豊中市は豊中市立第7中学校跡地を活用するために、二つ目の府立支援学校設置計画を立てたと主張しています。12月26日に行われた現地説明会では、障害当事者の皆さんから「なぜ、これ以上障害者を分け続けるのか?あなた方は分けられたいか?」と聞かれた大阪府教委の担当者は「無理に分けられたりしたくはありません」と答えました。
「今の自分があるのは地域の学校でみんなと暮してきたから。そんな生き方を奪わないでほしい!地域の子どもは障害があっても、地域の学校へ!これ以上豊中に子どもを分ける支援学校を作らないでほしい」という叫びにも、府教委は「違法状態を無くすにはこれしかありません。」との答えを繰り返すばかりでした。
それでは、本当に支援学校は豊中南部の7中周辺を活性化できるのでしょうか?どう考えても支援学校が地域を活性化できるとは思えません。現に豊中支援学校は障害のある人や高齢の方たち、いわゆる「被災弱者」と呼ばれる人たちの「福祉避難所」にさえなっていません。
豊中市の度重なる要請にも同意されていません。もちろん、支援学校には学校の事情があるでしょう。しかし支援学校でありながら、豊中の福祉避難所にもなっていないところがどうして地域の活性化につながるのでしょう?