八坂神社」へと向かう。急な石段を登ると山の中にお社があった。

 
 帰り道に改めて見ると先ほど通り過ぎた農家は、茅葺き屋根が二棟並んでいることが分かった。素晴らしい風景だ。

 
 村の中をどんどん進んでいく。

 
 ここらあたりが棚田の頂上だろうか。

 
 上から見下ろす景色も素晴らしい。

 
 茅葺き屋根そして青田と畦の草とのコントラストが美しい。随分と遠いところに来た気がする(実際、遠い)。



 
 峠に着いた。複雑な五差路の片隅に石仏が。「サイノカミ峠」である。

 
 徐々に下っていく。現役の炭窯だ。庭に止まっている車は大阪ナンバー。ここは大阪なのだ。

 
 ゴールの「森上」バス停に向かうが、小さな山の麓に鳥居が見えた。誘われるように鳥居をくぐる。

 
 石段を上りきったところに小さな祠があった。村人により長く守られてきた鎮守の森だ。道中無事であったことに感謝してお参りをした。約5時間の「歩紀」。