上州からの山旅

凡人noyamaの山旅の記録

鎌倉街道上道を歩く8日目 (南町田グランベリーパーク駅~湘南深沢駅)

2023年04月07日 | 街道を歩く

 鎌倉街道は信濃、越後、陸奥方面から鎌倉へ通じた道で鎌倉幕府の御家人らが鎌倉へ向かう道として発展したが、今では道路改修・圃場整備・宅地造成など様々な事業で往時の姿が残っているところは少ないそうだ。
 鎌倉から上州へ向かう上道(カミミチ・カミツミチ、上の道)、下野へ向かう中道(中の道)、常陸へ向かう下道(下の道)が有名であるが、我が上州から鎌倉への上道を歩いてみることにした。『いざ! 鎌倉へ』




【6日目 埼玉県】 2023年3月31日(金)晴れ・曇り
 歩行距離:南町田グランベリーパーク駅~湘南深沢駅 32.8km(累計184.4km) 
 行  程:大和駅05:55==06:05中央林間駅06:06==06:14南町田グランベリーパーク駅06:14---06:30鶴間公園06:30---07:04鶴間橋07:04---07:55瀬谷銀行跡07:55----17:11湘南深沢駅
 大和駅=中央林間駅167円 中央林間=南町田140円 湘南深沢=大船220円 大船=前橋1980円
 グリーン1000円  駐車料金400円
 昼食:900円 お茶:800円 夕食:750円  合計6,357円



【南町田グランベリーパーク駅 6:15発 町田市】


 あちこちにスヌーピーが居る妙に長い名前の東急電鉄駅に出る
 旧鎌倉街道へはこの駅が近いが昨日は3kmばかり2駅西の小田急中央林間駅まで歩いた


【山王山円城寺(浄土真宗本願寺派) 6:42 1.3km】



天正年間(1573~92)に開創されたとされる
境内には大きな桜が満開であるが樹齢や樹高などを説明するものは無い
朝から良い花見が出来た




【五貫目道祖神 7:03 2.0km 横浜市瀬谷区】
どこが県境か判らなかったがいつの間にか神奈川県横浜市へ入った


5貫目は約19kg、石の重さにしては軽いと思いきや五貫目は地名
元々はも300m西にあり道標を兼ねた江戸中期の道祖神
国道バイパスの建設に伴い現在地に移転
小正月には1月14日は近くで左義長(どんど焼き)が行われている


【箭弓(やきゅう)稲荷 】  

「十割そば古賀」店の敷地内にある
 WBCで活躍したヌートバー選手の母親の出身地東松山の箭弓稲荷神社と関連があるらしい 



 店舗入口にも鎌倉街道を紹介する看板があり昼時なら寄ってみたかった店である


【若宮八幡 7:28 3.3km】


室町時代末期の永禄年間(1558~69)に創建
この神社も東名高速道路建設に伴いここに移転してきた


【蓮昌山妙光寺(日蓮宗) 7:40 3.9km】




ここも元は天台宗だったが、日蓮上人に教化され日蓮宗の寺になった(1282年)
神奈川に入ると日蓮宗が多い


【慈光山善昌寺(浄土宗) 7:50】


【瀬谷銀行跡】

明治40年(1907年)、当時さかんだった養蚕業のための銀行を開業。
関東大震災で多くの製糸工場が倒壊し、昭和10年(1935)鎌倉銀行に合併された。
創業者の小島政五郎は、神中軌道(現 相模鉄道)の初代社長。


【中屋敷地蔵尊 7:57 4.9km】

左側の道祖神は天保6年(1835)、堅窂地神塔は天保11年(1840)
地域の人にたいせつにされているようで花や供物があり綺麗になっている
堅牢地神塔は初めて見る石塔である
*堅窂地神(けんろうじしん):大地をつかさどる神。万物を支えて堅牢であるところからいう。
地神塔(じじんとう)は、地神信仰に基づいて地神講あるいは社日講によって造立された石塔であり、社日塔(しゃにちとう)・地神碑(じしんひ)ともいう。東日本では神奈川県に、西日本では岡山県と香川県に多く分布する。その他の県と北海道にも存在するが、地神講・社日講が広く分布しているのに対して地神塔の分布は限定的である。「地神」や「堅牢地神」などと刻まれた文字塔と、地神像または地天像の刻まれた刻像塔がある。元禄年間に造立が始まり、文化文政期(1804年-1830年)に広まって明治時代までは多く造立されたが、大正以降は少なくなった『ウィキペディア(Wikipedia)』

