蒼い華

調べたこと、知ったことの記録簿として。あと中学受験対策のこと。

【社会】遣隋使~遣唐使

2016年01月04日 | お受験
遣隋使;

聖徳太子が隋に派遣した大和朝廷の使節。前後三回(隋書に記録される600年を含めて四回・五回・六回説がある)行われた。607年の小野妹子の派遣が有名。

遣隋使の目的としては、 
●中国(隋)と同じ立場で外交をすることで、朝鮮半島での日本のゆうせいを確立する。
●中国(隋)の皇帝が天皇を認めることで、天皇が蘇我氏(そがし)の上にいることを豪族(ごうぞく)たちに認めさせる。
●中国(隋)の進んだ政治制度や文化を吸収し、取り入れる。



遣唐使;

8世紀の朝廷は、唐の文化や制度を取り入れるために、たびたび遣唐使(けんとうし)を派遣した。
この時代は、航海や造船の技術が不十分だった為、航海には危険がともなっていた。
阿倍仲麻呂(あべのなかまろ)のように遭難して日本に帰れず、唐で一生を終えた人や、唐の僧・鑑真(がんじん)のように、何度も航海に失敗しながらついに失明しながらも日本に渡り、唐の進んだ仏教を伝え、唐招提寺(とうしょうだいじ)を建てた人もいた。

遣唐使は、894年に菅原道真(すがわらのみちざね)の申し立てによって廃止となった。
廃止の理由としては、
・唐の国に行くための船旅がとても危険だったから。
・渡航の費用がたくさんかかるから。
・唐からはもう学ぶことが無くなったから。
・唐の国内がたいへん荒れていたら。




【社会】御成敗式目と武家諸法度

2016年01月02日 | お受験
御成敗式目:
1232年の鎌倉時代に制定されたもので、武士の争いをなくすことを目的。武士の争いは主に土地を巡る争奪戦、相続争いです。
そういった争いに一定の裁定基準を示すことで、対立が武力衝突に発展しないことを目的にして制定されたのが御成敗式目です。

参考
http://kids.gakken.co.jp/jiten/3/30009660.html


武家諸法度:
1615年の江戸時代に制定されたもので、大名の統制が目的。大名同士が私闘を起こさず、徒党を組んで幕府に反抗したりしないようにして幕府の治世が安定することを目的として制定されたのが武家諸法度です。

徳川家康が出した13条の元和(げんな)の武家諸法度に始まり,将軍の代がわりごとに出された。第3代将軍 家光は1635年に19か条の武家諸法度を発布し,参勤交代を義務づけた。

参考
http://www12.plala.or.jp/rekisi/bukesyohatto.html