*春分、秋分に最も近い「戌(いぬ)の日」を社日(しゃにち)といい、泉区の各地では、前夜に講の人々が当番の家に集まり、神禮寺(藤沢市酉俣野町)の「堅牢地神(けんろうじじん)」の掛軸をかけて、地神(じじん)の日待(ひまち)を行い、翌日の社日は農耕作業を休んだ。社日は、田の神と山の神が交代する日と考えられたため、その年の稲の豊作を願い、農業に関係の深い土地神様(とちかみさま)を祀るこのような行事が行われるようになった。横浜市HP




立派なケヤキ並木が続く
屋敷の中にもケヤキがある家や道端に切り株などがあり
嘗てはケヤキ並木がもっと長く続いていたのだろう


歩き始めて早3時間、未だ5.4kmしか歩いてない時速2km以下だ
【瀬谷明神 8:07 5.4km】


 創建年代は不詳


【日枝神社 8:14 5.8km】


創建年代は不詳、鎌倉時代には創建していた
樹齢300年以上、樹高35m、幹回り5.4mのケヤキの巨木がある



地神塔 こちらは「堅牢」の文字が無い


【瀬谷山徳善寺(曹洞宗) 8:25 6.4km】


弘治元年(1555)創建
境内には六地蔵まえに双体道祖神3基
五街道の旅によれば、双体道祖神3基ではなく、錫杖を持っていることから2×3=6地蔵だそうだ



三叉路の真ん中に石塔2基があり、鉄柱で保護されているが風化が激し刻字が読めない


【瀬谷山宝蔵寺(高野山真言宗) 8:54 7.7km】



治歴2年(1066)年創建

【猿王山西福寺(真言宗豊山派) 9:05 8.2km】


天文3年(1534年)の創建
樹齢は判らないが立派なスダジイがある

【左馬神社 9:08 8.2km】

創建年代は不詳 隣の西福寺が別当だった
*境川周辺にはいくつかの「さば神社」が散在する
 左馬神社、鯖神社、左婆神社など漢字は異なるが読みは皆「さば」だ
 祭神は平安時代の源氏で源義朝か源満仲。官名は左馬頭だった。
 付近に「さば神社」は12社あり、1日に7か所参拝すると御利益があるそうだ(7サバ巡り)

(横浜市泉区HP)



神社にお寺の鐘がある




左馬神社先の三叉路中央にも石塔
左から庚申塔(元禄10年1597)、地神塔(明治40年1907)、道祖神(明治43年1910)



新道稲荷 
住宅地の間にあり個人宅の屋敷稲荷の様

【白東山宗川寺(日蓮宗) 9:22 9.0km】


寛永2年(1625)開山  


【瀬谷山全通院勢至堂(曹洞宗) 9:40 9.9km】



瀬谷山徳善寺(曹洞宗)の境外仏堂




【柳明神社(やなみょう) 10:07 11.5km】横浜市泉区




道標を兼ねた堅牢地神塔
「東 神奈川道  南 大山道  北 八王子道」と刻まれている


【法華山本興寺(日蓮宗) 10:32 13.9km】

山門

本堂

立派な釈迦・日蓮・日什の一代記を彫った欄間



【飯田神社 10:55 13.9km】


創建は12世紀後半で、この神社も以前は「サバ神社」だった
この神社にも神仏混交の名残の鐘がある




【帰命山無量寺(浄土宗) 11:11 14.9km】

文禄2年(1593)の創建
境内には銀杏の大木があるが樹齢は不明

左は「南無阿弥陀仏」と書かれた名号塔
右は碑は元徳年間(1329~32)に建てられた板碑、梵字で阿弥陀三尊が書かれている


【昼食 11:30~12:10】



3割引き900円のサンマーメンセット 盛沢山でお腹いっぱい


【美濃口家長屋門 12:35 17.5km】




松尾芭蕉門下として活躍した俳人美濃口春鴻の生家


【下飯田 左馬神社 12:42 18.0km】


右の石塔は「堅牢地神」だろうか

以前は「鯖」の字を書いたようだ


【富士塚城址 12:50 18km】


横浜市泉区は名所旧跡等の説明版やホームページも充実している



【双体道祖神 琴平神社 巨木山東泉寺(曹洞宗)13:00 19.1km】


道路工事のため移転、石材店の協力により整備され地域の人にたいせつにされている



琴平神社
水難除け治水の守護神を祀った琴平神社は、江戸期には東泉寺が別当務め、飯田の金毘羅こんぴら様として親しまれてきた


東泉寺と琴平神社は入口は違うが中で繋がっていた



境川湧水公園
泉区、戸塚区、藤沢市に位置し、境川の洪水被害を軽減させるための遊水地を平常時には公園として利用



【庚申塔 13:33 20.6km】横浜市戸塚区

弘化三年(1846)、明治満百年(1968)、安永五年(1776)
明治百年(昭和43年)は3億円強奪事件がありメキシコオリンピックでサッカー銅メダル


【上俣野神社 13:42 21.2km】


創建年代等は不詳、江戸期までは欽明天王社と称しており欽明天皇代(-571?)創建



宇田川


【天王山長院(曹洞宗) 14:12 23.1km】

文亀2年(1502)開山



八坂神社



堅牢地神塔と庚申塔


【石仏群 14:25 24.8km】

庚申塔や地神塔が並ぶ、右端は阿弥陀如来で元禄2年(1689)
国道1号線の北50m程のところ、横浜市戸塚区か鎌倉市か判らない





国道1号線いよいよ鎌倉に入ると思ったら鎌倉市との境界で藤沢市


【双体道祖神 15:03 26.0km 】

男女の大きさが違う群馬の双体道祖神は手を取り合っているものが多いような気がするが
ここのは並んで正面を向いている


【柄沢稲荷 15:11 26.5km】

由緒「創立の時不詳であるが、建久四年(一一九四年)右大将源頼朝武州入間川に狩りせし路次当神社に奉斎せしより、鎌倉武士及び領主大久保佐渡守忠保等の崇敬極めて篤く、村民亦氏神と仰ぎ祭事を尽くした」
ここも境内にお寺の鐘がある



境内の石仏石塔


【無量山慈眼寺(曹洞宗) 15:03 27.3km 藤沢市】


天文2年(1533) 創設 急な階段と立派な山門



境内にはモチノキ4株、タブノキ3株、スダジイ1株の3種類が根本でくっついて成長した合体木があり、樹齢は300年以上


【カフェ サニーデイ 15:45~16:10 27.5km】

朝は本日中に鎌倉へと出発したが、ここまで9時間半、27.5km歩いた
休み時間を入れて平均時速2.9kmである
2日連続の30km越えで疲れたので喫茶店を探し休憩
モンブランを食べたかったが品切れでチーズケーキを頂く
コーヒーとセットで800円
サイフォンで入れたコーヒーがおいしかった


【渡内日枝神社 16:18 29.3km】

渡内地区の鎮守。発祥は延長年間(923〜940)




【天守山泉光院(真言宗大覚寺派) 16:47 31.3km 鎌倉市】

関東大震災等で創建は不詳だが江戸時代?
上町屋天満宮の社伝が正しければ天慶年間(937~947)創建
上町屋天満宮の別当

【上町屋天満宮 16:50 31.6km】

天慶年間(937~947)創建。現在の社殿は天明元年(1781)の創建


双体道祖神 神奈川県に入ってから双体道祖神が多く見られる


【泣塔 17:05 32.2km】


JR東日本・旧大船工場跡地脇に建つ宝篋印塔(文和5年(1356))
新田義貞鎌倉攻めの際の埋葬された戦死者を弔うため周辺の住民が建てたと思われる
手広の青蓮寺に塔を移したところ、夜な夜なすすり泣く声が聞こえたため元に戻され「泣塔」と名付けられた


【湘南モノレール 湘南深沢駅 17:11 32.8km】

ようよう鎌倉へ着いたものの、日没も近いので本日はここまでとし、帰路へ





1泊2日で一気に鎌倉攻めと思いましたが思いのほかはかどらず
鎌倉市内は見どころも多いので後日ゆっくり見ることにした
鎌倉街道上道を完歩しないことには落ち着かない
しばらく山歩きをしないうちに季節は進んでいる
サクラも良いが、北関東のアカヤシオはどんなだろうか?

山歩きに神社仏閣巡り、加えて街道歩き
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 地図



次の資料を参考にしています
 鎌倉街道を歩く(保存と活用のいま)   高橋光幸著  さきたま出版会:鎌倉街道上道の案内書
 旧鎌倉街道探索の旅 Ⅰ 上道・山ノ道編 芳賀善次郎著 さきたま出版会:鎌倉街道のバイブル
  五街道の旅:五街道はじめ脇往還・歴史街道など地図付きで詳しいホームページ 
  道・鎌倉街道探索日記:埼玉県内の鎌倉街道を地図と写真で詳しく解説
 「隠居の思ひつ記」:迷道院高崎(めいどいんたかさき)さんの軽快で詳細なブログ
上野国交替実録帳を読む(千年前の県政白書) 前澤和之著  みやま文庫:群馬を知る事典みやま文庫から
『ウィキペディア(Wikipedia)』
 熊谷デジタルミュージアム


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